テレビいろいろ2015年12月28日 06時58分43秒

年末、録画して見きれていないテレビを消化する。
ガイアの夜明けで紹介されていた銀だこの社員さん、アフリカでタコを確保するのにいきいきと奔走する。
自分はそれだけの意気込みで仕事しているだろうかと立ち返ると呆然とする気分、大げさでなく。
ふと頭に浮かぶ程度の正当性を言い訳に逃げていないか。

情熱大陸の京都大学山中教授、大学構内に自分が所長のiPS研究所ができ今なお増築中。
で、冒頭でつぶやく。
「僕の指示待ちのひとが多すぎる」
京都大学のこんな最先端の研究所に集まる人でもそうなのか。

同じような愚痴を年末挨拶で伺った恩師に僕はぶつけた。
実務にしても研究にしても、僕らは何らかのものをつくりだす仕事をしている。
結果として何らかのものを誰かがつくって相手に出し世の中に出しているけど、ふと疑問になった。
実際につくっている人はどこにいるのか。

仕事の前面に立つ人が、相手から言われたことをそのまま誰かに指示とかお願いとかで流す。
受け取った人は「はいわかりました」と引き受けて誰かに流す。
どこかにいるはずのつくりだす人はどこにいるのか。
カタチにする作業をする人はどこにいるのか。
カタチを考える人はどこにいるのか。

そもそも前面に立つ人が、自分がほしいカタチを頭で考えだせているかがあやしい。
そこを考えるのがこの立場でのつくりだすことのはず。
実際に手を動かすことはどんどん人に任せてもいい。
でもどんなものが必要とされているかを指示を受けなければわからないというのでは、ただの仲介屋さんでしかない。
そればかりやっていたら見る人から見れば仲介屋さんとしか評価されなくなる。


録画したテレビ、夏頃に録画した戦争のドキュメント、東南アジアの戦線に従軍看護婦として赴いた女性達。
壮絶な前線での記憶が生々しい。
想像するのが恐ろしいくらいの時代、いま普通に生活して些細な事で仕事の愚痴がなんと幸せな中での不満かと反省する。

昔のアメリカの富豪たちの話、石油が湧いて出てくるのに人が群がり、でも掘ることより掘った石油を精製して売ることに集中したロックフェラー、ヨーロッパから移住したユダヤ系移民が映像を合わせた娯楽を広めようとするも高い特許料を要求したエジソンから逃れるように西に向かってできたのがハリウッドだったとか、知らないことばかり。
歴史は面白い。
昔はつまらないだけだったけど。

有馬記念のテレビ中継、勝ち馬は去年の菊花賞3着のあと、今年に入って条件戦からG2まで3連勝。
先行脚質で展開有利、でも勝ちタイムが平凡だなと切り捨てる。
競馬はムツカシイ。
昔から。

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