人の大きさを感じたい2015年08月23日 06時25分02秒

世間的にはある程度の地位にある人と日常の仕事で接することが多いのだけど、意外と考えがこぢんまりしてるなとか、つまらない瑣末なことにばかり目がいくんだなとか思うことがよくある。
そういう人だと思えばそれでいいんだけど、地位とか立場とか考えたら周りはもっと大きなことを期待してるんだけどと思ったりもするので、接していてがっかりする気分にもなる。
やはりそれなりの立場になっていく人にはそれなりのものを身につけていてほしいと思うよね。

世の中が全体的に緻密さを求めるようになっていて、細かなことよりもほんとに大事な議論をしようというよりは、どこをチェックされても耐えられるような漏れのない仕事になるための指摘ができることが重宝される雰囲気が浸透したせいなのか。
誰かに何かを言われないためという発想での仕事は、包容力とは真逆の、揚げ足取りのような思考を無意識に鍛えていることになる。
揚げ足取りも、見方によっては鋭い指摘となるときもあり、でもそんな時に限って本人は鋭い指摘をしたと自分で自分に酔ってたりもする。

大きさを感じられないというのは、言うことが細かいことばかりということのほか、自分のことばかりが優先になっているということもある。
みんな自分が評価されたいからね。
仕事で自分がやったことに対してすごいねって言われてみたいし、もっと現実には評価されて次の立場を良くしたり、次の仕事をもらえるようになったり、人との関係で仕事をやっている以上、人からの評価は必須ではある。
でもその場の自分の評価を優先にばかり考える人には大きさを感じないんだな。
どんなふうに世の中につながるか、その仕事の結果として誰が喜ぶか、携わっているメンバーもやりがい持って仕事できるかとか、それなりの立場になったら少なくとも自分の評価ばかりを考えているようには仕事をしちゃいかんなって思う。
評価されるとすれば、目の前の仕事の成果でのすごいねではなく、その人の仕事をするとみんなが楽しくなるからすごいねってところを目指したい。

実力と人望は必ずしも同時進行にはできあがらなくて、実力があるとまわりは動かされて従うし、打算でもついていくし、結果的に人が群がることになる。
でもそれは人望でもなんでもなくて仕事で接しているだけ。
人望って実力とは別のところでできあがっていく。
それなりの立場になっていく人は実力だけ磨いていてはダメなんだな。

ただし人望とか大きさを感じるというのは、接し方が優しいということではない。
人望ある人イコール愛嬌あって優しい人とか下が何を言っても笑って接してくれる人というイメージを短絡的に持ちそうだけど、そうではない。
態度として表に出てくる優しさではなく、根底にある人に対しての優しさだよね。
愛情があるかどうか。
その愛情で、優しい言葉をかけることもあれば、厳しく突き放すこともある。
もともとそのような優しさを持っているかどうかは人によるとは思うけど、少なくとも上の立場になっていく人はそういう観点を持ってたほうがいいと思うね。
人としての大きさを無意識に求めるからね。