これからの時期はゆったり充電しつつ仕事だ ― 2008年04月07日 06時26分14秒
先週後半は会社を休んで休養していました。
ちょっとした春休み気分でしたね。
今日からリフレッシュして再スタートです。
年度末の慌ただしい時期を終えて、当分は追い立てられないゆったりペースで仕事ができそうです。
実はこれからの数ヶ月が充電期間としてはとても大切。
じっくり勉強できるのもこの時期だし、過去に仕事した川を時間かけて見て回ることもこの時期なら余裕持ってできます。
計算の新しいプログラムをつくるのもこの時期かな。
それに、時間があると言っても日常の仕事もないわけじゃないし、この時期は提案書書いたり見積もりをつくったりという作業も飛び込んできます。
おちおちしていたら、あっという間に時間が過ぎていきます。
なのでヒマな時期のように見えて、結局は忙しく働くことになります。
気持ちに余裕がある分だけいいですけどね。
追われず、積極的にいろんなことをやっていこうと思います。
ちょっとした春休み気分でしたね。
今日からリフレッシュして再スタートです。
年度末の慌ただしい時期を終えて、当分は追い立てられないゆったりペースで仕事ができそうです。
実はこれからの数ヶ月が充電期間としてはとても大切。
じっくり勉強できるのもこの時期だし、過去に仕事した川を時間かけて見て回ることもこの時期なら余裕持ってできます。
計算の新しいプログラムをつくるのもこの時期かな。
それに、時間があると言っても日常の仕事もないわけじゃないし、この時期は提案書書いたり見積もりをつくったりという作業も飛び込んできます。
おちおちしていたら、あっという間に時間が過ぎていきます。
なのでヒマな時期のように見えて、結局は忙しく働くことになります。
気持ちに余裕がある分だけいいですけどね。
追われず、積極的にいろんなことをやっていこうと思います。
穴あけパンチを買い換えないですんだけど ― 2008年04月08日 06時26分50秒
卓上の穴あけパンチのリーダーが折れた。
ふとした拍子に、簡単に折れた。
パンチが非常に使いにくくなった。
リーダーがないといちいち紙を半分に折って中心を決めないといけない。
パンチを新しく買うか。
でもプラスチックのリーダーが折れただけでパンチそのものが廃棄処分とは、もったいないし心が痛む。
だからと言っていつも紙を半分に折って穴を開けるのか。
試しにその事務機器メーカーにメールで問い合わせた。
リーダーだけを入手できるかと。
答えは「できます」。
近くの事務用品店に行って注文して下さいと。
聞いてみるもんだなと思いながら、早速、札幌駅近くのロフトに行って注文した。
そして昨日受け取りにに行った。
これで穴あけパンチ復活。
良かった。買い直さないですんだ。
その値段。
プラスチックのリーダーひとつ350円なり。
ちょっと高くない?
ふとした拍子に、簡単に折れた。
パンチが非常に使いにくくなった。
リーダーがないといちいち紙を半分に折って中心を決めないといけない。
パンチを新しく買うか。
でもプラスチックのリーダーが折れただけでパンチそのものが廃棄処分とは、もったいないし心が痛む。
だからと言っていつも紙を半分に折って穴を開けるのか。
試しにその事務機器メーカーにメールで問い合わせた。
リーダーだけを入手できるかと。
答えは「できます」。
近くの事務用品店に行って注文して下さいと。
聞いてみるもんだなと思いながら、早速、札幌駅近くのロフトに行って注文した。
そして昨日受け取りにに行った。
これで穴あけパンチ復活。
良かった。買い直さないですんだ。
その値段。
プラスチックのリーダーひとつ350円なり。
ちょっと高くない?
自分の自信から出てくる表現 ― 2008年04月09日 05時30分29秒
「下請けに仕事をやらせてさ・・・」
「アルバイトに作業をやらせたらさ・・・」
30を過ぎた頃だったかな、前の会社にいた頃、同期の社員仲間と話をしていたとき、ある同期の友人がしきりとこんな言い方で自分の仕事を説明してくれました。
もう10年近く前のことなんですが、この時の会話が妙に僕の記憶に残っています。
彼の得意そうに自分の仕事を話す口調が。
たぶん自信を持っていたのでしょう、自分の仕事っぷりに。
自分が周りを手足のように使って仕事を切り回していることを僕ら同期に示したかったのかもしれません。
30過ぎと言えば、それまで上司の指示で仕事を覚え、打ち合わせに行っては叱られ、下請けさんから逆に仕事を教えられるようなこともあったりしてきたのが、実質仕事を自分でこなせるようになり、打ち合わせでも自分の考えを伝え、下請けさんにも自分の指示でものをお願いして、そうやって仕事をたくさんこなせるようになる頃。
仕事を自分でうまく切り回せている実感があると、それが自信になっていきます。
だけどみんなが「仕事をやらせて」という言い方を使ってたわけではありません。
使っていた人は限られていたような気がしますね。
仕事ができて、しかも自分をアピールしたがる傾向の人、かな。
と言いつつ、僕もたまに油断したときに言ってしまうこともありました。
「いやぁ、これじゃ資料が足りないって思ったから、慌ててアルバイトに指示して図をひとつ作らせたんだよ」とか
「いつもの下請けさんにやらせたらうまくいったよ」とか。
やっぱり自分を誇示したいときにこんな言い方になっていたような気がします。
だけど、聞いてる側はあまりいい気がしないですよね。
何だか自慢話を聞いている気分になります。
それに下請けさんとかアルバイトさんを見下したような言い方だし。
ずっとこんな言い方をしていると、本当に見下すようになってしまうかもしれません。
最近、同世代の友人と話す機会が何度かあったのですが、「どうしてこの人はこんなに自信持ってるだろう?」って思うことがありました。
自信を持ってることは大事なことなんだろうなって思いつつ、何だか言い方が気になるなぁって思っていました。
そんなことを考えているうちに、先の30初めの頃の同期のことを思い出したのでした。
自信を持つって大事だと思います。
だけど自信から出てくる自分の言葉や態度には気をつけなきゃ。
「アルバイトに作業をやらせたらさ・・・」
30を過ぎた頃だったかな、前の会社にいた頃、同期の社員仲間と話をしていたとき、ある同期の友人がしきりとこんな言い方で自分の仕事を説明してくれました。
もう10年近く前のことなんですが、この時の会話が妙に僕の記憶に残っています。
彼の得意そうに自分の仕事を話す口調が。
たぶん自信を持っていたのでしょう、自分の仕事っぷりに。
自分が周りを手足のように使って仕事を切り回していることを僕ら同期に示したかったのかもしれません。
30過ぎと言えば、それまで上司の指示で仕事を覚え、打ち合わせに行っては叱られ、下請けさんから逆に仕事を教えられるようなこともあったりしてきたのが、実質仕事を自分でこなせるようになり、打ち合わせでも自分の考えを伝え、下請けさんにも自分の指示でものをお願いして、そうやって仕事をたくさんこなせるようになる頃。
仕事を自分でうまく切り回せている実感があると、それが自信になっていきます。
だけどみんなが「仕事をやらせて」という言い方を使ってたわけではありません。
使っていた人は限られていたような気がしますね。
仕事ができて、しかも自分をアピールしたがる傾向の人、かな。
と言いつつ、僕もたまに油断したときに言ってしまうこともありました。
「いやぁ、これじゃ資料が足りないって思ったから、慌ててアルバイトに指示して図をひとつ作らせたんだよ」とか
「いつもの下請けさんにやらせたらうまくいったよ」とか。
やっぱり自分を誇示したいときにこんな言い方になっていたような気がします。
だけど、聞いてる側はあまりいい気がしないですよね。
何だか自慢話を聞いている気分になります。
それに下請けさんとかアルバイトさんを見下したような言い方だし。
ずっとこんな言い方をしていると、本当に見下すようになってしまうかもしれません。
最近、同世代の友人と話す機会が何度かあったのですが、「どうしてこの人はこんなに自信持ってるだろう?」って思うことがありました。
自信を持ってることは大事なことなんだろうなって思いつつ、何だか言い方が気になるなぁって思っていました。
そんなことを考えているうちに、先の30初めの頃の同期のことを思い出したのでした。
自信を持つって大事だと思います。
だけど自信から出てくる自分の言葉や態度には気をつけなきゃ。
「提案」に必要な自信 ― 2008年04月10日 06時38分01秒
僕の部署の同僚達、ほとんどが僕より若い人達なんですけど、打ち合わせで説明するのを横で見ていると、「結果」の説明はしっかりやるのだけど、「提案」がどうも苦手な人が多いです。
急に声が小さくなったりして。
社内では強気に僕に説明してくれたはずなのに、発注者の前に出たら言葉が出ない。
相手の前に出たとたん自信がなくなるように見えます。
と言うわけで今日もまた「自信」の話です。
結果の説明と提案の説明とは、はっきりと違いがあります。
「結果」には考えが入っていないけど、「提案」には自分の考えが入ります。
だから「結果」は仮に否定されても、それはそうなったんだからしょうがないでしょって自分から切り離して開き直れますが、「提案」は自分の考えだから、否定されたら自分が考えたことが受け入れられなかったってことになって落ち込むことになります。
自信を持って「提案」するには何かの裏付けがいるのです。
その裏付けは経験なのか、年齢なのか、場数なのか、性格なのか。
どれもちょっと違うような気がします。
自分がどれだけ深く掘り下げて考えた結論なのか、どれだけ必要な情報を調べて根拠付けしているかで自信は変わってくると思います。
経験年数だけでは自信は生まれません。
だけど掘り下げて考えると自信が生まれるかというとそう単純でもありません。
深くやればやるほど自信がなくなっていくこともあります。
むしろあまり考えてない仕事のほうが自信持ってたりして。
自信を持つまでには3段階あるように思います。
ちょっと調べて大体のことを理解したとき、わかった気になります。
その時点で無意識に自信を持ちます。
これが1段階目。
まだ現実ときちんと向き合えていない段階とも言えます。
そのあともっと調べて深く掘り下げ始めたら、自分が知らないことが膨大にあることに気づいて、不勉強さを自覚して謙虚になる。
ここで自信がなくなる。
これが2段階目。
そこで諦めずにさらに勉強して、自分でもじっくり考えて、やっと本質が見えてくる。
本質が見えると大体の議論に対応できるようになって、つまりそれが自信になる。
これが最後の3段階目。
もちろん説明に自信を持つためには、自分の知識や考えの深さだけでなく、相手が何を求めているか、それと自分の提案が合致しているかという、相手との関係も出てくるので、そう単純ではありません。
この相手関係というところは、やっぱり経験なのかな。
いや、これも意識して自分で訓練していると見えてくることだと思います。
だから自信がなさそうに見えた人には、「もっと自信を持って」と声をかけるより、「自信を持つためにもっと仕事にのめり込め」ということになるのでしょうか。
でもちょっとスパルタだなぁ。
急に声が小さくなったりして。
社内では強気に僕に説明してくれたはずなのに、発注者の前に出たら言葉が出ない。
相手の前に出たとたん自信がなくなるように見えます。
と言うわけで今日もまた「自信」の話です。
結果の説明と提案の説明とは、はっきりと違いがあります。
「結果」には考えが入っていないけど、「提案」には自分の考えが入ります。
だから「結果」は仮に否定されても、それはそうなったんだからしょうがないでしょって自分から切り離して開き直れますが、「提案」は自分の考えだから、否定されたら自分が考えたことが受け入れられなかったってことになって落ち込むことになります。
自信を持って「提案」するには何かの裏付けがいるのです。
その裏付けは経験なのか、年齢なのか、場数なのか、性格なのか。
どれもちょっと違うような気がします。
自分がどれだけ深く掘り下げて考えた結論なのか、どれだけ必要な情報を調べて根拠付けしているかで自信は変わってくると思います。
経験年数だけでは自信は生まれません。
だけど掘り下げて考えると自信が生まれるかというとそう単純でもありません。
深くやればやるほど自信がなくなっていくこともあります。
むしろあまり考えてない仕事のほうが自信持ってたりして。
自信を持つまでには3段階あるように思います。
ちょっと調べて大体のことを理解したとき、わかった気になります。
その時点で無意識に自信を持ちます。
これが1段階目。
まだ現実ときちんと向き合えていない段階とも言えます。
そのあともっと調べて深く掘り下げ始めたら、自分が知らないことが膨大にあることに気づいて、不勉強さを自覚して謙虚になる。
ここで自信がなくなる。
これが2段階目。
そこで諦めずにさらに勉強して、自分でもじっくり考えて、やっと本質が見えてくる。
本質が見えると大体の議論に対応できるようになって、つまりそれが自信になる。
これが最後の3段階目。
もちろん説明に自信を持つためには、自分の知識や考えの深さだけでなく、相手が何を求めているか、それと自分の提案が合致しているかという、相手との関係も出てくるので、そう単純ではありません。
この相手関係というところは、やっぱり経験なのかな。
いや、これも意識して自分で訓練していると見えてくることだと思います。
だから自信がなさそうに見えた人には、「もっと自信を持って」と声をかけるより、「自信を持つためにもっと仕事にのめり込め」ということになるのでしょうか。
でもちょっとスパルタだなぁ。
どうでもいいことに没頭できる時間をつくれない ― 2008年04月11日 06時04分35秒
昨日、鳥の専門家の知人と話していたら、彼は自分のHPで毎年4月1日に大嘘を書くのだと言ってました。
今年の4月1日は、スペースシャトルに彼の研究している鳥が搭乗することになったとアメリカで報道があったという内容にしたそうです。
そのHPを見せてもらったのですが、それがまた凝っていて、大嘘の英字新聞を自分で作ってその解説文をホントに丁寧に書いています。
そして彼はメールで
「時間かけてこんなの書いて、自分ながらちょっと馬鹿みたいですが」
と自虐していました。
だけど、そんな他人からしたらどうでもいいようなことに時間をかけて没頭するって実は楽しいですよね。
(HPで大嘘書いてけしからんという話は置いといて)。
楽しいんだけど、忙しい日常生活の中では、どうもこういう時間が先に削り取られていきます。
そんなことにまわす時間がない。
さらに、僕のことで言うと、かつて連日、深夜遅くまで仕事をしていた頃のくせか、とにかく何でも効率よくしようとすぐに考える習慣が身に付いてしまっています。
何でも効率よくしないと仕事下手になったような敗北感を感じるので、例えば席を立ってコピーをとるのとゴミを捨てるのとを同時にやろうとしたとき、どこをどう歩けば一番効率いいか、手戻りのない手順はどうなのかということをすぐに考えるわけです。
ホントはコピーとゴミの順番くらいどうでもいいのですが、もう無意識に「最小限の労力」というのを考えないと気が済まないような思考になってしまっています。
1日の時間の使い方もそうです。
仕事の時間もあれば、うちに帰って家族と過ごす時間もあるし、うちで本を読んだり文章を書いたりする時間もあります。
全てをやろうとしたら自ずとまたそれを効率よく割り振ろうとします。
通勤電車の中は読書、電車おりてからは歩きながら英会話、夜は早く寝て、早起きして家族みんなが寝ている間に仕事したり勉強したりする。
それもどの時間に割り振ってもいい訳ではなく、読書は身動きがとれずほかのことができない通勤電車が適していて、英会話なんかは通勤電車や昼休みの会社の中ではぶつぶつつぶやく訳にはいかないから、会社までの歩く時間がいちばんいいのです。
でもそうやって効率よくいろんな時間をやることで埋めていくと、確かにいろんなことが効率よくできるようになるのだけれども、実はあてもなくぼやーっと考える時間がなくなっていきます。
そうすると面白いアイデアが自分の中から出てきにくい。
アイデアってまじめにじっくり考えているときより、ぼやーっと考え事をしているときにふっと出てくることが多いような気がします。
反対に机に向かってじっくり考えるのは、アイデアがあってそれを理詰めでカタチにしていくようなときに向いているような気がします。
適当にどうでもいいことを楽しめる時間もとりながら、もう少し気分的にゆとりのある時間の使い方をしなきゃ生活自体が楽しくなくなるし、発想も貧困になっていくなぁと思うんだけど、やっぱり気がついたら何かに追われるような生活をしているんだよなぁ。
今年の4月1日は、スペースシャトルに彼の研究している鳥が搭乗することになったとアメリカで報道があったという内容にしたそうです。
そのHPを見せてもらったのですが、それがまた凝っていて、大嘘の英字新聞を自分で作ってその解説文をホントに丁寧に書いています。
そして彼はメールで
「時間かけてこんなの書いて、自分ながらちょっと馬鹿みたいですが」
と自虐していました。
だけど、そんな他人からしたらどうでもいいようなことに時間をかけて没頭するって実は楽しいですよね。
(HPで大嘘書いてけしからんという話は置いといて)。
楽しいんだけど、忙しい日常生活の中では、どうもこういう時間が先に削り取られていきます。
そんなことにまわす時間がない。
さらに、僕のことで言うと、かつて連日、深夜遅くまで仕事をしていた頃のくせか、とにかく何でも効率よくしようとすぐに考える習慣が身に付いてしまっています。
何でも効率よくしないと仕事下手になったような敗北感を感じるので、例えば席を立ってコピーをとるのとゴミを捨てるのとを同時にやろうとしたとき、どこをどう歩けば一番効率いいか、手戻りのない手順はどうなのかということをすぐに考えるわけです。
ホントはコピーとゴミの順番くらいどうでもいいのですが、もう無意識に「最小限の労力」というのを考えないと気が済まないような思考になってしまっています。
1日の時間の使い方もそうです。
仕事の時間もあれば、うちに帰って家族と過ごす時間もあるし、うちで本を読んだり文章を書いたりする時間もあります。
全てをやろうとしたら自ずとまたそれを効率よく割り振ろうとします。
通勤電車の中は読書、電車おりてからは歩きながら英会話、夜は早く寝て、早起きして家族みんなが寝ている間に仕事したり勉強したりする。
それもどの時間に割り振ってもいい訳ではなく、読書は身動きがとれずほかのことができない通勤電車が適していて、英会話なんかは通勤電車や昼休みの会社の中ではぶつぶつつぶやく訳にはいかないから、会社までの歩く時間がいちばんいいのです。
でもそうやって効率よくいろんな時間をやることで埋めていくと、確かにいろんなことが効率よくできるようになるのだけれども、実はあてもなくぼやーっと考える時間がなくなっていきます。
そうすると面白いアイデアが自分の中から出てきにくい。
アイデアってまじめにじっくり考えているときより、ぼやーっと考え事をしているときにふっと出てくることが多いような気がします。
反対に机に向かってじっくり考えるのは、アイデアがあってそれを理詰めでカタチにしていくようなときに向いているような気がします。
適当にどうでもいいことを楽しめる時間もとりながら、もう少し気分的にゆとりのある時間の使い方をしなきゃ生活自体が楽しくなくなるし、発想も貧困になっていくなぁと思うんだけど、やっぱり気がついたら何かに追われるような生活をしているんだよなぁ。
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