教養を身につける2015年08月30日 06時40分54秒

数学者の藤原正彦さんがあるインタビューに答えていたのがずっと頭に残っているのだけど、何が正しいかは人によっていろいろで、例えば違う意見があってどれが正しいのかと考えようとしたときに、立場によってそれぞれが正しいと考えているわけで、しかもどれも論理的には成り立っていたりして、そもそも正しいことがひとつではなくなっちゃうんだな。
それを藤原さんは正義という言葉で言ってたはずなんだけど、なので正義って唯一のもののような言葉の響きがあるけれど、正義もひとつではなく、立場の数だけ正義があるということができる。

日常の打合せレベルに置き換えても同じようなことがあって、ちょっと違う考えがでてきたときに、どっちが適切かなと考えようとしても、どっちが正しいかよくわからないということがよくある。
正義といえば大げさだけど、判断としての正しさを求めようとしても、どっちも正しいように思えて決めきれなくなる。
だけど仕事としてはどれかに決めて進むことになる。

藤原さんはそこで重要なのが教養だと言う。
特に重要なことを決めようとするとき、その決めようとする立場の人に必要なのが教養だと。
たくさんの正しいことからどれを選ぶかというときに、いかに世の中のためになるか、人の幸せ、楽しさにつながるかを考えて方向を決めるかというのに必要なのが教養だと言う。

そんな教養とか漠然としたことではなく、コストとか機能とかを並べて合理的に決めればいいんじゃないかとも言える。
真っ当だよね。
でもそれは仕事としては判断に至る過程での当然の手順で、判断に必要な情報はまずきちんと並べるのが前提。
その先の段階で、費用が安いのを選んで当然だととか、安くても質が悪いとダメだろとか、だから費用対効果が大事なんだとか、選ぶときにも考えが生じてくる。
ここでの判断に必要なのが教養だということなんだな。
場合によっては、費用対効果が悪くてもいまこの場面ではこれをやっておくべきなんだという先見のようなことが必要なときがある。
その判断の背景になるのが教養ということなのだ。

立場上、行政の技術的な面での方向性に関する提案を考えることがひとつの役割なので、自分の提案が行政判断に役に立つか、さらに世の中が良くなることにつながるかを考えて、何を提案すべきかを考えようとするのだけど、よくわからないときはなかなかまとまらずに思案に暮れる。
そんなとき、拠り所になるのはもしかしたら技術的な知識の豊富さではなくて、もっと幅広い教養のようなことかもしれないなとも思う。
仕事経験と専門の勉強からの知識は、あればあるほど技術系の仕事の技量には役に立つのだけど、おそらくそれだけではない。
指示にもとづいて言われたことをカタチにするだけなら専門知識だけでもいいけど、方向性を考えようとするときには専門で閉じていたら提案は広がらないし、偏った考えに固執することにもなるかもしれない。

ではそこでの教養とはどんなことを指すのか、その教養を身につけるためにはどうすればいいのか。
そもそもそれに答えはないんだな。
禅問答にようになるけれど、それを考え続けられることが教養なのかもしれない。
ただひとつ言えることは、一朝一夕には身につかず、日常の意識と学習の積み重ねということ。

教養が大事。
何を偉そうにということかもしれないけど、最近ずっと考えている。

北海道マラソン2015年08月30日 10時19分54秒

ちょっと用事あって職場に来てみたら、下では北海道マラソンの人達が走っている真っ最中でした。

小屋根2015年08月30日 21時24分26秒

小さな屋根ができた。
どこに使うのかこの写真だけではわからないでしょうが。
こういうものづくりが僕の土日のリフレッシュ。