親の関心が半分なら子供に伝わるのはそのまた半分か2007年09月12日 22時47分34秒

先日、同僚から聞いた話なんですが、
魚の調査を専門にしている人が
頼まれて小学校の総合学習の手伝いに行ったとき、
小学校4年生に魚捕りをやらせたら、
子供の魚のつかみ方に愕然としたらしい。

ぎゅっと握りしめるようなつかみ方をしたそうだ。
つまり小学校4年生にもなって、
魚をどうつかんでいいのかわからない。
まるでもっと幼い、何も知らない子供がやるような
握り方だったそうだ。

実は生きた魚をつかむことなんか、
ほとんど経験ないのかもしれない。
素手で触ったことすらない子供も多いのかも。

いまの子供達の身近なまわりでは、
日常的に生き物を見たり捕ったりできるような
自然が減ってきている。
それに、ゲームやテレビとか、
興味関心を引く刺激的で魅力的なものが
身近なところに昔より圧倒的にあふれている。

それともうひとつ、
生き物・自然、外遊びに関心もってない親が
意外と多いのではないか。

親が外遊びにあまり関心なければ、
子供を外で遊ばせようとしないし、
虫取り、魚捕りに一緒に行くっていう
発想すら湧かない。

僕らのさらに上、僕らの親たちの世代は、
子供の頃はみんな自然の中で遊び回ったのだろう。
そんな親たちの子育てには、
意識して「外で遊ばそう」というのはなかったかもしれない。
子供が外で遊ぶということは
自分たちにとっては当たり前すぎることだったから。

僕らはそんな親に育てられたけれど、
高度成長期で世の中少しずつモノが満たされ始めた時期だ。
外で遊びつつ、うちではテレビを見ていた。
つまり、ちょっと乱暴な言い方をすると、
外で遊ぶのは僕らの頃ですでに遊びの中の半分だったのだ。
親たちが全部だったのに比べて、半分だ。
外遊びに目が向く人の数が半分と言っていいかもしれない。
これが僕らの世代だ。

その「半分」の経験を持って、
この世代はいま子育ての真っ最中だ。
たとえ半分でも、それをきっちり子供に伝えればいいけど、
「半分」の経験者のうち、それを伝えようとするのが
そのまた半分だったらどうする?
半分の半分、つまり4分の1しか
今の子供達に伝わらないことになる。

こうやって「半分」が世代ごとに繰り返されて、
100年後には、日本では自然に興味持つ子供はクラスに1人
となってたりして。
うーん、恐ろしい。
まぁそこまではならないと思うけどね。

僕は川の関係の仕事をしているけど、
このことは、僕らの分野の将来に大きく関わることだなぁと
最近思うようになったのです。
すごく大事なことです。
これについてはまた改めて書きます。