技術者倫理への道2008年05月16日 06時19分31秒

この10年くらいで技術者倫理って言葉がだいぶ浸透したように思います。
倫理なんて別に技術者に限らないことなんですけどね。
どうしてわざわざ技術者の倫理なのか。

技術者の仕事は関わった個人だけでなく、広く社会に影響していく可能性があるせいでしょう。
携帯電話なんかがわかりやすいですね。
機器を開発するのは技術者だけど、携帯電話ができたことで人々の生活スタイル、コミュニケーションの形態が根本から変わってしまいました。
ネット技術もそう。
情報のスピードが変わっただけでなく、新しい犯罪が生み出されたり、子供の陰口の温床ができたり、考えられないような社会の変化につながっています。
負の側面だけ見ていたら、いっそ技術が開発されない方が良かったんじゃないかとも思えます。

考えてみれば、技術者の仕事って誰かに頼まれて始まることがほとんどです。
技術者自身が発案して生み出す仕事っておそらくほとんどなくて、こんなことできたらいいのにって思いついた人がいて、それをカタチにできる人に頼むその相手が技術者なのでしょう。
誰かに求められて開発・改良する。
頼まれるということは、誰かの何らかの役に立つことなので、自分の技でそれをかなえてやろうって思うんですね。
それが技術者の使命って言うか、技術者冥利って言うか、そんなところが技術者の喜びなんです。

その時、頼まれて成し遂げようとしていることが、どんなことにつながっていくのか、頼み手のメリットだけでなく、社会的な影響、それも今だけでなく5年後、10年後にどんな変化をもたらすのかというところまで考えが至らない時も多いのではないかと思います。
なぜなら、日常の仕事では、世の中を良くしようという大きなことより、ほんのちょっとしたことがうまくいった時とか、相手の要望をかなえられた時の喜びのほうに目が向くからです。
世の中全体より、目の前の人の望みをかなえてあげることのほうが反応が直接的で喜びを感じやすいので。
自分を頼ってきている時はなおさらですよね。
世の中より、もう相手しか見えなくなります。

技術の仕事と言えども、全て手法や材料が確立されているわけでなく、些細なことから選択の判断の連続です。
そんなひとつひとつの判断基準をどこにおくか。
それがすなわち技術者倫理だと思います。
マニュアルじゃないですよ。
マニュアルだとしても、そのマニュアルを使うかどうかも判断ですから。

依頼者の要求に応えているか、それが世の中のためになるか。
単純に全てOKとなることは稀で、いろんな制約条件のなかで建て前と本音を織り交ぜて、どれを選択すべきか迷う時に技術者倫理という言葉が登場するのだと思います。

そうすると「技術者は技術者倫理を勉強すべき」となるのか。

そうじゃないと思います。
「あなたなら技術者としてどう判断する? Q&A集」みたいなのを一生懸命勉強して判断の方法を学ぶ?
それも思考訓練としては役に立つかもしれないけど、判断のテクニックを磨いているだけで本質ではないですね。

自分の仕事、自分の判断がどのように社会に影響するか、些細な仕事でもその積み重ねが社会の変化につながることを自覚して、自分の仕事をどこか客観的に見られる視野を身につける。
ひとつひとつの判断の拠り所を、依頼者の思惑だけでなく、経験で身につけた専門知識だけでもなく、もっと広い視野での見通しにするために、そのバックボーンとしての教養を深めるのが、遠いけどとるべき道だろうって思います。

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