打ち合わせがチェックだけの場になるのはもったいない2008年02月18日 05時49分37秒

先日、川での市民活動をされている女性と会って話をする機会がありました。
行政の川の維持管理のことを聞くのが目的でした。

その方は子ども達を集めて自然観察会などをする市民団体をつくって活動されています。
それだけあって、さすが話題が豊富、しかもパワフルで、その雰囲気に圧倒されそうでした。

何と言ってもアイデアが豊か。
発展性のある考えがぽんぽん出てくる。
見たもの、聞いたものに対して、こうすればもっと良くなる、こんな風にやれば市民にも広がるとか、次に何をすればどう展開できるかという発想がどんどん湧いて出てくるという感じ。

役所の河川の維持管理の話になると、これまた、いまある制度をこんな風に変えてくれればもっと活用しやすくなるとか、住民の関心を川に向けるにはどうしたらいいとか、アイデアが出てくる、出てくる。
そして、そんなことをよく役所の担当の方に伝えるのだけど、なかなか反映されないし、新しい制度ができたと思って見たら全く市民感覚とずれた施策内容になっていたりと、いろんなことにもどかしい思いを持っているようでした。

こういう話を聞くと、やっぱり役所はダメだなとか、やる気がない、改革・改善する意欲がないと短絡して受け取ってしまいそうですが、簡単に結論づけないほうがいいかもしれません。

やる気がないから市民団体からの提案を受け入れられないのか。
改革・改善する意欲がないから、聞く耳を持てないのか。

やる気や意欲の問題ではないかもしれません。

人から何かを提案されたとき、その提案をうまく生かしてやり方を軌道修正していくという仕事のやり方ができるかどうか、実は人によって上手い下手があるんじゃないかなと思います。
誰もができるわけではない。
それは役所の人に限らず、どんな立場でどんな仕事をしていてもそうです。

日常の打ち合わせの場面なんかで考えると、依頼された側が何かを考えて資料をつくって持って行きます。
その資料を発注側に見せて説明しますが、発注側はその内容を吟味して、受け取るか、修正させる指示を出すか、いずれかのパターンの判断をするだけの場合が多いですね。
打ち合わせで「協議」したことになっているのだけれども、つまりは打ち合わせが「チェック」をするだけの場になっているのです。

仮に依頼された側が何らかの提案を持ってきたとしても、それを採用するかどうかの取捨選択をするだけのことが多い。
採用するかどうかの「判断」が発注側の役割と考えられているからだと思います。

もちろんそれでもいいのです。
アイデアを出すところをお金を出して相手に頼んでいるわけだから、考えさせたことが自分達の希望と合っているかどうかを判断すればいい。
そして希望と合っていなかったら、突き返してもう一度考えさせればいい。

だけど、ただ採用するかしないかだけの判断や、採用しないときに差し戻してまた考えさせるということだけをやっていると、提示されたアイデアを提案者と一緒にじっくり考えて、さらにいいものに変えていくという過程は挟まれないことになります。
発注者と受注者が、私は仕事を出す人であなたが考える人というように明確に分けて仕事をすると、役割分担としてはすっきりしますが、成果を一緒に練り上げるという手順がなくなる分だけ、成果に深みがなくなる可能性もでてきます。

もちろんプロとして受注者が完璧なものを納品せよという考え方もわかります。
そのほうが考えとしては正しいかもしれません。
でも実際はモノを必要としているのは発注している側で、切迫しているのは発注側です。
その発注側がどんなモノにしたいかという意図を明確にもち、提示されたモノを、受注者と一緒に知恵を絞りながら自分達が必要とする最終形に整えていくという工程を入れるか入れないかで成果の質はだいぶ変わります。

行政と市民団体の話に戻すと、そんな一緒に知恵を絞るという過程を経ないイエス・ノーの仕事のやり方に慣れていると、市民団体なんかから不意の提案があったときに、市民団体の話をじっくり聞き、行政ができることとしてその提案をどう変えていくか、一緒に知恵を絞るということがしにくくなるのかもしれません。
実は提案している側の市民団体は、行政が単純に自分達の要望をかなえてくれることではなく、自分達と一緒に考えてくれることを求めているかもしれないのですが。

その結果、市民団体から受けた提案は、採用するかどうかのイエス・ノーだけの判断になり、往々にしてノーとなるのでしょう。
もしくは行政にとって都合のいいところだけを抽出して変形させたもので世の中に出ていき、最初に提案したものからは主旨が大きく離れたものとなって、提案者を失望させるということになるのかもしれません。

やる気とか意欲があったとしても、仕事のやり方で成果の質は大きくかわります。

人からの提案をうまくいかして仕事をするというのは、できる人には簡単で当然のことかもしれないけれども、実はそんなに簡単なことではないのかもしれませんね。
何かを提案されたとき、やるべきは取捨選択ではなく練って育てるという手順です。
そういう意識をもって仕事していかなければいけないなぁと思ったところです。