気が向かないことを組織の立場として喋れるか2007年09月16日 21時02分36秒

自分の考えと組織の方針とが違ったときに、
組織の人間になりきれるか。

例えば営業の人がある商品を手渡されて、
「これ売ってくれ」と言われたけど、
自分なら絶対に買いたくないような商品で、
それでもお客さんの前で流ちょうな言葉を使って
それを勧められるか。

次の会議で部署の方針を自分が説明することになったけど
実は自分はその方針に賛成しかねている。
それでも部署の代表としてもっともらしく喋るのか。

たとえ話は置いといて、
僕の仕事はほとんどが役所相手なんですが、
役所の人を見ていると、たまに、
役所とはそういう葛藤をしないといけない職業だなって
感じるときがあります。

土木業界、つまり公共事業に携わる分野なので、
このご時世、世間の風当たりが非常に強いんですが、
中にはほんとにこれやる必要あるのかなって思うようなものも実はあります。
そしてそれを担当することになった役所の人も
気が進まないけど組織の立場として推進しようとしている
(ように見える)時があります。

そんなとき、役所に勤めるって大変だなぁって思います。
自分がその事業に疑問をもったとしても、表に立ったら、
「やらなければならない」
という立場を崩せない。

ただ一応、補足しておきますが、
公共事業のいるいらないはとても複雑ですよね。
いま書いている「疑問」の発想は
ある意味感覚的なところのことです。
いろんな要素をきっちり考えると、
恩恵を受けるひと、受けない人で考え方が変わるし、
どの程度の環境が重要かとか、
そこで生活している人の生活はどうなるんだとか、
全てを考え始めたらどれが正解か何て誰にもわからない。

と、ちょっと風呂敷を広げすぎた話になってしまった。
話を戻します。

こんなことを改めて思ったのが、
総裁選の候補者選びのときに、
チルドレンと言われる方々が小泉さんの再登板を熱望したというのを聞いて、
そうか、彼らは小泉さんから安倍さんにトップが変わって、
党の方針がかわってよっぽどやりにくかったんだろうなと。

たぶん、リーダーが阿倍さんに変わって、
党の方針も変わったことで、
それを自分の言葉で語れなくなったのでしょうね。
小泉さんの「ぶっこわす」考え方に共鳴して政界に入って、
小泉さんの時はその方針で自分の言葉で言えた。
ところが阿倍さんの路線になってから、
考えを喋ろうにも、党の方針と違うことはあからさまには言えないので、
支援者の前でも勢い持って喋れなくなったのではなかろうか。
だとすると、やっぱり必死になりますね、
小泉さんに再び登場してもらおうと。

自分の考えと違う組織の考え方を、
その組織に属しているからと言って、
自分の言葉で語れるか。
これはつらいなぁ。

考えの違うところは触れずにおいて、
影響のないところを熱弁する。
そんな選択肢を考えるかもしれない。

自分のことで言えば、
仕事を始めた新人の頃に回ってきた仕事はダム計画。
正直、イヤだったんですよ。
気が進まないんですよ。

ただ、繰り返しになりますが、
公共事業のいい悪いは一概に言えない。
たとえダム計画でも。
あえて言うとすれば地域との合意形成のやり方が
いまもうまくないということだけは言えますかね。
でもとにかく気が進まなかった。

ま、それはいいとして、
新人なので、日々の作業の中では新しく知ることだらけで
それはそれで面白いことも多いのだけれど、
ふと我に返ると面白くない。

それでも携わっている者としてそんな不満顔はせず、
仕事として喋り、資料をつくる。

「本音とたてまえ」という言葉に置き換えられるのですかね。
でもあんまりいいストレスではないですよね。

でもこれが組織に属して働くことのひとつの条件なんでしょうか。
そして、そんな葛藤を日々繰り返している人は
僕が考えているよりずっとずっと多いのでしょうか。
このストレス社会。
頑張りましょうね。

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