土木学会全国大会で考えたことメモ2009年09月03日 07時16分45秒

土木学会全国大会に来ています。
メモがてら、聴いて感じたことを書いておきます。

○流出解析のセッション
いまの流出モデルは、流域からの流出はタンクモデルなどの流出計算、河道は一次元不定流計算として、これらを組み合わせて川の水位を計算するのがもう一般的になっているようだ。
しばらく流出の分野から目を離しているうちにそうなっていたみたい。
ただ、流出モデルは研究グループによってまちまちで、タンクモデルを使っている大学もあれば、kinematic waveのところもあり、先日の水文・水資源学会で聴いた京大の方は分布型モデルでした。
研究レベルのことであって、実務ではまだまだだけど、モデルをつくってみて業務で提案してみてもいいよね。


○土木教育のセッション
現場の土木業者の方が、現場の裁量の中で近くの幼稚園などでちょっとした公園をつくったり、遊びスペースをつくったりしているという発表をされていた。
会社の考えというより、その方個人が教育に関して情熱を持っていて活動しているという感じだった。
こういう人が世の中を良くしていくんだろうなと、ひたすら感心する状態で、個人の活動をいかに組織がフォローするか、組織を動かすメリットを見つけて、さらに良くすることができるか、次は組織が試されるのだなと思った。

小学生や高校生に出前授業をするようになったという発表もあった。
土木系なので、防災に絡めて液状化や土石流の授業をされたようだ。
好評だったと言うけれど、土木学会として何を伝えようとしているのかをもう少し掘り下げてフィードバックしてほしいなと思った。

液状化や土石流の仕組みを簡単な装置で説明して子供達が「なるほど~」と感心したとしても、これって現象の説明なんだよね。
ここまでだと、ただの理科教育支援だよね。
それでもいいんだけど、でも土木学会として出て行くんなら、理科教育支援で終わってしまうのはあまりにもったいない。
なぜなら、対策あっての土木だから。
液状化や土石流のしくみがこうだから、いまの最先端の対策方法はこれなんだよと現場の工法開発なんかをセットにして伝えたほうがいいね。
授業としては盛りだくさんになりそうだけど、そこはちょっと知恵絞って工夫してさ。

現場見学にしてもそう。
首都圏外郭放水路の見学に高校生を連れて行った事例を紹介されていたけれど、これも何を伝えたのかが気になるんだ。
現場の工事責任者に目的とか大きさなんかをただ説明させただけで終わってたりして。
東京がどんな洪水で困っていて、これからも温暖化でどんな洪水が現実に起こるかもしれなくて、それでいろんな方法の中からこんな巨大な地下構造物にたどりついたんだという、教科書的な説明では見えないような背景を伝えられたら高校生の心に残るんじゃないかと思ったのだけど、どうだろうかね。
企画って、そのあたりを練り上げられるかどうかで、参加者の頭に何かが残るかどうかが決まるよね。


○合意形成の研究討論会
合意形成を進める仕組みのなかで、いま話し合いを進める役割の人として「合意形成プロデューサー」を位置づけるように動いています。
行政と市民とをつなぐ、中立的な立場の人。
お互いの考えをうまく引き出して、最終的には話し合いをどこかに着地させる役割と言うのかな。
それをきちんと専門職として位置づけるという考えだね。

討論会では、行政からのパネラーの方が、住民の意見をたくさん引き出せる、少数意見も流さない、最後は意見の集約ができる人が必要といわれていた。
千葉県の役所の方で、最終的に事業が中止という結論でもそれはそれで行政がそう判断すれば良くて、そんな例もあったという話だった。

だけど、会場で僕は質問したんだけど、住民から多くの意見を引き出して、行政からもたくさん説明させて、それで「納得いく中止」の結論になったとするでしょ。
住民も納得。
行政も、本当は事業をやりたかったところだけど、住民との話し合いの結果という中止の理由付けができて、まぁOKだと。
でもね、それで残るはプロデューサーでさ。
何も知らない外野から「あの人はさんざん意見を出させて、結果、事業を実施に導けなかったプロデューサーだ」というレッテルを貼られないだろうか。

いい話し合いはできたけど、そのプロデューサーにはそれ以来仕事が来なくなったということにならないか。
心配しすぎかな。
でも一度ついてしまった印象って簡単には変えられないからね。

パネラーからあまりはっきりした答えはなかったね。
そもそも解決しようのない難問を質問としてぶつける必要はなかったかもね。
「それはそれで仕方ない」という答えをされたパネラーもいたけど、それはちょっと無責任だよね。
合意形成プロデューサーを資格として位置づけようとするなら、資格者がいい仕事をするための環境をいかにつくるかをもっと真剣に考えてほしい。
最後はその人の裁量でという風に聞こえたので、ちょっとがっかりした。
ま、まだ仕組みを構築する過程なので、今後に期待しようとは思います。

合意形成では相手の関心ごとの説明を先に2008年12月23日 07時10分45秒

ある河川で、これから河畔林を伐採しようという計画を進めています。
役所だけで計画を進めずに周辺住民にきっちと説明して合意を得た上で事業を進めようとしている事業で、その計画づくりに業務で携わっています。

もう10年以上前、僕が仕事を始めた頃はダム計画の住民説明会ですら手探りでした。
それを考えると、河畔林の伐採だけでも住民と話し合うようになったというのは、世の中が変わったんだなと実感します。
ま、厳しい人から見たらまだまだ物足りないでしょうけどね。

業務では、技術士会の講習で学習した「ステークホルダー分析」という方法を応用させてみました。
ステークホルダー分析というのは、その事業に関係するいろんな立場の人が、その立場ごとにどんなことに関心があるのか、どんなことを求めるかを整理・分析して、説明の内容や情報提供の方法を組み立てるというものです。

と書くと、公共事業自体をいぶかしげに見る傾向の強い人達にとっては、役所が市民や団体を丸め込むうまい説明を考える方法のようにも聞こえるかもしれません。
でもそう悪いように考えず、住民の人達の立場ごとに知りたい情報をうまく提供できたほうが、お互いのためだと思うんですよね。

話を聞く側に、
「そんなことを知りたいんじゃない」
という不満を持たれるよりは、
「そう、それが聞きたかったんだ」
と思われるような説明をまずはしたいですから。

実はこれはステークホルダー分析を進めているうちに気がついた最大の収穫です。
聴き手に対して、まずは、その人が関心持っていることの説明をする。

例えば河川改修について、環境に関心ある市民団体に説明しようとしたら、役所は治水の必要性を熱心に説こうとしがち。
だけど、たぶん逆なんです。
環境に関心ある人には、まずは環境の情報を詳しく伝えることから始める。

一般市民の方達のなかには、専門家に勝る知識や考え方をもっている人から、ちょっと聞きかじった知識で全てを喋るような人まで様々な人がいます。
特に、関心は高いけど聞きかじりの少しの知識しか持ち得ていない人に、きっちりした情報を伝えることは、同じ土俵にのって議論をするために必要です。

例えば、河畔林で言えば、
「河畔林は日陰をつくって川の水温上昇を抑えるんだ」
とだけ言われると、それは間違いではないんですが、河畔林の役割ってそれだけではありません。
そういう人は、環境に対する意識が高いので、そもそもどんな樹種がその川に生えているかとか、どんな鳥が生息場に使っているかとか、環境面でのほかのいろんな話をすれば、どんどん理解が深まっていきます。

治水の話もそうです。
川の近くに住んでいて「洪水は困る!」と言う人には、まずはこれまでの洪水の履歴とか、目指している治水のレベルとか、洪水対策への関心にあわせた説明から始めた方が理解が深まります。

相手の関心の中心をずばっと貫くような説明をしてから、それ以外の関心ないこともきちんと説明する。

こう書いてみると、これは日常の身の回りでも通じます。
職場でも家庭でも。
相手に何か説明するときは、自分がしたい説明から入るのではなく、相手が気にするであろうことからは入る。

ま、これが難しいんだろうけど。
想像力ですからね。
そう、いろんな場面で想像力が試されるんですよ。

ちょっと話がそれた。
相手の関心にあわせた説明から入るという、合意形成での説明方法のポイントの話でした。

「交渉学の基礎」研修を受けて…交渉を避けないことが大事なのです2008年12月01日 12時32分13秒

技術士会北海道支部主催の「交渉学の基礎」という研修に参加してきました。

研修に参加する前は、交渉の学問って一体何だろうというくらいの意識しかなかったのですが、世の中のあらゆるもめごとを論理的に整理する考え方があることにまず驚きでした(僕が知らなかっただけ?)。

アメリカでは外交、契約交渉、環境問題、家庭問題まであらゆることに対する解決手法が「交渉学」として研究されているそうです。

交渉ごとを学習で身につけようとすると、本屋でビジネス書を買って読むくらいのことしか思いつかなかったですが、ビジネス書って個人の経験的な知恵で書かれたものが多いですよね。
交渉ごとが学問として論理的に整理されているということがわかっただけでも僕にとっては有意義でした。

ちなみに講師の松浦さん(東京大学公共政策大学院)によると、東大では交渉学を1年かけて授業していて、ちょっとしたトラブルから環境問題、国際紛争まで演習でケーススタディさせているそうです。
そうやって大学の時にしっかりと交渉学の考え方を身につけた人であれば、世の中で起きている些細な争いごとや、その解決の仕方なんて幼稚に見えるんでしょうね。

あと、もめごとの解決では、立法や司法による判断はだいぶ強制的な解決で、それより話し合い色が強いのが「調停」、交渉はその前にあたるとのことです。
つまり、当事者同士の交渉が前提にあって、それで解決しないときに第三者による調停があり、それでもダメなときに司法や立法による強制解決になるということです。

そうなんですよね。
いまの世の中、交渉ごとを避けて、すぐに上からの決定に頼ろうとしがちだと思うんです。
お互いに主張があるときにでも、当事者同士で話し合いしてお互いの妥協点を見つけるという努力をせずに、例えば「上の人から言ってもらおう」とか「組織としてどっちか判断してください」とか、有無を言わせない強制力を頼ろうとする。

ちょっと会話するだけで解決することもあるんですよね、本当は。

きちっとした交渉の知識をいくら身につけても、交渉する(会話する)こと自体を無意識に避けると何にもならないです。
そこが一番大事なことなのかなぁと思いました。

ダム計画をやるかやらないか誰が決めるのか2008年09月13日 07時01分09秒

川辺川ダムの計画がストップしそうだ。
熊本県知事が県議会で反対表明して、国土交通省もダムなしの方法を含めた治水計画を検討するというような考えを示したようだ。

僕は川辺川ダムの計画の詳しいことを知っているわけではないので、計画の是非はわからない。
ただ、川辺川ダムというと、思考の影響を受けたダムであり、成り行きが気になる計画である。

僕は大学院を出てコンサルタントに入って最初に携わったのはあるダム計画の仕事だった。
川辺川ダムのような大きなダムの計画ではなかったけど、小さいダムでも計画はひとつひとつ検討ごとを積み重ねていく。
僕は地域の雨の分析や流出解析をして、ダム規模なんかを決めるところを任された。

その頃に本屋で見つけたのが川辺川ダムの計画に疑問を投げかける地元記者が書かれた本だった。
計画に対する疑問ではあるけれども、単なる感情や思想ではなく、計画書の数字をきっちり洗い出し、洪水対策の効率性や経済性に踏み込んだ議論を展開していた。

事業者側としてダム計画づくりに追われていた自分にとって、その本の内容は衝撃だった。
正直言うと、仕事し始めたばかりの僕は日々勉強で、発注者から叱られながらやるべきことに追いつくことで精一杯だった。
だけどその本では専門の立場でない人がきっちり技術論を理解していた。
僕は感心しつつ焦った。
専門の立場として普通に仕事ができるレベルに達するだけではなく、事業者側の考え方だけに偏らない思考を身につけていくにはその先どれくらいの時間がかかるのだろうかと。

ところで、ダム計画は時間がかかる。
巨大な構造物をつくるので、地質を調べたり、構造を決めたりするのにより慎重になる。
調査って、調査してみて問題が見えることもあるので、そうなると次の年により詳しい調査が必要になったりして、さらに時間がかかることにもなる。
そんなことを繰り返しているうちに時間が過ぎていく。
時間が過ぎていくうちに、流域の人口が変わったり、時代の変化で世の中の意識が変わっていく。

治水計画って「判断」だ。
どこまでの洪水を防ぐか、ダム計画自体の経済性と環境や漁業、ほかの産業などを考え合わせて、どれくらいの洪水対策を求めるか、誰かが判断することだ。

今回の川辺川ダムの場合は、いまの知事が反対の表明をしたことで計画が一時停止となった。
だけど、やはり人の判断ごとなのだ。
知事が替わって、次の人が賛成表明したらまたダム計画が復活するかもしれない。

繰り返しになるが、僕は川辺川ダム計画の是非はわからない。
だけど、やるかやらないかの決定のプロセスには注目していきたい。

だれが決めるのか。
これが合意形成の議論の中で実は盲点になっているのではないだろうか。

魚眼レンズと「調停」の講習2008年07月15日 06時34分00秒

昨日は、午前中ヨドバシカメラへ。
同僚が業務で魚眼レンズを買ったのだけど、思い通りのものでなかったので相談に行くのに一緒にきてほしいと頼まれて行ってきた。
植物の調査で、上空の天空率(?)を見るのに、見上げた360度を写真で記録しようと買った魚眼レンズが360度写るわけではなかったと。
レンズ選びのときにも相談を受けていたので乗りかかった船だと同行することにした。
知らなかったのだけど、魚眼レンズには対角魚眼と円周魚眼とがあるとのこと。
円周魚眼だとまさに360度が写るのだけど、対角魚眼では360度で撮った円形の画像の内側から対角線で四角形を取り出すので、全体にはならないということだった。
僕はそんなに厳密に360度を写真に収めておく必要もあるのかなと思いながら見ていたけど、同僚は結局コンバージョンレンズに買い直すことにした。
そんなやりとりを横目に僕は周りをぶらついて物色。
一眼の広角がほしいなぁ。
10-20mmくらいの広角ズームをほしいとずっと思っている。
室内で人を写すのに28mmではまだ大きい。
コンパクトデジカメもほしい。
仕事で使っているマイデジカメは6年前くらいのオリンパス。
そろそろ新しいのに切り替えたいと思うのだけど、これがなかなか手ごわい。
ぜんぜん壊れないのだ。
調子悪くなったら買い換えようと思うのだけど、調子悪くならない。
まぁあまり不自由していないからいいか。

午後は技術士会のテクニカルスクールへ。
合意形成のシリーズで、今回は「調停(メディエーション)」。
ロールプレイも含めて4時間は長いかなと思っていたけど、あっという間に終わった。
対立する双方の間に立ったときにどのようなスタンスで協議を促すか。
やはり大事なのはじっくり聴くことだそうだ。
そしてお互いに歩み寄るように話し合いを補助するようなイメージ。
レクチャー用のビデオにあったのだけど、不都合な話があるときは、個別に別室で話し合うことも可能ですよと調停者がいうことも可能だそうだ。
ただアメリカでは基本は三者で話し合うけど、日本の例えば裁判なんかでは「個別に別室で」が基本だと。
文化の違いなのか。

そう言えばテーブルで一緒になった三田村さんという若い人が、こういう講習では何でもアメリカとかヨーロッパから学びましたという話になるけど、日本のことを海外が学ぶってことはないんでしょうかねと言われていた。
そうなんだよなぁ、例えば先の例だと「個別に別室で」が遅れているように聞こえるけど、それはそれで日本の文化なのかもしれない。
それで日本の社会がうまくいってるのだったら何も変える必要はない。

調停者が間に立って公平な立場で話し合いができるというシステムが確立されたら世の中は言い方向に行くかと言えば、もしかしたらアメリカのような訴訟社会になっていくかもしれない。
それが日本の目指すべき姿かどうかという本質の議論を置き去りにして物まねで進むのはやめたほうがいい。

講習会のあとは、久々に大通り方面に出たので東急ハンズに寄る。
アウトドア向けの財布を買って、あとはリュックを物色して帰る。