再開します2008年10月16日 12時22分09秒

しばらく更新を休んでいましたが、再開します。
ただ何だか毎日が慌ただしく、やることもたまっているので、

目標毎日
できるだけ2,3日に1回
少なくとも週1回

くらいのペースで始めようと思います。

秋はやはり睡眠2008年10月16日 22時49分49秒

久々に何か書こうとすると、何だか文章の書き方を忘れたようなそんな感覚になった。
慣れというのは恐ろしいというのか、でも慣れたら何事もスムーズに進むようになるので、そんなときは慣れは強いということになるのか。
ま、そんなことはどうでもいいのだけれど。

しばらくブログから遠ざかっている間どうしていたかというと、当たり前だけど仕事・仕事の毎日だったわけで、それでもブログを書かないと1日のうち1時間くらいはその分空くわけで、空いた時間に何していたかというと、単純に睡眠時間がちょっと増えていたわけです。

ただこれが僕にとっては幸いで、季節の変わり目は軽いぜんそくのような呼吸器系の症状が出やすくなるのですが、この時期に睡眠を多めにとったことでそんな症状も軽くすみました。
やっぱり睡眠は体力維持のためには一番効くんですね。

ま、そんなことで、またぼちぼちここで日々の出来事・考え事を書いていこうと思います。

技術士会『大学へ行こう!企画』第1弾をやりました2008年10月19日 09時23分31秒

技術士会で進めていた 『大学生に技術者の仕事の話をしよう!』 という企画の第1弾が、とうとう実現した。

10月15日に札幌の北海学園大学の工学部で、3年生の工学総合演習の1コマを提供してもらって、そこに技術士会がお邪魔してプレゼンさせてもらった。

講演者は同じ技術士会仲間の雪氷・道路防災の技術者。
僕と同年代で、仕事をこなすだけでなく、技術開発、発注者への提案、他社との競争など、いろんな場面で試行錯誤しながら実務の最前線で奮闘している技術者のひとりだ。
彼の講演に僕は司会進行として加わった。

90分の講義枠のうち、前半は彼の講演で、後半は質疑応答コーナーにした。
僕の経験から、いきなり学生に「質問ある人は手を挙げて」と促してもたいていは質問が来ない。
なので、あらかじめ質問用紙を渡しておいて、気づいた疑問をメモするくらいの感覚で書き込んでくださいと言っておいた。
そうしたら本当にみんな質問をたくさん書き込んでくれた。
質問は講演の内容に対するものから「技術士になって良かったことは何ですか」のような、技術士にかかわるようなものもあった。

おおむね成功だったと思う。
企画した本人としては、大失敗がなかったことで一安心というのが正直なところ。

だけど「難しかった」という感想もちらほらあり、傍聴したほかの技術士会仲間からも、内容の一部は難しかったと言われた。
仕事の中身を伝えようとしすぎたために、かえってわかりにくくなったかもしれない。

もともとは理系の学生が技術者としての仕事のイメージをもてるようになり、「あんな技術者になって世の中で働きたい」と思ってもらえるような、技術士がひとつの目標になれるような機会づくりをしたいと思って始めた企画だ。
プレゼンすること自体が目的ではない。
そのためには、技術者としての仕事を、それが面白そうだと思ってもらえるように伝えられないといけない。
伝える側の技術士もそんな意識を持って、「伝える」ことの訓練をする必要がある。

ま、技術士会の企画としてはこれが最初だったわけで、何度か経験させてもらううちに、自分たちなりの教訓が蓄積されるだろう。
その頃には、講演を超えたショーのようなのに近づけるかもしれない。

まずは第一歩踏み出せたことを評価したいと思う。
(自画自賛だけど)
一緒に取り組んでいる技術士仲間にも大感謝。
これからも少しずつみんなで企画を練り上げていきたいと思う。

最後はフォークだろう・・・2008年10月20日 22時59分09秒

藤川のストレートがウッズに打たれた。

プレーオフの第3戦の9回の攻防をたまたまテレビで見ていた。
カウント2-3になったとき、最後はやっぱりフォークで空振り三振だろうと思ったら、解説者は
「フォークを投げて打たれたら悔いが残るからやはりストレートでしょう」
のようなことを言った。
そうかなぁと思っているうちに、藤川が投げたボールは本当にストレートで、打たれたボールはスタンドまで飛んでいった。

僕は阪神ファンでもないし、中日ファンでもないので、どちらが勝っても良かったんだけど、巨人が嫌いで、今の阪神は巨人に勝てるような気がせず、中日なら短期決戦で勝ち越せるかもしれないと思って、どっちかというと中日を応援していた。
だけど、藤川のようなストレート勝負のピッチャーも好きなので、この対戦に限って言うと藤川を応援していた。

だけど最後はフォークだろう・・・。

「フォークを投げて打たれたら悔いが残る」が本当だったとしても、ストレートを投げて打たれたら悔いは残らないだろうか。
これは「打たれたら」という前提での選択肢で、打たれないために可能性として高い方を選んだ方が悔いが残らないのではないだろうか。
「ストレートを投げて打たれても悔いなし」というのは、理由付けに過ぎないような気がする。
打たれない方がいいに決まっている。

昔を思い出した。

僕はずっとバレーボールをしていた。
ポジションはセッター。
セッターの理屈のひとつに、
「最後はエース」
というのがある。
つまり、勝負どころはたとえブロックに止められてもいいからエースで勝負だと。
エースに上げて決められなかったとしても、それはしょうがないという理屈だ。
セオリーのひとつでもある。

だけど僕はこの理屈が大嫌いだった。
例え信頼しているエースでも、決めてくれなくてそれで負けたら嫌だ。
だから、ここというところでもエースでないところによくトスを上げた。
エースってプライドのかたまりだから、そんな場面で自分にトスが上がらなかったら不機嫌になる人が多かった。
あまりエースに不機嫌になってもらっても困るし、エースとセッターの関係が見た目にも悪くなるとチームの雰囲気にも影響するから、あからさまにはエース外しはしなかったけど。
「エースに上げなくて決められないより、エースに上げて決められないほうを選ぶ」という理屈にはやっぱり納得はしなかった。
それよりは
「エースでない人にあげて決めてもらう」
ほうがいい。

何となくそんなことを思い出した。
エースと心中という理屈が嫌いだったことが、藤川のストレートと心中という見方に似ているなぁと思ったから。
もっとも、藤川自身がそう考えたかどうかはわからない。
まだコメントが出ていないから。
まわりが勝手に想像しているだけだからね。

もうひとつ想像としては、先日引退した清原がわずかにも影響したかな、と。
清原が引退する前後に、しきりと藤川との関係が振り返って報道されていた。
清原が通算500号ホームランにリーチがかかっていたとき、藤川がフォークで逃げたと。
藤川自身はその対戦でストレート勝負ができるピッチャーになろうと心に決めたという話。
何度も報道されたので、藤川自身も「清原に教わったストレート勝負」に、自分自身が暗示にかかったような状態になっていたかもしれない。
これもただの想像に過ぎないけど。

勝負としては面白かったね。
また来年、藤川頑張れ、だね。

北大文学部のゼミで川の仕事の話をした2008年10月25日 21時43分56秒

一昨日、北海道大学文学部のゼミに参加した。
夏に知り合った文学部の先生とそのときの飲み会で意気投合して、学生さんに川の仕事のことをゼミで話そうということになったのだ。

大学にはよく通ったけれど、文学部に足を踏み入れたのは実は初めてだ。
文学部と言っても、文学少年・文学少女が揃っているわけでなく、そのゼミには社会学や地理学に関心がある学生さんが集まっているということが行ってみてわかった。

ちょっと狭めのゼミルーム。
ふつうの講義教室と違って学生さんとの距離が近いので、表情がそのまま見える。
表情を見ていると、義務的な授業のように受け身で聴いているか、何かを吸収しようとして積極的に聴いているかが、何となくだけどわかる。
この日の学生さん達はほとんどが後者で、しっかり聴いてくれていると感じると、思わず僕も話に力が入った。
調査で撮ったいろんな川の写真を例にして、川の改修、魚道、ダム、住民とのワークショップなんかの話をした。
あっという間の90分だった。

終わったあとに書いてもらった感想用紙を見ると、よく内容を理解して、しかも自分なりの疑問や考えを書いていて、僕はとても感心した。
人の話を聞いたときに、それをすっと受け入れるだけで終わってしまうのではなく、自分で一度吸収したあと頭で考え直して、そのあとに自分の言葉での疑問を出せるようになる。
そんな訓練ができていると思うような感想が多かった。
ある意味、僕にとってこれは感激なのだ。

ただ難しいなと思ったこともひとつあって、例えば学生さんとのやりとりの中で、川の管理組織が上流と下流とで分かれていて、うまく連携できていないこともあるという話に及ぶと、聞きかじった知識の中でそれがすぐに縦割り行政の弊害というような結論にすぐにつながってしまう可能性がある。

いろんなことに意識の高い人は、勉強で知識が増え新聞などで一般論としての考え方が頭に入っているから、ある情報が頭に入ってきたときにこれまでにため込んだ知識と瞬間的につながってしまう。

自分の思考を鍛えるということを考えれば、入ってきた情報と過去に入れた知識がつながった瞬間がチャンスなわけで、そこで問題の本質的なところを自分なりに深く掘り下げられると一般論が持論へと変わっていくのだと思う。

だけど、入ってきた情報と過去に入れた知識とがつながった瞬間に、そこで一般論にすぐに結論をつなげてしまうと、その一般論の考え方を自分の頭の中で練り直すという過程を経ないことになる。
これは受け売りを受け売りと自覚しないで使う癖がつくということになりかねず、非常にまずい。

そう考えると、安易に「縦割り行政の弊害」のような話につながる話題をしないようにと思うのだが、これはなかなか難しい。
その場の話の流れというのもあるしね。

ま、それでも学生さん達の反応も良かったし、夜も飲み会におじゃまさせてもらって存分に話ができたし、またの機会にでももっと面白い話をしようと思う。
とても楽しい1日でした。