テストの見直しと仕事のチェック2009年09月16日 12時48分05秒

僕はテストで見直しをする人だったか?

確か、見直しは好きじゃなかったんだ。
最後の問題ができたらもうおしまい。
時間が余っていても見直しは嫌でさ、いつもぼけーっと時間が過ぎるのを待っていたような気がするね。

見直しが面倒なのは、間違いがあるかもと本気では思っていないからかもしれない。
ケアレスミスは、ない時もあるけど、ある時もある。
て言うか、何かしら必ずある。
本気で見直しをしてみると、間違い発見ということも実際多い。

思い出したんだけど、社会人になってすぐの頃、あるデータ整理の仕事をすることになってね。
膨大なデータをパソコンに入力することになったんだけど、それを派遣で来ていたアシスタントの女性に頼んだ。
しばらく経って「とりあえず最後まで入力はできましたよ」とその女性が言ってきた。
そして「でもチェックがまだだから」とも付け加えた。

僕は入力前の膨大な紙のデータと入力されたエクセルシートを眺めて、このアシスタント女性はこの入力値をこれからひとつひとつチェックするのかと思うと、僕のほうが気が遠くなった。

でもアシスタントとして仕事をしてきている彼女にしたら、データを間違って入力していたら、それこそ叱責ものなんだな。
裏方作業としての成果は失敗がなくて当たり前と見られてしまう。
彼女らはいくつもの仕事の経験の中で、ミスは限りなくゼロにして依頼者に仕事を引き渡すという自分たちの役割を、実感として認識していたのだろう。

彼女のやり方を見て僕は自分の仕事のいい加減さを実感した。
自分はミスも言葉でごまかせればいいやってかんじで、ずるさで切り抜ければいいというくらいにしか思っていなかったからね。

僕は今でも仕事で「チェックしなきゃ」って思う場面では、この時のアシスタント女性とのやりとりを思い出すんだよね。
面倒だなって気持ちが頭をよぎったら、あのアシスタント女性が頭の中で勝手に登場してさ、「ダメだよ」って叱られそうになる。

だけど、自分の成果のチェックって実は難しいんだよね。
自分では間違っていると思っていないから。

例えば資料づくりを頼まれたとき、ひととおりできた瞬間にすぐに「できました!」って持って行くってことあるよね。
それで、頼んだ人と一緒にその成果を眺めたらミスがたくさん出てくる。
しかも頼んだ人が見つけるのではなく、つくった本人がその場で気づいていく。
他人にチェックしてもらうまでもなく、自分で容易に気づく程度の間違いもボロボロと出てくるのだ。
間違いも例えばページが逆さまだったり印刷ミスがあったり、ページ忘れとか、明らかな誤植だったり。

実はこんなミスは、1分、または5分だけパラパラと確認するだけで見つかるんだ。
その1分のチェックを惜しんだばかりに、せっかくの努力の成果にケチがついてしまう。

もったいないんだよね。
手がかかってつくり上げた成果でも、ちょっとしたばかばかしいミスがひとつあるだけで、成果の印象がガラッと変わってしまうんだ。
数日とか数週間かけた仕事が、1分の最終チェックを惜しんだばかりにイマイチという烙印を押されることになりかねない。

でもさ、実際は、チェックの時間を惜しんだんじゃないんだよね。
惜しむか惜しまないかなんて考えてなくて、「自分でまずはチェックする」ってことが頭に思い浮かんでいない。
つまりチェックが習慣化していないんだ。

でも、なかなか自分のチェックが習慣にならない人も多いと思うんだ。
そんな人は、ホントはいい仕事しているのに、なかなか評価されないかもしれない。
自分チェックって習慣化しづらいからね。

それでも1分の見直しをとにかく自分の義務にする。
自分の信用を高めるためにね。