尊敬するという言葉の自分なりの使い方2008年05月02日 06時05分32秒

尊敬するという言い方を意識して遠ざけてきたんですよ。
簡単には使わない。
「すごいなぁ、尊敬するなぁ~」という具合にふつうの会話では間違っても使わない。
何かもっと本当に気持ちが動かされたとき、自分の生き方、考え方が変わるような衝撃を受けたときに使うものとしてとっておいています。

だから例えば「尊敬する人は誰ですか?」「両親です」という言い方もしない。
両親を尊敬しているかどうかは実はよくわからなくて、両親って何かまた違う存在というか、少なくとも僕にとっては「尊敬」という言葉が当てはまる対象ではなくて。

いや別にみんなそうすべきだということではなくて、僕がそうしてきたというだけです。
僕が尊敬という言葉にそういう意味づけをしてきただけなので。
なのでリスペクトという言葉も嫌い。
そんな簡単に尊敬かよって思ってしまったりして。

僕が尊敬するという言葉を使う対象は思い浮かぶ人で数人。
ある時衝撃を受けて、その時点で自分の届かないところに漠然とした目標のようなものが突然現れたようなそんな存在。
こんな人になりたいと無意識に思って、勝手にその向きで自分が進み出しているということがごくごく稀にあって、その人もどんどん前に進んでさらに手が届かなくなりそうになる。

だから僕の希望としては、その尊敬する人も走り続けていてほしい。
て言うか、走り続けるような人を知らないうちに選んでいるような気もするのだけど。

ところで誰?

ここまで書くと明かさねばならない流れだなぁ。
引っ込みつかないと自分で納得して、ひとり明かすと、

辻仁成