ダム計画をやるかやらないか誰が決めるのか2008年09月13日 07時01分09秒

川辺川ダムの計画がストップしそうだ。
熊本県知事が県議会で反対表明して、国土交通省もダムなしの方法を含めた治水計画を検討するというような考えを示したようだ。

僕は川辺川ダムの計画の詳しいことを知っているわけではないので、計画の是非はわからない。
ただ、川辺川ダムというと、思考の影響を受けたダムであり、成り行きが気になる計画である。

僕は大学院を出てコンサルタントに入って最初に携わったのはあるダム計画の仕事だった。
川辺川ダムのような大きなダムの計画ではなかったけど、小さいダムでも計画はひとつひとつ検討ごとを積み重ねていく。
僕は地域の雨の分析や流出解析をして、ダム規模なんかを決めるところを任された。

その頃に本屋で見つけたのが川辺川ダムの計画に疑問を投げかける地元記者が書かれた本だった。
計画に対する疑問ではあるけれども、単なる感情や思想ではなく、計画書の数字をきっちり洗い出し、洪水対策の効率性や経済性に踏み込んだ議論を展開していた。

事業者側としてダム計画づくりに追われていた自分にとって、その本の内容は衝撃だった。
正直言うと、仕事し始めたばかりの僕は日々勉強で、発注者から叱られながらやるべきことに追いつくことで精一杯だった。
だけどその本では専門の立場でない人がきっちり技術論を理解していた。
僕は感心しつつ焦った。
専門の立場として普通に仕事ができるレベルに達するだけではなく、事業者側の考え方だけに偏らない思考を身につけていくにはその先どれくらいの時間がかかるのだろうかと。

ところで、ダム計画は時間がかかる。
巨大な構造物をつくるので、地質を調べたり、構造を決めたりするのにより慎重になる。
調査って、調査してみて問題が見えることもあるので、そうなると次の年により詳しい調査が必要になったりして、さらに時間がかかることにもなる。
そんなことを繰り返しているうちに時間が過ぎていく。
時間が過ぎていくうちに、流域の人口が変わったり、時代の変化で世の中の意識が変わっていく。

治水計画って「判断」だ。
どこまでの洪水を防ぐか、ダム計画自体の経済性と環境や漁業、ほかの産業などを考え合わせて、どれくらいの洪水対策を求めるか、誰かが判断することだ。

今回の川辺川ダムの場合は、いまの知事が反対の表明をしたことで計画が一時停止となった。
だけど、やはり人の判断ごとなのだ。
知事が替わって、次の人が賛成表明したらまたダム計画が復活するかもしれない。

繰り返しになるが、僕は川辺川ダム計画の是非はわからない。
だけど、やるかやらないかの決定のプロセスには注目していきたい。

だれが決めるのか。
これが合意形成の議論の中で実は盲点になっているのではないだろうか。

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