朝リス2017年03月05日 15時26分15秒

久々に朝ウォーキングへ。
まだ寒いけど、だいぶ春っぽくなってきたし。
公園を通りかかったらリスがせわしなく動き回っていた。
春だから?

3月、それぞれの業務が大詰めで、もう報告書まとめ作業に移れているものもあれば、まだ作業の真っ只中というのも、まだ委員会が控えているのもある。
さらに、今年度のまとめをしながら、次年度の内容とスケジュールを考える。
ま、そういう役割ですから。
きつい時期だけど頑張りますか。


ヤマトが膨大額の未払い残業代を払うとのこと。
ネット注文の小物の配送に手を出したのが発端なのかね。
個人の買い物の配送は、個人の在宅に左右されるから予定が狂いやすいんだろう。
業務の荷物の配送だと、そもそも相手も仕事の組織だから、受け取り人不在という状況にならないよね。
でも、ネットが発達して、仕事の荷物の配送量がだいぶ減ったんだろうね。
僕らだって、昔は書類とか資料とかを夕方の集荷までに仕上げて、配送業者に頼んで送っていたからね。
いまはほとんどメールで資料を送るし、書類だって最後の最後、印鑑付きの原本のときだけ配送という感じ。
厳しい業界だよね。
ていうか、この時代、どこの業界も仕事量と受注額のアンバランスに苦しんでいるんだろうなと思う。
しんどい時代だ。

雑感いろいろ2017年02月19日 20時54分04秒

天気図を毎日見るようにしてみた。
天気予報に関心を持つようになったわけではない。
気象の意識を少しでも日常から高めようと思ったため。
最近の気圧配置が典型的な西高東低の冬型だったため、なーんだ簡単だと思ったのだけど、先日突然暖かくなったときは、全然違った。
でも寒冷前線とか温暖前線とかずっとずっと昔学習したことを思い出しならが見ていると、気温の変化も理解できた、気がする。
この意識がつづくかどうか。


長時間労働、本気で減らせられないかと考えている。
この2月、3月にやろうとするととても無理があるのだけど、この2月、3月だからこそ考えることなのかもしれない。
少なくともこの10年くらいのなかで一番本気で考えている。
ひとつ思いついて、夕方以降の発注者へのメール・電話をやめてみた。
もちろん完全になくすことは不可能、急ぎのときもあるし、やむを得ないときもある。
だから完全ではないけれど、出来る限りと思ってこだわって続けている。
深夜まで作業して仕上げたものは、何となく、深夜に送ってしまいたい。
そこには、こんな時間までかかって作業したんだぞというアピールも無意識に含まれる。
でもそれもやめた。
深夜までかかったものも、翌日、出社してから送る。
たぶん、相手にとっては、朝すぐチェックできるほうが安心かもしれないけど、深夜まで作業していたということが見えることは、知らず知らずのうちに、この人は深夜まで仕事をしてくれる人だという印象になる。
すると、遅くまでかかる仕事を頼むことに躊躇が少しずつなくなっていく。
深夜まで仕事をすることは、こちらの都合でやるべきで、相手から深夜作業を前提のものを頼まれるようにはしないように。


何の役にたつかわからないような教養が実はとても大事だということを、偶然、職場の人と話した。
教養が大事だということは、ある時からずっと考えていて、教養を身につけるということは意識してやってきた。
教養というととても漠然としているので、意識していても自分で教養が身についたと自覚することがとても難しい。
でも、教養が身につくことで、どこか自覚しないところでも自分の振る舞いが変わるのではないかと思っている。
教養とは何かと聞かれると困るのだけど。


ある人がある集まりに加わることになった。
そのことを別の人が知って、来るなとは言わないけどあまり気が進まないと言った。
どっちが正しいかということではなくて、自分が何かしようとしたときに、あいつは入ってほしくないと思われるより、あいつが来るなら大歓迎だと言われるほうがいい。
自分が外で、内で、どう言われているか、どう思われているか、ああ恐ろしい。
と言いつつ、人が自分のことをどう言っているかというのはできるだけ考えないようにもしているけど。


能力以上のことはできないのだけど、ちょっとでも何とかできないかと思うことで、少しの能力の上積みができて、その積み重ねで仕事の能力が向上する。
当たり前のことだけど。
なので、そのちょっとでもという発想がなければ能力の上積みがないわけで、40代くらいになればもういいというものでもない。
ただ、40代くらいになると、やる気だけでは役に立たない。
やる気が見えないのは論外で、40代相当の能力も必要。
では40代相当の能力とは何なのか。
これは職種や職場によって違うんだな。
同じ職種でも職場によって違う。
職場ごとに求められるものが違うからね。
つまり、その職場で求められる能力をもっているか。
これ、自分で自分を客観的に見てみないとわからない。
能力以上のことはできないと開き直る前に、いまの自分の能力がいまいる職場で求められるものに対して通用するものかどうか、自分で冷静に考えてみる。
足りなければ努力が必要。
当たり前のこと。


ある大手運送会社、僕の自宅のエリアの担当の運転手さんの評判がすこぶる悪い。
確かに、配達時間に来ないし連絡もない。
これ、どこに問題があるのだろう。
この運転手さんの仕事のやり方か。
それとも、運送会社の時間配達のサービスに無理があるのか。
いまではどこの会社でも時間指定の配達をしているけど、これ、一方的なサービスだよね。
つまり、仕事が実際に可能かどうかがわからないまま契約されるシステム。
お客さんの都合で日時を指定するけど、その日に配達できるかどうか、配達の運転手さんや営業所の都合を聞かれないまま荷物を引き受ける。
普通に考えれば、仕事って履行可能であることを内部で確かめてから引き受けるもの。
でも運送会社の配達時間指定って、配達可能かどうかは、遠距離でそこまで荷物がたどり着くかどうかだけで、配達員の荷物が混んでいるかは関係ない。
どうにでもなるということか。


ネットとか新聞とか雑誌とか、いろいろ記事を読んでいろいろ考える。
そうやって自分の中に入れる知識とか情報がある。
で、それを人とのお喋りで吐き出す。
インプットとアウトプット、ある程度バランスができているといい。
専門知識も、仕事のためにいろいろ調べてインプット。
それを業務の中で吐き出すアウトプット。
両方をきちんと意識してやる。
勉強ばかりではだめだし、勉強しないでいまある知識だけで仕事することはもっとだめ。
あと、文章も、本を読んだりしてたくさん文章を消化するのだけど、たまにはきちんと書かないとダメだな。
意識して書く。


もう一度、長時間労働。
長時間が全てダメとは正直思っていなくて、積極的な長時間はむしろ良い。
つまり仕事に乗っていて、やる気になっていて、自分からのめり込んでやるときはやればいい。
そういうときに身につけたことが実力として自分に残る。
消極的な長時間労働がだめで、これが極度の疲労になり、うつにつながる。

考えごと2016年09月22日 08時01分13秒

先週あたりから休日のウォーキングを再開してみた。
休日も体を動かして体力維持と思って続けてきたけど、今年は平日に消耗して休日はむしろきっちり休んで体力回復に当てようと、ウォーキングはやめてきた。
だけど、30分なり1時間なりひたすら歩く間に、頭の中が整理できるんだな。
今年は特にいろんな考えごとがモヤモヤとして頭に残って、あまりいい状態ではないなとずっと思っていた。
体力維持のためというより、頭の中をすっきり健康にするための再開というわけだな。


8月の北海道の豪雨で、業務の内容が大幅に変わることになりそうなものがある。
8月に発生した台風が6個も北海道に接近または上陸したというのはこれまでにないし、そのほとんどが太平洋から直接北海道にやってくるというルートをたどったこと自体が異常だ。
少しずつ変わってきたというより、最近急激に変わったという感じ。
気象が本州化してきている。


本州化してきているのは雨の降り方よりセミで感じていた。
僕が札幌に来た約30年前(!)は札幌では春から初夏にエゾゼミが鳴いているのを聞くくらいで、道南に行けば本州のセミの鳴き声が聞こえて、道南は北海道というよりむしろ本州なんだなって思った記憶があるのだけど、いまはアブラゼミとかミンミンゼミとかの鳴き声が道央でも聞こえるようになった。
セミは地中で7年過ごすので気候の変化として7年ずらして考えるくらいが良いのだろうと思う。
たぶん。


昨日のファイターズとホークスの首位決戦、大谷で勝ち。
優勝も現実かと思いたくなるけど、野球は勝ったり負けたり。
過大な期待はせず、ダメな可能性も高いよなくらいに思っておいたほうがむしろ気が楽か。
クライマックスシリーズ、10月はもう観戦には行けないだろうな。


読書、なかなか読み進まないものを読んでいる。
まだ序盤で面白いのか面白くないのかがわからない。
世間の評判は高いのだけど。


ギターは新しい曲に挑戦中。
だけど練習の時間があまりとれず、遅々として進まない。


考えることの調子がイマイチ上がらないと思っていたけど、それでも仕事で思いつくことがちらほらあり、不調でも考え続けることが大事だなと思った。
考え続けることはしんどいけど。
頑張ってる人のふるまいを見て、刺激として受け取って、自分を奮い立たせて頑張ろう。

折れないディスカッション2016年07月02日 07時16分45秒

先日のとある打合せ、相手とのやりとりで気丈にふるまったけれども、実はとてもダメージを受けて消耗していた。
正直、疲れた。
相手は、受け入れてくれてはいるものの、見方が狭くなっていると言う。
また、そもそもこちらの考えやいきさつをまずは理解してからという姿勢がないみたいで、感じたままでの否定を崩さない。

打ち合わせは戦いではなくディスカッションだと頭のなかで繰り返し言い聞かせ、自分が戦いモードにならないようにと踏ん張る。
愛嬌。
だけど、自分の考えだけでやってた仕事ではなく、担当を含めたメンバーのそれまでの積み重ねが理解されないままになるのはしゃくだし、簡単には引き下がれない。

確立した技術でなければ考えいろいろ、アプローチもいろいろ。
人によってやり方は変わるし、解釈も結論も変わる。
だからこそ考えを伝えてディスカッションなのだけど、相手のことも理解してみようかという思考がないと、結局は個人のバラバラの考えかバラバラに残るだけにしかならず、ディスカッションの意味はない。

思いつきだけで仕事する人、ちょっとネット検索して得ただけの知識で仕事するとか、参考文献を頑張って読むという手順を面倒がってやらない明らかな不勉強な人に対してなら、その人の表面的な主張を無理に理解をしようとする姿勢は必要ない。
時間をかけて努力してきた人が、下に降りすぎる必要はない。

日常からいろいろ考えている人どうしのディスカッションは、それはそれで主張がぶつかりすぎて難しいのかもしれない。
自分が正しいと思って折れにくくなるし、ディスカッションは主張があってこそ成り立つと思いすぎれば、どこまでも主張して平行線が交わることはない。

とは言いつつ、そんなディスカッションは嫌いではない。
ただ、消耗するのだけど。

アイデアを出せるようにする努力2016年05月06日 06時39分28秒

近所の桜、だいぶ咲いてきた。

カンブリア宮殿でUSJの社長が言われていたことで、努力をした先にアイデアは降りてくる。
日々の打ち合わせでも、さあどうしようという場面がよくある。
活発に意見が飛び交っているときはいいけど、必ずしもそんなときばかりではない。
発想が行き詰まる。
つかの間の無言の時間が流れる。
そんなとき、そこにいる個々はどうしてるか。

誰か何か言ってよと、誰かが口火を切るのをひたすら待つ。
発言を遠慮している顔をよそおって、アイデアを出せないことをごまかす。
大勢の打ち合わせの場面だけではない。
一対一の打ち合わせでも、どうしたらいいだろうねと相手から言われて何も返せず、ありきたりな言葉で場をつなぐ。
そして相手が言ったことに対して、
「ですよねー」
と、さも自分もそう考えていたかのように相槌を打つ。
勘弁してくれ。
アイデアを生み出す努力と先に口にするちょっとした勇気をわかってはいない。
企画とか計画に携わる立場は、次の一手のアイデアを出すのが仕事。
それを人の一言を待っていては、自分がいる意味はない。
意味がないとは言いすぎか、いる意味はあるが、決まった方向で作業をするための人という存在か。
誰もアイデアなんてそう簡単には思いつかない。
瞬間芸のように思うと間違いで、日々その仕事をどれだけ考えて、それにつながる基礎的な勉強をどれだけ積み重ねているかだ。
瞬間のアイデアは努力の積み重ねの結果だ。

もうひとつ、次のカンブリア宮殿で江ノ島の水族館の社長がでていて、水族館の従業員の人達、水族館に入れる魚を自分たちが湘南の漁船に乗せてもらって、定置網にかかる魚から自分たちで網ですくってくる。
漁師さんと仲良くなっていると地元の魚のことがよくわかると言っていたが、情報が大事だなという点だけではない。
人に任せないということが大事なんだな。
展示する魚選びを「専門家に任せる」というのも頭をよぎるはず。
自分も専門家なんだけど。
そこを人に任せず深夜0時に職場を出て漁船に乗り自分で魚を獲得しに行く。
技術者(と言っていいのか)の仕事のやり方として、この積み重ねが実力になっていく。
自分はどうかなと思う。
安易に人に任せていないか。
自分が専門家なのに専門家に任せるという発想になっていないか。

こういうことって、どういうモチベーションで考えるのだろうとふと思う。
仕事をただやればいいんだろうとか、これだけやったんだから認めてくれよとかいう感覚でやってたら出てこないんだな。
相手の満足を見て自分が満足する感覚、喜んでくれたら嬉しくて、不満そうな反応をされたら落ち込んで次こそはと意気込む。
仕事は仕事、お金がもらえればそれでいいというのではつまらない。
自分がやる仕事で相手に喜んでもらってお互いハッピー。
それが理想、ていうか日々そうしたい。
そのための日々の積み重ね。
努力できる人は頑張りましょう。