仕事での叱る優しさ2010年12月30日 12時27分48秒

ある人と話をしていて「俺がこんないい加減な状態で、好き勝手にしてても何にも言わない管理の甘さって、組織が病んでるよね」とその人は言う。
誰もが認めるすごい人なんだけど、最近あまり目覚ましい活躍がない。
それを周りも気づいているのだけど、誰もそれを面と向かって指摘できず、方向転換の助言もできず、ましてや強く叱って諫めるということを誰もできない。

実は本人は誰かから何か言われることを待っている。
「おまえそれじゃだめだぞ」と。
だけど誰も鈴をつけに行かない。
腫れ物に触るような扱いにどんどんなっていく。

成り行きでできあがるお互いの関係というのがあるのだと思う。
改善すべき点を指摘しない周りも悪いけど、周りを寄せ付けない雰囲気をつくった本人のせいだという見方もある。
お互い様だ。

だけどそんな状態で時間だけがどんどん過ぎると、その人は周りをナメるようになっていく。
俺を叱れるヤツはいないのかと。
そうやって本人と周りとの距離がさらに開く。

簡単なのだ。
周りが開き直ればいい。
ぶっちゃけで、ぶつかればいい。
「最近のあなたの成果はイマイチですよね。
 周りはあなたにそのレベルを求めてはいないですよ。
 周りの期待を感じて頑張ってくださいよ。」
と、言うべき立場の人がぶつかって言えばいい。
誰もぶつからなければ、距離はさらに開いて修復できないところまで行く可能性もある。

他人を尊重するというのが大人のつきあいなのか。
他人の振る舞いに何も口出ししないことが、他人を尊重するということか。
相手に対する愛情があれば、むしろおせっかい気味に何か言ってあげることがやさしさなのではないか。

誰でも、いつも高いモチベーションを保ちながら仕事をするというのは、そうたやすくはない。
上司や部下からの刺激でやる気が出るという場面はよくあるだろう。
そしてさらに、叱られることで目を覚まし、屈辱をうちに秘めて自分を奮い立たせていく。

ただ、叱れない、叱られないという関係が一度できたあとでは、叱る叱られるという関係をなかなかつくれない。
なぜか。
その組織で叱られない立場に慣れてしまうと、改めて叱られるようになったとき、素直に聞く耳持てず、無意識に反発してしまうから。
必要以上に対決姿勢をとってしまう。

だから、本当は、その人が「叱られない人」になってしまう前に、上司が少しでもその人を叱っておいたほうがいいんだな。
叱るまでいかなくても、ちょっとしたことを注意する注意されるという関係をつくっておく。

優しい人が、下の立場からちょっとでも上の立場になったとき、下に対して優しい顔を見せようとしてしまう。
無意識に。
でもそれは仕事の関係では優しさでも何でもなくて、ただ当たり障りのない上下関係にしようとしているだけだ。
下を指導するという役割としては、きちんと叱るということが本当の優しさなのだ。