楊令伝、英語のコンプレックス、反省2010年12月14日 20時18分03秒

北方謙三の「楊令伝」が完結したという記事が新聞にあった。
その新聞記事を読みたいのだけど、物語自体をまだ第5巻までしか読んでいないので、新聞記事に先々のことが書いてあって、物語を読む楽しみが半減してはつまらない。
記事は切り抜きだけしておいて取っておこうか。
でも読み終わるのはいつになるのだろうか。


これまでいろんな勉強をしてきて、勉強した分はそれなりに自分の身になったと思うのだけど、英語だけはその実感が全くない。
全くダメだ。
もともとの苦手意識をずっと引きずり続けている。
ま、今となっては英語を必要とする場面はほとんどないのだけど、それでもコンプレックスのように気持ちで引きずり続けるくらいなら、何とか克服してみたいとも思って、ドクターに通っていた頃に買った英語の専門書を引っ張り出してきて、突然今になって読み始めてみた。
やっぱり理解不能なところも多い。
それでも1年くらい続けてみたらちょっとは理解力が上達するのか。
さらに、そんな専門用語を駆使して、専門のディスカッションを英語でできる日が来るのか。
その前に挫折するのか。
どうなることやら。


業務の関連で、河川の土砂移動の理論を勉強し直している。
一度理解したはずのことも全く忘れていたりして、情けない気分になってきたりする。
ただ、ほかに断片的に知ったことがかみあわさったりして、前に勉強したときより、いろんなことを関連づけて理解できたりする瞬間もある。
これが勉強していて一番嬉しい時だ。
もちろん実務のための勉強なので、理論をどう活用するかをいつも考えながら。


ある業務のまとめとして、来年度にやることの提案をどうするか、社内でディスカッションした。
結果的には提案ごととしていろんなことが挙がったのだけど、話が終わったあと同僚から「このたぐいの話になると、山本さんは否定から入るのでやりにくい」と言われた。
確かに。
実は、ディスカッションの前に、同僚がどんなことを考えてくるか想像していて、その通りだったらどんなことを僕から言うかも想像していた。
で、だいたいそんな感じだった。
反省。
きちんと聞く耳持たなきゃ。
部署では、立場として、僕が高圧的に出たら周りの思考は停止してしまう危険性がある。
わかってはいるつもりなんですが。
ごめんなさい。

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