折れないディスカッション2016年07月02日 07時16分45秒

先日のとある打合せ、相手とのやりとりで気丈にふるまったけれども、実はとてもダメージを受けて消耗していた。
正直、疲れた。
相手は、受け入れてくれてはいるものの、見方が狭くなっていると言う。
また、そもそもこちらの考えやいきさつをまずは理解してからという姿勢がないみたいで、感じたままでの否定を崩さない。

打ち合わせは戦いではなくディスカッションだと頭のなかで繰り返し言い聞かせ、自分が戦いモードにならないようにと踏ん張る。
愛嬌。
だけど、自分の考えだけでやってた仕事ではなく、担当を含めたメンバーのそれまでの積み重ねが理解されないままになるのはしゃくだし、簡単には引き下がれない。

確立した技術でなければ考えいろいろ、アプローチもいろいろ。
人によってやり方は変わるし、解釈も結論も変わる。
だからこそ考えを伝えてディスカッションなのだけど、相手のことも理解してみようかという思考がないと、結局は個人のバラバラの考えかバラバラに残るだけにしかならず、ディスカッションの意味はない。

思いつきだけで仕事する人、ちょっとネット検索して得ただけの知識で仕事するとか、参考文献を頑張って読むという手順を面倒がってやらない明らかな不勉強な人に対してなら、その人の表面的な主張を無理に理解をしようとする姿勢は必要ない。
時間をかけて努力してきた人が、下に降りすぎる必要はない。

日常からいろいろ考えている人どうしのディスカッションは、それはそれで主張がぶつかりすぎて難しいのかもしれない。
自分が正しいと思って折れにくくなるし、ディスカッションは主張があってこそ成り立つと思いすぎれば、どこまでも主張して平行線が交わることはない。

とは言いつつ、そんなディスカッションは嫌いではない。
ただ、消耗するのだけど。

アイデアを出せるようにする努力2016年05月06日 06時39分28秒

近所の桜、だいぶ咲いてきた。

カンブリア宮殿でUSJの社長が言われていたことで、努力をした先にアイデアは降りてくる。
日々の打ち合わせでも、さあどうしようという場面がよくある。
活発に意見が飛び交っているときはいいけど、必ずしもそんなときばかりではない。
発想が行き詰まる。
つかの間の無言の時間が流れる。
そんなとき、そこにいる個々はどうしてるか。

誰か何か言ってよと、誰かが口火を切るのをひたすら待つ。
発言を遠慮している顔をよそおって、アイデアを出せないことをごまかす。
大勢の打ち合わせの場面だけではない。
一対一の打ち合わせでも、どうしたらいいだろうねと相手から言われて何も返せず、ありきたりな言葉で場をつなぐ。
そして相手が言ったことに対して、
「ですよねー」
と、さも自分もそう考えていたかのように相槌を打つ。
勘弁してくれ。
アイデアを生み出す努力と先に口にするちょっとした勇気をわかってはいない。
企画とか計画に携わる立場は、次の一手のアイデアを出すのが仕事。
それを人の一言を待っていては、自分がいる意味はない。
意味がないとは言いすぎか、いる意味はあるが、決まった方向で作業をするための人という存在か。
誰もアイデアなんてそう簡単には思いつかない。
瞬間芸のように思うと間違いで、日々その仕事をどれだけ考えて、それにつながる基礎的な勉強をどれだけ積み重ねているかだ。
瞬間のアイデアは努力の積み重ねの結果だ。

もうひとつ、次のカンブリア宮殿で江ノ島の水族館の社長がでていて、水族館の従業員の人達、水族館に入れる魚を自分たちが湘南の漁船に乗せてもらって、定置網にかかる魚から自分たちで網ですくってくる。
漁師さんと仲良くなっていると地元の魚のことがよくわかると言っていたが、情報が大事だなという点だけではない。
人に任せないということが大事なんだな。
展示する魚選びを「専門家に任せる」というのも頭をよぎるはず。
自分も専門家なんだけど。
そこを人に任せず深夜0時に職場を出て漁船に乗り自分で魚を獲得しに行く。
技術者(と言っていいのか)の仕事のやり方として、この積み重ねが実力になっていく。
自分はどうかなと思う。
安易に人に任せていないか。
自分が専門家なのに専門家に任せるという発想になっていないか。

こういうことって、どういうモチベーションで考えるのだろうとふと思う。
仕事をただやればいいんだろうとか、これだけやったんだから認めてくれよとかいう感覚でやってたら出てこないんだな。
相手の満足を見て自分が満足する感覚、喜んでくれたら嬉しくて、不満そうな反応をされたら落ち込んで次こそはと意気込む。
仕事は仕事、お金がもらえればそれでいいというのではつまらない。
自分がやる仕事で相手に喜んでもらってお互いハッピー。
それが理想、ていうか日々そうしたい。
そのための日々の積み重ね。
努力できる人は頑張りましょう。

気づかないところで命を預けていることに気づくべき2016年05月01日 07時02分15秒

先週の現地写真、本文とは関係ないけど。

NHKスペシャルで冬のスキーバス事故のことを検証していた。
ずっと前の規制緩和でバス事業に参入するのが容易になったこと、それでも外国人観光客の増加でバスの需要がさらに高まってバスや運転手が足りていないこと、それなのに競争で運行の価格が安いままでそのひずみが現場にきていることというのが大体の構図のようだ。

業界の問題はそれはそれとして重要だと思うけど、そういう業界の事情で運行されている乗り物に、あまり疑問を持たずに旅行者は値段を見て乗り物を決めているということか。
安いものにはわけがあると言われれば当たり前だろと言い返すだろうけど、いざ自分がどこかに移動しようとしたときに安い手段に目が行くという、一般論と自分の思考のズレにあまり気が付かない。

飛行機で考えたことがあった。
日本の格安の航空会社にトラブルがあったとき、機長が南米の人だったという報道があった。
確かに、そのあとこの航空会社に乗ったときに、機体に掲示してあった貴重の名前も外国人だった。
外国人の機長が悪いということではなくて、自分の命を預ける先の乗り物の責任者がどんな人なのか全然知らずに、ただ漠然と日本の航空会社だから大丈夫だろうという感覚で乗り物選びをしていることに気づいたということ。

仕事って会社の名前が表に出るけど、実際にやるのは人。
なので、成果の質は人によってほぼ決まる。
その人を育てたり、成果のチェック体制とかは組織だから、必ずしも個人だけではないけど、ひとつひとつの場面ではやはり個人。
命に関わらないところだといいけど、仕事の場面では、こういう個人の命に関わることを、自分では決められない人に委ねているということに気づかない。

自分の命を委ねる場面はできるだけ慎重にしたい。
仕事では些細な失敗はいいのだ。
それよりも全然関係のないところで命を失わないことが実は大事。
安さにはわけがあると思って、安物買いで、実は命を預けるには危険があるようなものに無意識に手を出すことはやめる。
さらに、日常業務でも、仕事の成果はとりかえせるけど、事故での命はとりかえせないことを考えれば、安全にはもっと意識を高めるべき。

出来事いろいろ2016年04月23日 08時59分28秒

すっかり雪がなくなった。桜まではもう少し。

ずっと使っていた近くのガソリンスタンドが閉鎖となった。
昨年末に、すぐ近くの大手がサービス強化して潰しにかかったのは明らかだった。
お客さん持っていかれちゃうと店員さんは嘆いていた。
細々とでも続いてくれればいいなと思っていたけど、ひとたまりもなかった。
容赦なし。
商売は甘くないと言えど、これで誰が幸せになるのか。
近くではヤマダ電機の道挟んだ向かいにケーズデンキができて競争している。
どちらもすごく繁盛しているとは言い難い感じ。
会社として競争するのはいいけど、そこで働いている人はどうなのか。
店が普通にやっていけてるだけでもまずは十分だろうし、よく売れて売上が一時金とかで従業員に還元されたら単純に嬉しい。
それが、お店同士のつまらない競争でお客さんが二分されて、給料も上がらなくなって、最後は店がつぶれて、働く場所が消える。
会社の儲けを上げることも会社としては大事だということはわかるけど、しょーもない潰し合いって、従業員の幸せにつながらなし、もうそんな時代じゃないんじゃないの。


神戸で施工中の橋が落ちた。
ずっと前の千歳での事故が頭をよぎる。
状況を知らないのでマスコミ的に安易なことは言えないけど、失敗に偶然はないのだろうなと思う。


三菱自動車が燃費偽装していたことで、購入者の税軽減分を「三菱自動車に払っていただくことを・・・」と大臣が言ったみたい。
言葉の揚げ足をとるわけではないけれど「払っていただく」じゃないだろう。
言葉の感性がなさすぎ。
て言うか、不必要に氾濫する丁寧言葉を使う側が使えていない。
これは日常でも身の回りでとても感じること。
一度、丁寧言葉をやめてみればいいんだよね。
それでどの言葉を丁寧に言うか、丁寧に言うべきことだけ丁寧に置き換えてみる。
そうすると「させて頂いた」とか「して頂く」が激減するはず。


4月くらいはのんびりと思っていたけど、実際はそれどころではない感じ。
さらに今だからできることを加えていくと、やること山積み。
ま、苦痛ではないので、これを充実と思ってひとつひとつやりますか。

知識を身につける2016年04月03日 07時47分22秒

もう雪も残り少ない。

3月のとにかく慌ただしかった日常が過ぎ去り、ようやく一息つける感じ。
と言いつつ、明日投稿する論文をひとつ仕上げているところなのだが。

反省の多い一年でした。
一言で言うと、考えているだけでは仕事は進まないということ。
動くこと、動かすことをしないと進まない。
当たり前だけどね。

もう少し教訓的に書くと、仕事を動かすためには何が必要か。
仕事を動かすのに必要なこと、何がまっさきに思い浮かぶか。
人、予算、時間、やる気、パソコン・・・
どれも必要だけどね。

でも、技術系の仕事をするなら、必要なのは知識だ。
きちんとした知識。
もちろん知識だけでは仕事は動かない。
でも、ある程度仕事ができるようになったときに、知識を軽んじるようになってないか。
ある程度の立場になれば特に、人に頼んで仕事を進めることも多くなる。
そのとき、専門的な内容を相手に委ねすぎてないか。
相手の知識を使わせてもらうという感覚があればまだしも、相手の知識を軽く拝借して、あたかも自分が考えてまとめてきたという顔をして、仕事ができる人になった気になってないか。

全部を自分が知っている必要はない。
餅屋は餅屋という言い方もある。
だけど、仕事を動かすために自分も知識を持ってないといけない。

テレビで日本通運の会社の仕事のやり方を見た。
ものを動かす会社として、昔から日本の物流を支えてきた。
そのなかで、動かすための道具とか段取りとか、自分たちで長い年月をかけて試行錯誤してきたことがよくわかった。
ものを動かす会社として、動かすための技術を外には求めないで、自分たちでつくりあげていく。
当たり前でしょと思いがちだけど、いざ自分の仕事の場面になったら「できる人にお願いすればいいでしょ」という発想にならないか。

漫画家の浦沢直樹のドキュメントも見た。
彼ほどになるとアシスタントを使って要領よく作品をつくっているんでしょと見られがちだけど、結構な部分を自分で描いていると本人が番組で言ってた。
そう、できる人は自分でやりゃいいのだ。
最先端で走っている人は、マネジメントだけでなく、意外と自分でやってるのだ。

そうやって自分で、自分の会社で何かをしようとしたとき、やはり頼りになるのは積み重ねた知識と技術だ。
そうして、その知識と技術を頼りに、仕事が動いていくのだ。