僕が議論がなぜ苦手だったかがわかった2007年09月05日 06時33分02秒

河川の現地調査にでかけることが多くて、
出張はほとんど同僚と一緒に車で行くのだけれど、
移動時間の間はほとんど何かお喋りしています。
そしてそのお喋りのなかでいろんなことに気づくことがあります。

気づくと言うより、
会話を相手と積み重ねていく間に、
自分では考えを掘り下げられなかったところが
ある瞬間にすっと前に進むっていう感じですかね。

相手の話に自分が何か返そうとして一生懸命考えて、
それで思いついたことを話す。
それを繰り返しているうちに、結果として、
自分ひとりでは考えつかなかったような考えを
知らないうちに自分で話し出してたりすることもあります。

いい考えが浮かんだなぁと感心することもあれば、
喋りながら自分の言ってることがホントにそうだろうかって
疑問を持ち始めることもあります。
もちろん相手の発想に感心する時もたくさんあります。

実はこうやって会話を重ねることで
自分の考えていることが練られていくとか、
新しいアイデアが生まれるということを
実感するようになったのは最近なのです(!)

日常での議論の場面というのは
会議とか打ち合わせですね。
だけど、よく考えたら打ち合わせでは議論という議論はしてなくて、
考えてきたことを相手に説明して、
さあどれにしましょうかと、
取捨選択をする場くらいにしかなっていない場面が
多いような気がするなぁと、ある時思ったのです。

仕事の場面では
説明する人とそれを判断する人という関係になりがちで、
そうなると実はお互いのやりとりを重ねながら
発想を前進させていくという展開になりにくい。

もともと議論することより、
決めることが大事という意識が強いからかもしれません。

あとは人どうしに上下関係があるせいもあるでしょう。
上の立場の人つまり発注者や会社の上司は、
判断して方針を決めることが大きな役割ですから。

説明する人は自分のつくってきた資料を
理解してもらうことにまずは一生懸命になり、
相手から指摘がきたら、
自分も間違っていないというところを崩さないようにして
いかに切り抜けるかを考え始める。

判断する立場の人はわからないことの質問はするけど
返ってきた答えを受け入れるかどうかをまた判断するだけ。
いい結論がでなかったら、その場でみんなで知恵を出すということはせず、
「もう少し考えてきて」と宿題にまわす。

でもこれは新しい発想が生まれるような議論ではないですよね。
そもそも議論と言わないのかもしれない。

やりとりの中で自分に次の発想が生まれて、
それを話したら相手が自分の言葉を受けて次のことを考えて・・・
で、当初考えつかなかったような結論にたどり着いている。

そう言うやりとりをして何かをつくり上げていきたいなって
そう思うようになったのは最近なんですよ。ホント最近。

そうなると仕事の打ち合わせでもそんなことを求めるようになる。
もちろん相手、場の雰囲気にあわせてですけどね。

でもこれまではそんなことを考える余裕なかったなぁ。
相手に丸め込まれないようにとか、
理解できずに議論から取り残されるということのないようにとか
そんなことばかり考えてたからなぁ。

僕は昔から議論の場面が実は苦手だったのだけど、
それはこのせいだったのかもしれない。
議論は勝つか負けるかの闘いの場ではないよね。
意見出し合って、その結果、発想が前進すればいいんだから。
闘いに負けないようにって考えすぎてたのかも。

いいメンバーといい議論して
いい仕事していこうと思います。

とある大学院生の退学を聞いて思う2007年09月07日 12時39分18秒

僕の知っている大学院生が退学したと昨日聞いた。

ちょっと考えさせられた。
退学したことではなく、退学のしかたにだ。

彼は博士後期課程の1年生。
つまり大学院の修士課程2年間を修了して、
さらに上のドクターコースに進んだものの、
半年でやめたというのだ。

「就職が決まった」

が理由らしい。

僕も昨年の春まで同じ研究室の博士課程に通っていたから
彼のことは知っている、
でも彼とはあまり話はしなかったから、
顔と名前が一致する程度で、
性格とか考え方はほとんど知らない。
その程度という前提で、と前置きして書く。

「あなた、ちょっと自分本位すぎやしませんか?」

この4月に大学に行ったとき、
卒業したはずの彼がまだ研究室にいたので、
あれっと思ってほかの人に聞いたら
彼はドクターコースに進んだのだと教えてくれた。
あまり研究者向きではなさそうだけどなと思いつつ、
修士論文をまとめる過程で研究に目覚めるということもあるしな
と思ってあまり気にとめなかった。

それが半年もたたないうちにさっさと退学した。

たぶん博士課程への進学は、研究欲からではなく、
就職できなかったための単なる居残りだったのでしょう。
僕の勝手な想像なので違うかもしれませんが、
周りからはそう見られてもしょうがない行動です。
僕でなくてもそう見ます。

大学院に進学するには試験があります。
なので当然、試験をパスして博士課程に進んだはずです。
だからと言って、
大学にいるかいないかは自分の判断だけの問題なのか。
自分の実力で、自分の都合で入ったと思うかもしれませんが、
そこには必ず相手がいます。

少なくとも研究室の先生は自分を引き受けてくれたのでしょう?
面倒を見ると決めた学生が半年もたたずにさっさと出て行くって
どう思うか考えたことはないのかい?

たとえ就職のための一時的な進学だったとしても、
そそくさと退学せず、
せめて1年間は研究室にいて
とってくれた先生のために1本くらいは論文書いて、
成果を残してから出て行くという選択肢は
頭に浮かばなかったのかい?

先生だけでなく、
研究室には自分の下に修士、学部の学生達がたくさんいますよ。
彼らは先輩の背中をじっと見てますよ。
あなたがとったそんな態度を見て
修士課程、博士課程ってそんなもんなのかって思いますよ。

そこには美学のかけらもない。

自分のやることに後ろめたさを感じないのだろうか。
感じないのなら自己中心的すぎる。
感じるのならその葛藤に負けたのか。
もっと葛藤と戦うべきだったのではないか。
それとも余力がなかったのか、
葛藤との戦い方を身につけていなかったのか。

僕は、大学院を出て社会人になって10年あまりが過ぎた。
仕事は葛藤の連続だ。
技術的な仕事をしていてもだ。
数字や正論だけでは割り切れないことが次々と現れる。

選択した方法に理屈づけするやり方はいくらでもある。
さらに、経験を積めば良くも悪くもいろんな引き出しができる。
自分の本意でない方向にすすみつつあっても、
相手の評価を気にして、待ったをかけず、
その方向で理屈づけして問題が通り過ぎるのを待つのか。
自分の意思は飲み込んで消化し、
立場の強い人の意向に流されるほうが楽だ。

そこで踏みとどまれるかどうかは、
その人の美学の持ち方だと思う。

美学は自分で鍛えるしかない。
まわりの人から、読んだ本から、新聞からテレビから
いろんなところから影響を受ける。
そこからいい影響を受けるためには、
言葉や場面に共感できるような感性を磨かないといけない。
感性を磨くのもやはり自分だ。

偉そうに言ってて、自分はどうなんだ?
そう、自分に言い聞かせて書いているのだ。
美学を鍛えるために感性を磨く。

親の関心が半分なら子供に伝わるのはそのまた半分か2007年09月12日 22時47分34秒

先日、同僚から聞いた話なんですが、
魚の調査を専門にしている人が
頼まれて小学校の総合学習の手伝いに行ったとき、
小学校4年生に魚捕りをやらせたら、
子供の魚のつかみ方に愕然としたらしい。

ぎゅっと握りしめるようなつかみ方をしたそうだ。
つまり小学校4年生にもなって、
魚をどうつかんでいいのかわからない。
まるでもっと幼い、何も知らない子供がやるような
握り方だったそうだ。

実は生きた魚をつかむことなんか、
ほとんど経験ないのかもしれない。
素手で触ったことすらない子供も多いのかも。

いまの子供達の身近なまわりでは、
日常的に生き物を見たり捕ったりできるような
自然が減ってきている。
それに、ゲームやテレビとか、
興味関心を引く刺激的で魅力的なものが
身近なところに昔より圧倒的にあふれている。

それともうひとつ、
生き物・自然、外遊びに関心もってない親が
意外と多いのではないか。

親が外遊びにあまり関心なければ、
子供を外で遊ばせようとしないし、
虫取り、魚捕りに一緒に行くっていう
発想すら湧かない。

僕らのさらに上、僕らの親たちの世代は、
子供の頃はみんな自然の中で遊び回ったのだろう。
そんな親たちの子育てには、
意識して「外で遊ばそう」というのはなかったかもしれない。
子供が外で遊ぶということは
自分たちにとっては当たり前すぎることだったから。

僕らはそんな親に育てられたけれど、
高度成長期で世の中少しずつモノが満たされ始めた時期だ。
外で遊びつつ、うちではテレビを見ていた。
つまり、ちょっと乱暴な言い方をすると、
外で遊ぶのは僕らの頃ですでに遊びの中の半分だったのだ。
親たちが全部だったのに比べて、半分だ。
外遊びに目が向く人の数が半分と言っていいかもしれない。
これが僕らの世代だ。

その「半分」の経験を持って、
この世代はいま子育ての真っ最中だ。
たとえ半分でも、それをきっちり子供に伝えればいいけど、
「半分」の経験者のうち、それを伝えようとするのが
そのまた半分だったらどうする?
半分の半分、つまり4分の1しか
今の子供達に伝わらないことになる。

こうやって「半分」が世代ごとに繰り返されて、
100年後には、日本では自然に興味持つ子供はクラスに1人
となってたりして。
うーん、恐ろしい。
まぁそこまではならないと思うけどね。

僕は川の関係の仕事をしているけど、
このことは、僕らの分野の将来に大きく関わることだなぁと
最近思うようになったのです。
すごく大事なことです。
これについてはまた改めて書きます。

気が向かないことを組織の立場として喋れるか2007年09月16日 21時02分36秒

自分の考えと組織の方針とが違ったときに、
組織の人間になりきれるか。

例えば営業の人がある商品を手渡されて、
「これ売ってくれ」と言われたけど、
自分なら絶対に買いたくないような商品で、
それでもお客さんの前で流ちょうな言葉を使って
それを勧められるか。

次の会議で部署の方針を自分が説明することになったけど
実は自分はその方針に賛成しかねている。
それでも部署の代表としてもっともらしく喋るのか。

たとえ話は置いといて、
僕の仕事はほとんどが役所相手なんですが、
役所の人を見ていると、たまに、
役所とはそういう葛藤をしないといけない職業だなって
感じるときがあります。

土木業界、つまり公共事業に携わる分野なので、
このご時世、世間の風当たりが非常に強いんですが、
中にはほんとにこれやる必要あるのかなって思うようなものも実はあります。
そしてそれを担当することになった役所の人も
気が進まないけど組織の立場として推進しようとしている
(ように見える)時があります。

そんなとき、役所に勤めるって大変だなぁって思います。
自分がその事業に疑問をもったとしても、表に立ったら、
「やらなければならない」
という立場を崩せない。

ただ一応、補足しておきますが、
公共事業のいるいらないはとても複雑ですよね。
いま書いている「疑問」の発想は
ある意味感覚的なところのことです。
いろんな要素をきっちり考えると、
恩恵を受けるひと、受けない人で考え方が変わるし、
どの程度の環境が重要かとか、
そこで生活している人の生活はどうなるんだとか、
全てを考え始めたらどれが正解か何て誰にもわからない。

と、ちょっと風呂敷を広げすぎた話になってしまった。
話を戻します。

こんなことを改めて思ったのが、
総裁選の候補者選びのときに、
チルドレンと言われる方々が小泉さんの再登板を熱望したというのを聞いて、
そうか、彼らは小泉さんから安倍さんにトップが変わって、
党の方針がかわってよっぽどやりにくかったんだろうなと。

たぶん、リーダーが阿倍さんに変わって、
党の方針も変わったことで、
それを自分の言葉で語れなくなったのでしょうね。
小泉さんの「ぶっこわす」考え方に共鳴して政界に入って、
小泉さんの時はその方針で自分の言葉で言えた。
ところが阿倍さんの路線になってから、
考えを喋ろうにも、党の方針と違うことはあからさまには言えないので、
支援者の前でも勢い持って喋れなくなったのではなかろうか。
だとすると、やっぱり必死になりますね、
小泉さんに再び登場してもらおうと。

自分の考えと違う組織の考え方を、
その組織に属しているからと言って、
自分の言葉で語れるか。
これはつらいなぁ。

考えの違うところは触れずにおいて、
影響のないところを熱弁する。
そんな選択肢を考えるかもしれない。

自分のことで言えば、
仕事を始めた新人の頃に回ってきた仕事はダム計画。
正直、イヤだったんですよ。
気が進まないんですよ。

ただ、繰り返しになりますが、
公共事業のいい悪いは一概に言えない。
たとえダム計画でも。
あえて言うとすれば地域との合意形成のやり方が
いまもうまくないということだけは言えますかね。
でもとにかく気が進まなかった。

ま、それはいいとして、
新人なので、日々の作業の中では新しく知ることだらけで
それはそれで面白いことも多いのだけれど、
ふと我に返ると面白くない。

それでも携わっている者としてそんな不満顔はせず、
仕事として喋り、資料をつくる。

「本音とたてまえ」という言葉に置き換えられるのですかね。
でもあんまりいいストレスではないですよね。

でもこれが組織に属して働くことのひとつの条件なんでしょうか。
そして、そんな葛藤を日々繰り返している人は
僕が考えているよりずっとずっと多いのでしょうか。
このストレス社会。
頑張りましょうね。

むなしい環境調査にやりがいをもたせるには2007年09月18日 22時21分53秒

僕の仕事は河川の調査と計画です。
調査と言ってもいろいろあって、
水質調査もあれば魚や植物なんかの生物調査、
流れている水の量を計測する流量調査、
変わったところでは川に来ている人の人数を数える調査もあります。

でもほとんどメインは生物調査。
でも僕の専門は生物ではないので、
実際には同じ部署の生物専門の社員が調査をします。

仕事としていろんな川に出かけて、
網で魚捕ったりもします。
北海道なので景色もよく水もきれいな川も多くて、
自然の中で仕事している実感で
それだけで楽しくなるときがあります。

でも、たまに生物調査担当の社員が言うことがあります。

「調査がむなしい」

ため息つきそうな顔でこういわれると僕もつらい。
いったい彼らの気持ちは何なのか。

調査して結果を示しても計画は何ら変わらない。
これがむなしさの原因のようです。

河川改修やダム計画があると、いまはどんな小さな川でも
ほとんどの場合、環境調査が行われます。
それはもう、またげば渡れるような小さな川でも
きっちり予算つけて環境調査がなされます。
いわゆる事前調査としてです。

そんな環境調査が役所から発注されて、
僕らのような会社が受注して調査をします。
で、どんな植物が生えてますよとか、
どんな魚がいますよとかいう結果と、
それをふまえて改修でどんなことに注意したらいいかを
報告書にまとめて役所に提出します。
これが僕らの仕事。

だけど彼らの感じるむなしさは、
どんな報告書を書いても、
工事の時にちょっとした「配慮」がされるだけで、
計画の根本が変わることはない
というところから来ているみたい。

確かにそうなんです。
植物調査なら、貴重種の植物が工事の場所に生えていたら、
工事前にどこか無難なところに移植しておしまい。
魚なら、渇水の時にも川を行き来できるような最低限の
断面を確保しましょうとか、そんな程度。
もちろん報告書の提案の時にいろんなことを考えるのだけど、
改修のカタチがほとんど決まっているような状態では、
できることは限られます。

ダム計画に関係する調査でも、
できるだけ配慮はするけど、ダム計画自体が変わることは
ほとんどありません。
そんな状況で環境調査の報告書を丹誠込めて書いても
報われないならむなしくなります。
気持ちはわかる気がします。

ま、これでも10年、20年前と比べたらだいぶ進んだと思いますけどね。
環境調査自体あまりなされていなかったし、
やっていても今と比べたら全然レベルが低かったでしょう。
中には高いレベルのものもあったでしょうけど、
おそらく平均レベルは今と比べたら全然低かったのだと思います。

いまはそれと比べたらだいぶ良くなったと思います。
平均レベルは確実に上がった。
でも、やっぱり環境調査が治水のための計画の付け足し程度の
認識しかないところから抜け出していない気がします。

環境に配慮するという言い方をよくするし、
これがもう決まったフレーズとしてあまたの場面で使われています。
でも僕はこれが環境へのスタンスを一番よく表していると思っています。
配慮という言葉を何の疑問も持たずに使い続けている間は、
配慮という付け足しのスタンスから脱却できないように思います。

そう、配慮なんですよ。
積極的に保全するというより、本来の目的があって、それ以外のことも
一応頭の中には残ってますよというスタンス。
ここから脱却しないといけない。

ではどうしたらいいのか。

僕が思うに環境調査をとにかく早い段階でやることです。
測量より前、
地図に計画のラインを入れる前。
どこにどんな植物が生えていて、
どこにどんな魚がいるかをわかって、
それが必要な環境を整理してから、
地図に計画の線を引いていく。
場合によっては計画そのものに目を向ける。

いまは少なくとも順番が逆。
線を引いて、だいたいの計画ができてから環境調査をやる。
するとその線を変えてしまうようなことを環境調査からの提案で言っても、
なかなか計画そのものを変えることはできない。

ダム計画もそう。
もちろん砂防ダムなんかも含めてですが、
ダムの治水や利水の計画を固める前に、
ダムサイトの適地選定の段階で、
地質調査とあわせて環境調査もやってしまう。
そうすると、少なくともダムの位置を決めるところから、
環境に負荷をかけないやり方や、
そもそもの必要性から議論できる。
もっとも、そこまでのやる気があればと言う話だけど。

とにかく計画が立ち上がった最初の段階で
環境調査をやる。
これが環境が配慮されるものから
積極的に保全されるものへと変わる
簡単で大きな軌道修正になると思っています。
10年後はどうなっているでしょうね。
そのために今できることは今やる。
それだけのことです。