野帳ホルダー2016年11月02日 06時37分07秒

先月末に退職していったアシスタント女性が置きみやげに自作の革製野帳ホルダーをみんなに贈ってくれました。
ペン差しがあるスグレモノ。
早速、今日の旭川現地で使ってみよう。
初地質ハンマーとともにデビュー。

考え方のコツ 松浦弥太郎2016年07月18日 13時57分26秒

書店をぶらぶら歩いている時に、何となく目に止まって面白そうだなと思って買った本。
著者は『暮しの手帖』の編集長さんだそうだ。

コレ、考えることが仕事という人にはとても参考になる。
仕事で、考えてアイデアを出す立場の人が「考えることとは?」と自問自答したことがあれば、ここに書かれているようなことを一度は自分で考えたことがあるはず。
特に、何かを生み出すときの頭の使い方って、検索とかいかに効率よくという頭の使い方と違うことに気づくかどうか。

人とのつきあい方もそう。
結果的に僕も同じようなやり方になっているなと思ったところがたくさんあった。
全く逆の考えのところもあったけどね。

読んでみれば仕事のやり方が180度変わるという人もいるかもしれない。
そういう本がたった580円で書店にさりげなく並んでいるということ。
本屋さんって宝箱だ。

雑感もろもろ、怒らない相手のやさしさに甘えない2015年05月11日 17時48分55秒

NHKスペシャルの明治神宮の森の調査の話をみた。
更地の状態だったところに、150年後の姿を想像して計画を立てたという。
最初は針葉樹を中心にまばらに植樹して徐々に広葉樹に遷移していくことを予想したとのこと。
いまでは樹木が自然に更新され、その樹林で隔離された空間で在来の生物が多く生息しているようだ。
すばらしいね。
計画系の仕事をする立場として、そういうスケールで物事を考えた提案をしたいよね。
単純に感銘を受けました。


NHKプロフェッショナルの白鵬の話を見た。
モンゴルから5人でやってきたとき、4人は引き取られたが当時華奢だった白鵬はひとり売れ残り、モンゴルに返される飛行機チケットまで用意されたとのこと。
そこから地道な努力で今の地位、強さを身につけた。
ひとりで綱を張る孤独。
少し前にあった審判への苦言の問題は、それだけ取り上げると余計なひと言と言えそうだけど、おそらく土俵にかける意気込みと努力の自負が、相手がたとえ親方衆の審判でも気概の物足りなさを感じることになったのかもしれない。
俺の気持ちについてきてほしいという気持ちは僕もわかる気がする。


自分の実力が通用しているかどうか。
仕事のレベルが上がれば上がるほど不安になるだろうけど、通用していると思い込んで疑問をもたないことほど怖いものはない。
自分の実力が通用していないのに通用していると思い込んで仕事をしているというのは、自分の実力を過大評価しているか、または求められている仕事のレベルを甘くとらえているためかのどちらかだよね。
自分の実力の過大評価も怖いけど、求められているレベルを理解できてないという状態はもっと怖いかも。


みんな優しくなった気がする。
打ち合わせに参加していて、イマイチなやりとりにヒヤヒヤして、よくこれで相手は怒り出さないなと思う場面があっても、最近では相手がイライラしてキレることはほとんどない。
やさしく丁寧に指摘と指示を出す。
怒ってばかりいたらまわりが引いていくし、怒るのもエネルギーがいるし、嫌われるのはヤだし、パワハラとか言われたくないし。
そう言う僕も実際あまり怒らないし。
でも、怒られないからといって甘えちゃいかんよね。
ある意味、怒る人はわかりやすい。
怒ると意外と後腐れないしね。
怒らないで丁寧に接していても、内面はイライラして、見かけではわからないけど気持ちが離れてしまうこともある。
怒られるうちが幸せというけど、怒れない雰囲気が広まる今の世の中で、怒るほうが怒るべき場面で怒りにくい。
なので、相手は怒らなかったけど本当は怒りたいくらいだったかもというのは本当は怒られる立場だった側が察知すべき。
相手の優しさに甘えちゃダメなんだ。
気持ちが離れてしまうともうおしまいだからね。


さっき旭川を出るときに列車の窓から忠別川を見ると、砂州の前縁線がわかりやすくはっきり見えた。
砂州の前縁線ってどこなのか意外と間違うんだよね。

雑感もろもろ(その2)2015年02月22日 08時46分40秒

それなりに仕事ができるような歳になると、自分がすでにできるやり方で仕事を片付けようとする。
実際できてしまうことも多い。
それが経験の強みということなんだろうけど。
同じやり方考え方を繰り返していくうちに、作業の時間も考える時間も短くなるので、自分自身が楽になる。
だけど、それは停滞でもある。
自分が停滞していることに気づかないと、自分のやり方がいつの間にか通用しなくなっていても気づかないことにもなる。
年はどんどん経過するので、その分年齢とか立場が上がり、周りからは年齢に見合った、立場に見合った役割が求められる。
自分はできる人だと思って停滞していると、いつの間にか周りが求めることと自分ができることに開きができる。
つまり、自分ができると自信を持ちすぎず、できることにしがみつかずにステップを上がっていくことが大事だよなと思う。


とは言え、向上心の押し付けはありがた迷惑以外の何ものでもない。
向上心は自分自身でもつもので、他人がとやかく言うことではない。
ただ、向上心を感じられる人は、同じように向上心を持っている人から惹かれて、そこで高め合えることにもなる。
そうやって惹かれ合う関係を僕は大切にしたいと思う。


感想はできるだけ言うようにしている。
学会発表だったり、もっと日常で、人から何かを紹介されたりしたときや、身近な人が頑張って何かをやったなと感じた時とか。
自分が感想を言われた時に嬉しいと思うからね。
褒められると単純に嬉しいけど、必ずしも持ち上げられた感想よりも、厳し目の指摘がありがたいと思ったりする。
感想を伝えたときには、相手には余計だったかなと思う時もあるけど、それでもありがたいと思ってくれているかもなと思ってめげずに言う。
最近、ある人からそに人の作品を紹介されて、やはり感想とそこに僕のものもついでに紹介したら、その人からさっぱり感想はなかった。
何も感じなかったということなのか、感想を言うに値しない程度のものだったのか、そんなところだったのかもしれないけど、正直がっかり、言うんじゃなかった。
ま、人それぞれなので、ひとつひとつの出来事に一喜一憂しないと思うのだけど、自分としては感想を伝えるということは大事にしようと思っている。


このブログも始めてだいぶ長くなってきたので、以前に書いたことと同じようなことを書いていることもあるかもしれない。
今回の最初に書いた自分のやり方に固執することの話とか最後の感想の話は何回か書いたことある気もする。
雑感として書いたことはそれなりに覚えているので、二回目になることは書かないように気をつけてきたけど、繰り返しになってもいいかなと思い始めた。
数年前に書いたことなんて本人も誰も覚えてないってことも多いかもしれないからね。

出来事、雑感もろもろ2015年02月21日 06時44分13秒

ある学会の編集委員会で5月の出版号主担当になっていて、昨年11月の会議にまず出席したのはいいのだけど、今月上旬にあった会議は前日にインフルを発症して欠席、4月上旬の会議は主担当なのでリベンジと思っていたら、本命業務のプロポのヒアリングと日が重なってしまった。
どちらをとるべきかとかいう問題でなく、先約優先だと主張してプロポのヒアリングを蹴るわけにいかず、やむなく編集会議は欠席、でも北海道地区が主担当なので誰かに代理をお願いすることになる。
ま、仕事してればこういうことはたまに生じる。
ぶつけどころのないモヤモヤは残るのだけど。


打ち合わせとか会議とかで、自分が思ったことをどれだけ話せるか。
うまく伝えられるかどうかもあるけど、そもそも発言するかどうか。
発言すべき立場なのかどうかというのもあるけど、控えめにと発言しない理由探しを無意識に頭のなかでやって、自分は何も言わずにほかのひとがやりとりする成り行きを見守っているだけであれば、それはただ単に勇気のない逃げだよね。
発言するというのは、反論されたり反応なかったりとかという結果がついてくるから、失敗を嫌がったら話さないことに越したことはない。
だけど、失敗もなければ前進もない。
相手の反応を怖がって黙るよりは、逃げようとしている自分を自覚して、逃げない自分になろうとしたほうがいい。
何を言うかよりそういう姿勢をむしろまわりはみている。


わからないことがあって、知り合いにちょこっと相談した。
その知り合いはちょこっと調べてわかったことを説明してくれた。
そこまでは良かった。
が、そのちょこっと調べたことでそれが全てだという言い方になった。
いやいや、それが全てと理解していいのか、もっとほかにいろいろあるのかが知りたいのだ。
素人どうしが手が届く範囲で知ったことで議論しても素人の域を出ることはない。
最初から自分で調べればよかったのかとも思ったりしたけど、人を頼ったことが間違いだったとは思わない。
自分だけでできることは所詮自分の域を出ないしね。


例えば資料づくりとかで、相手がいろんなことを言ってきて修正しないといけないような雰囲気になった時に、そのまま受け入れてやり直しをするか、反論していまのままでいいのだと説得に向かうか。
反論してこそディスカッションになるし、そもそも何らかの意図をもって相手に提示しているわけで、相手の指摘をまるごとのむだけがやり方ではない。
だけど、手戻りが嫌なだけの反論はやめたほうがいい。
仮に説得して相手が了承したとしたとき、相手がきちんと納得していたらいいのだけど、説得に押されてただ折れたという場合だと、相手にくすぶり感が残っちゃうんだな。
それは、こちらが手戻りをなくせたという満足感を得る代わりに、相手のほうは丸め込まれたかもという不満感を得ることになって、結果的には信用されなくなる。
つまり、目先の勝利を得るために、もっと大きなものを取り逃すということ。
言い分を通して、押し切って勝つことが本当の勝ちではないのだ。


自分にはほかの人には見えないものが見えていると考える傲慢さ。
自信を持つのはいいのだけど、まあ、勝手にしろというだけだけだな。