実力不足と向き合う2010年01月26日 23時38分03秒

ある業務で、初回の打ち合わせから相手に怒られて始まってしまったという話を聞いた。
相手が怒ったのにはいろんな経緯があるみたいだけど、引き金になったのは、こちら側の社内連絡のまずさだったらしい。
ある社員が何時に連絡させますからと相手に伝えたのに、それが社内でうまく伝わらずに、約束の時間に誰も連絡しなかったということだそうだ。

誰が悪いかというのは、その時の状況をひもといていくと見えてきそうだけど、単純に、社内で伝えるべきことを伝えなかったというだけのことだ。
その単純そうなことができないこともあるということなのだ。

別の話。
今度は僕の話で、先日、ある打ち合わせで、川の計算結果を相手に見せて説明していたら、相手がうーんと首をひねりだして、明らかに計算と実現象とが違いますよねと相手は言う。
そう言われて、自分の計算結果をその場で改めてしっかり見ると、言われていることがその通り。
僕の計算結果は明らかに違う。

単純で誰にでもわかるような誤りなのに、それに気づかず成果として持って行って説明した自分が情けない。
持って行く前に一応は考えた。
ちょっと変だなとは実は一瞬思ったのだけど、それを覆い隠す理屈も同時に思いついてしまったから、そんな結果も起こりえるかなと思って成果にしてしまった。

誰にでも失敗はあると言えばそれまでだ。
なんだけど、それより大事なのは、実際はそんな失敗をするくらいの実力しかないと再認識することじゃないかなと思う。

謙虚すぎる?

多少周りからの評価が伴ってきたとき、知らず知らずのうちに自分を過大評価しているかもしれない。
背伸びしたくなるというか、背が伸びたと思いたくなるんだろうな、無意識に。

それで、できるはずだと思っているところで思いがけず失敗する。
で、失敗が単なるミスだと思いたいんだけど、本当は、それくらいの失敗を普通にしてしまうくらいの実力しかないんだ。

いい気になるんじゃない。
たぶんそういうことなんだろうな。

最初に書いた社内連絡のミスにしても、たまたま伝言がうまくいかなかったんだと流すこともできるんだけど、本当は、組織にその程度の伝言すらきっちりできないだけの実力しかないってことなんだ。
「その程度のことは本当はできるはずだけどたまたま失敗した」ではなくて「その程度のことなのに失敗してしまう実力しかなかった」ということ。

せっかくそれなりにできると思い始めたところで、実力がないと認めるのはあまり面白くないことなんだけど、本人だけは、実力不足をかみしめておいたほうがいいと思うね。

実力不足と向き合う。

自分の実力のなさを考えると打ちひしがれてばかりになるからしんどいんだけど、謙虚にこつこつと実力をつけていくのがやっぱりいいんだろうなと思う。