事業か環境か、つまりは誰かの判断ごとなのだ2008年09月16日 23時08分32秒

ある業務でミクリという貴重種の植物の移植をした。
川の改修予定の場所に生えていて、そのままだと改修の時に掘削でなくなってしまうということで、先に改修に関係のない場所に移してしまおうというものだ。

だけど、現地に行ったらミクリだらけ。
数百メートルの範囲に生えまくっている。
これを全て移せと言うのか。

全てとは言わなかった。
数十株移しておしまいにした。
仮に全て移せということになると、僕らがちまちまとショベルでの手作業でできるようなものではない。
土建会社が重機ですくってダンプで運ぶくらいの作業になるし、そもそもそこまでやるのかという問題だ。
人が動けばお金がかかる。
つまり、環境を守ろうという正論も、徹底しようとすればするほどコストが重くのしかかる。

それができなければ事業をやるなというのも主張としてはあり。
この場所くらいはという考えで至る所の工事が進めば、結果としてどこの環境は残らない。

事業を取るか、環境を取るかの二者択一の問題と扱うか。
折衝案として、ほどほどのところで手を打つか。

こうやれば誰もが納得するという方法はない。
誰かが判断するしかない。
だから判断する立場の人は、多くの人が満足するような判断ができるような教養を身につけないといけないのだ。

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