環境保全は発想を自分の分野で限定したらダメなのだ2008年07月13日 21時59分44秒

「自分は自分のやるべきことをやるだけです」

不祥事があった会社で一般社員がインタビューされたときや、協会なんかの組織がごたごたしているときのスポーツ選手がよくこんなふうに言います。
ごたごたは全体を統括管理する立場に任せて、現場は全体のことに巻き込まれず目の前のことをきっちりこなしていくことが役割で、むしろそれを意識的に再確認するような意図もあってこんな言葉がよく出てくるのだと思います。

先日も仕事で開発局の方と話していて、いまの開発局解体論は大変なことになっていますねというような話になったとき、その方も「でも僕らは目の前の仕事をきっちりこなしていくだけですよね」と言われていました。

やっぱり、全体がおかしな方向に向いているときや、何らかのきっかけで風向きがおかしくなったとき、現場の実務者が全体の流れに流されてはいけないって思って、そこで踏ん張るために足もとを見つめ直すという意識になるのでしょう。

立場に応じて与えられた役割を忠実にこなすというのは悪いことではありません。
興味が発散してひとつのことに集中できないような状況より、むしろまっすぐに集中してやるべきことをやるという意味で、あるべき姿のような気もします。

ただ、ちょっと待てよとも思うんですよ。
河川の環境調査の業務をやっているときに、最近、やっぱり河川という領域の中だけで考えることが、すごく環境を限定することになるなと思ったんですよ。
今さらなんですけどね。

堤防と堤防の間がもう森というくらいに樹林化している川があるとします。
(実際たくさんあるんですけど)
樹木が繁茂していると出水の時に流れの阻害になるからと伐採の計画を立てるんですけど、樹林化した森には時間の経緯とともに生物がすむようになっています。
そして、以前は川の周りにも森はたくさんあったんですが、農地や住宅なんかで森は減り、今となっては川にだけ森があるという状態です。
川にある森は地域全体としては残された貴重な森ということになります。

そんなときに、川の中の森は本来なかったもので、流れの阻害になるからと伐採するとどうなるか。
地域全体で森がなくなってしまいますね。

川にしか森が残っていないので川の森を残してくださいって言ってみたらどうなるか。
たぶん「木を切らないと洪水の危険が高いままです。地域を守るために木を切ります」というような答えが返ってくると思います。
そして「川を管理する立場としては、治水という役割を全うするのがひとつの重要な仕事です」というようなことも言われるかもしれません。

間違ってはいません。治水も大事ですから。
だけど、僕も含めて川に携わる人が川のことだけを指して、僕らは堤防と堤防に挟まれた範囲のことを考えることが自分たちのやるべきことですって限定してしまったら、川の計画がまわりの環境と全然関係のないものとして進んでしまうことになりかねません。

ちなみに、治水の計画は川の周りの状況と関連づけていますけどね。
治水は、氾濫する水をどう抑えるか、氾濫した場合にはどれくらいの被害がでるかということを考えることなので、自ずと川の周りの土地利用や人口やらが関係してきます。
だけど、環境をどうするかという問題になると、まだ川の中だけで考える習慣から抜け出せていなくて、地域全体の環境のなかでの河川の環境という視点になっていないような気がします。

環境を本気で考えようとしたら、自分は自分の持ち分をきっちりこなすだけですという一見美しそうな言葉ですぐに自分を限定せず、まずは広い視野を持って全体を俯瞰して、その上で自分の立場でできることを考えていくという手順が必要だということです。

環境保全ってひとつひとつの現場の積み重ねだと思うんですよね。
自分の仕事の分野は川だからと、川という狭い範囲に視点だけで考えず、地域全体の環境を良くするという視野をひとつ持って、各々の現場での環境の提案をしていきたいと思います。