就職準備で大学生が壊れていく2008年03月28日 06時49分32秒

昨日大学生向けに講演した話を書きましたが、大学2年生、とても純粋で無邪気だったんですよ。
懇親会の時にも、20歳くらい離れている僕に対してもあまり媚びることなく、聞きたいことをニコニコして聞いてくる。
爽やかなんですよね。

懇親会のあと、僕の同級生で准教授やっている友人のところに寄ってそんな話をしたら、
「そうだよ、彼らかわいいだろ」
と。
そうか、彼にとってはそれはかわいいって表現になるんだと聞いていたら、続けて
「でもな、それが1年経って4年生の直前くらいになると全然変わってしまうんだ」
と言う。どういうこと? って聞くと、
「たぶん就職活動の勉強を始める頃から変わるんだ」
とのこと。
必ずしもそれが原因だと言い切れるわけではないけれど、タイミングとしてはぴたっと合うのだと。
そんな話をしていた場所は彼の研究室に所属する学生の部屋で、目をちょっとそらせば机の上に公務員試験対策とか面接はこれでバッチリみたいな本が並んでいる。

世の中のせいにする訳ではないんですが、ほんとにいろんなことが画一化してしまう世の中なんでしょう。
就職対策となったらみんな右にならえで一斉に同じ準備を始める。
中身を学習する前にまず「やり方」に走る。
本屋に走って「やり方」を頭に入れる。
その決まった「やり方」に沿って人と同じようなアプローチをたどって安心する。
プロセスを人と同じに合わせることで気分的に安心し、「やり方」というレールに一度乗っかればそこをひた走ることは、くぐり抜けた受験勉強で慣れている。

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実は技術士試験も同じなんですよ。
技術力が試されると言うより、どちらかというと受験の準備にたけた人が試験に出そうな知識を詰め込んで受かる。
経験で技術を蓄積した結果の技術士より、受かるための「やり方」のレールを見つけてそこをひた走る人が受かる試験になりつつあるような気がしています。
こんなことを書くとほかの技術士さんからは暴言だと怒られるかもしれませんが。


で、そうやって受かることが良いのか悪いのかということを言いたいのではなくて、そう言う「やり方」のレールを見つけて、人が示した正解をたたき込む頭の訓練をし続けると、自分の頭でいろんな発想をするという能力がどんどんなくなっていくと思うんですよ。
僕は技術士試験の勉強を毎年のように繰り返しているうちに、自分がそうなってきているような気がしたんです。
すごく恐ろしくなったんです。

変な訓練を繰り返すことで、自分の頭が、自分の考えを自分の頭の中で作り上げるということができない頭になっていく。

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大学2年生。
就職も大事だろうけど、変な勉強はやりすぎるなよ。
せっかくの無邪気さ、僕の講演を聴いて何かを感じたというその純粋な感性が、研ぎ澄まされていくのではなく逆に退化していくよ。
感性が退化したら容易には戻らないよ。
そしてそんな金太郎あめ状態に画一化した学生は企業は見向きしないよ。