河川のシミュレーションの値段2008年04月01日 05時51分03秒

同僚が役所からある川のシミュレーションの値段を聞かれたけどどう答えていいのかわからないと相談してきました。

そこで、早速その同僚とその場で概算の金額をはじきました。
シミュレーションと言っても、どんなモデルを使うのか、どれくらいデータが揃っているかとか、計算条件を考えるところから始めないといけないのかとか、いろんな条件で作業量は変わるので、金額は決まっているものではありません。
相手の求めている成果をイメージして、どの程度の作業量になりそうかを積み上げて金額を出しました。
その時、同僚の表情からは「ちょっと安いのでは?」と感じたように受け取れました。

確かに実際の業務では手戻りもあるし、計算結果出してそれで終わりということはあり得ませんから、もう少し高めで考えておいたほうが無難かなとも思いました。
だけど、僕自身の考えとして、もう今どきちょっとしたシミュレーションに高い金額設定をする時代じゃないと思っています。
そんな説明を同僚にしました。


河川のシミュレーションは、昔より高度なことが簡単にできるようになってきました。
実務を想定した研究が進んだことと、パソコンの計算速度の向上のおかげです。
なので普通の業務でも、実はやる気さえあればちょっと高度な計算を簡単にできます。

役所はどこも経費節減の嵐です。
発注額もどんどん削減されています。
そんな中で、役所の担当の方がシミュレーションが必要と感じた業務があったとして、それをやるには金が高くかかるからと諦めてしまって、いまだに大昔に確立された計算法だけで設計するというのは、どう考えてもよろしくない。
実務の技術がいつまでも向上しないことになります。

金額設定を安めにして、シミュレーションの敷居をなくす。

普通の業務でどんどんシミュレーションを使うことにもうひとつ意味があります。
それは計算する側が鍛えられることです。
数をこなすことで計算の勘が養われていきます。
レベルアップにはやっぱり場数が必要です。
それは場面を作ってもらわないことには始まらないのです。
場面がないと何ができても持ち腐れなだけです。

将来にいい川を残していくためには、儲けるとか儲けないとかのせこい発想に終始せず、技術を出し惜しみせず、どんどん先端技術を取り入れていかないといけない。
河川の現場技術者がつまんない発想でとどまっていると、その間に、出来損ないの川がどんどんできていくことになりますから。

地元中小のコンサルタントが北海道の川の将来を決める2008年04月02日 06時26分49秒

シミュレーションの値段を安くして、ちょっと高度なことの敷居を低くしたい(と昨日書きました)。
高度なことは大きい会社しかできないというのではダメなのです。

北海道にはたくさんの川があります。
それらの川は管理する役所が別れていて、石狩川のような大きな川は北海道開発局、つまり国が管理していて、それより小さい川は北海道(都道府県の意味での道)、もっと小さな川は市町村の管理です。

北海道開発局が管理する大きな川(一級河川)は数えるほどしかありません。
そしてその一級河川の計画や設計は大きなコンサルタントが受け持つことが多いです。
そのほかの大多数の川は北海道が管理する二級河川で、こちらは地元北海道の中小のコンサルタントが携わることが多い。

とすると、一握りの大河川を除いた、北海道の至るところを流れている大多数の川は、地元北海道の中小のコンサルタントが考えた計画、書いた設計図によってできていくということで、中小のコンサルタントが北海道の大多数の川の将来を決めていると言えるわけです。

地元中小のコンサルタントが相変わらず大昔の計画論、設計方法で低レベルの仕事しかできなかったらどうなるか。
北海道の至るところの川で、昔のような人工的な水路づくりが相変わらず続けられることになり、出来損ないの川が行き渡っていくことになるのです。

中小の会社が大手を脅かすくらいの技術を身につけて、身近な川の計画や設計に携わっていく。
それがなければ50年後の北海道の川は・・・大変なことになってますよ。

なので、シミュレーションなんかのちょっと高度そうに見えることも、できるだけ安く、敷居を低くして気軽にできるようにしておかないといけないのです。

今年は技術者の仕事の楽しさを大学生に伝える企画だ2008年04月03日 06時48分53秒

今年度から、技術士会で技術士自身が大学や高校へ技術者の仕事を話しに行こうという企画を始めるのですが、昨日その企画書をつくりました。
まだたたき台なので、技術士会のメンバーにたたいてもらって、できあがったものを持って大学に打診しに行くことになります。

そもそもこの企画、発端は僕が数年前、大学院に再び通っていた頃の記憶にさかのぼります。
社会人として大学生と身近に接することになり、学生と話したとき、

僕 :あなたはどんな仕事したいの?
学生:自分の時間がないとダメなんですよね。
   休みがきっちりあって、夕方もちゃんとうちに帰れないと嫌なんです。
僕 :そんな仕事あると思う?
学生:だから公務員がいいかなって。
僕 :公務員でも一生懸命な人は徹夜してるよ。
学生:でも楽そうじゃないですか。
僕 :やる気なさすぎじゃない?
学生:みんなそうですよ。僕の周りはみんなそんな感じですよ。

がっかりしました。
やりたい仕事じゃないだろう、それは。
やりたくないことを除いていって、消去法で残ったのが公務員?
それもどこかで聞きかじったような、働き過ぎを否定する考えを鵜呑みにして、休むことから考えがスタートしている。

仕事って、やる気になってのめり込んでやってみたら意外と面白いよ。
そのために勉強もするし、叱られたりもするし、でもそれで成長した実感を持ったときこの上ない楽しさを感じるよ。
僕の知ってる役所の人達も徹夜してるし、通勤電車では派手目のお姉ちゃんも本を開いてペン持って勉強しているよ。

たぶんそんなことを身近で話をしてくれる人に出会わなかったのでしょう。
バイト先でもぶつぶつ不満を言う従業員の人しかいなかったりして。

僕は実はそれ以来、学生達と話すのをやめました。
覇気のない学生と喋ることで、自分のやる気を学生達に吸い取られそうで、話さないことで自分が自分の研究に集中できる環境を守るという選択をとりました。

だけど大学院が終わってから、研究を仕上げたというすがすがしさとは別に、なんとなく何かが引っかかったものが残りました。
学生と話さないという選択で良かっただろうかという負い目。
自分ができる役割を簡単に放棄しただけではないだろうか、と。

あの学生も、働くことも面白そうだと感じる機会さえあれば、「こんな仕事はしたくない」ではなくて「あんな仕事をやってみたい」と気持ちが一変することだってあったのではないか。
そんな機会があったかどうかで、人は簡単に変わるのではないか。
特に若い人はそれだけで簡単に前を向いてすたすた歩き始めるのではないか。

それならそんな機会づくりをしたらいいんじゃないか。
僕自身、自分がどこまでできるかわからない。
でも思いついた人がやらなければ世の中何も変わらない。

そんなことを考えて、技術士会という組織の助けを借りて、学生さん達、特にこれから社会に出て技術者になる理系の人達に仕事の面白さを伝えようという企画を立ち上げることに至りました。

技術士会のメンバーに話を持ちかけたら、たくさんの人が賛同してくれました。
みんな技術者、気持ちの中でいろんな思いを抱えていたようです。

初めての試みなので試行錯誤ですが、今年はこれを頑張っていこうと思います。
あ、仕事は仕事で頑張りますが。

技術士はそろそろ自分が発信する立場に2008年04月04日 07時11分29秒

僕はいま日本技術士会の北海道支部の青年技術士交流委員会というところで技術士会の活動をしています。
昨日書いた企画書の話もここでの活動です。

自分も技術士なんですが、技術士の人を見ているとみんな勉強熱心だなって思います。
自分の仕事に対する勉強も怠らないし、講習会や講演なんかがあったら出かけていって話を聴く。

たぶん技術士をとるための試験勉強をしているときに、勉強する癖が身に付くのだと思います。
僕自身は、もう勉強なんてやだって思いながら、しょうがなく勉強しているうちに、不思議と知識欲に目覚めるような感覚を実感しました。

高校受験、大学受験、大学院の試験、会社に入ったら社内の昇格試験、そして技術士試験。
僕の人生、いつまで試験を受け続けないといけないんだろうかってホントうんざりしていたのに、試験勉強が軌道に乗るとのめり込みました。

たぶんみんなそういうところがあるのだと思います。
まじめで勉強熱心。

だけど、みんな技術士。
技術の一線で働けるだけの専門知識はもう身につけたのだから、それを目の前の問題解決に使うだけでなく、外に向けて発信していってもいいんじゃないか。

勉強も大事です。
だけど技術士の人を見ていると、もう勉強癖がついていて放っておいても自分で勉強はします。
だからこんどは勉強したものをいかに吐き出していくかに目を向けていったほうがいいと思うのです。

インプットばかりではなくそろそろアウトプットしていきませんか。
そんな風に技術士会のメンバーに提案しています。

だけど、慣れてないんですよね。
吸収することばかりしてきたのを、逆に自分から発信するという立場になるのは急には難しい。
僕も同じです。
慣れだと思うんですけどね。
それを少しずつやっていきたいと思っています。

技術士の資格をもってるから尊敬されるのではないですよ2008年04月06日 09時01分04秒

技術士会にまつわる話をもうひとつ。

昨年の春だったと思いますが、技術士会北海道支部のフォーラムで技術士制度自体の問題が話し合われました。

技術士の認知度が低い。
資格の知名度が低すぎる。
技術士が尊敬されていない。

参加者の技術士の方々によると、これらが問題だそうです。
ちなみに会場は100人以上はいたと思いますが、ほとんどは僕より年上の技術士の人達。
たぶん50代や60代が多かったと思います。

ある技術士さんは、
「孫に『技術士』と入った名刺を見せても「すごいね」って言われない」
というようなことを手を挙げて堂々と意見として述べられていました。

また、技術士補の資格の位置づけが曖昧だという議論に対して、別の技術士さんは、
「私はそれについて数年前に何とかしろと言ったはずだ。ちゃんと考えて下さい」
と言われました。


がっかりでした。
おじさん達は技術士を持っていることでそんなに尊敬されたいのか。
技術士の知名度が低いことがそんなにご不満なのか。

不満だとして、じゃあおじさん技術士の人達はこれまで何をやって来たのか。
知名度を上げるため、尊敬されるために何かやって来られたのか。
難しいと言われる資格をとったからと言って尊敬されるような時代じゃないと思うけど。

技術士補の件で発言された人に至っては、人に考えろと言ったら自分の仕事は終わったと思っているのか。
それをみんなで知恵を出し合うために集まってるんじゃないですか?
問題提起されたご自分のアイデアはないのですか?
口で指示をしたら勝手に仕事が進む自分の職場じゃないんじゃないの、ここは。

そんな人達が集まって愚痴と不満を言い合うだけのフォーラムに嫌気がさして途中で出てきました。

おっと、ちょっと感情的になった。

知名度を上げるために何をするか、ではないんですよ。
知名度を上げないとできないことがあるんです。
技術士会が社会で担うべき役割があって、それを進めるためには社会に技術士がある程度認知されている必要があって、そのために知名度を上げるというステップが必要なんです。
50代とか60代とかの経験ある技術士の方々が集まっていたのだから、そういう議論をしてほしかった。


今日は僕自身の愚痴のような話になりました。
愚痴るだけでなく、自分で動いていこうと思っています。
先日から書いている技術士会での企画の話は、僕にとってはその一環なのです。