最後はフォークだろう・・・2008年10月20日 22時59分09秒

藤川のストレートがウッズに打たれた。

プレーオフの第3戦の9回の攻防をたまたまテレビで見ていた。
カウント2-3になったとき、最後はやっぱりフォークで空振り三振だろうと思ったら、解説者は
「フォークを投げて打たれたら悔いが残るからやはりストレートでしょう」
のようなことを言った。
そうかなぁと思っているうちに、藤川が投げたボールは本当にストレートで、打たれたボールはスタンドまで飛んでいった。

僕は阪神ファンでもないし、中日ファンでもないので、どちらが勝っても良かったんだけど、巨人が嫌いで、今の阪神は巨人に勝てるような気がせず、中日なら短期決戦で勝ち越せるかもしれないと思って、どっちかというと中日を応援していた。
だけど、藤川のようなストレート勝負のピッチャーも好きなので、この対戦に限って言うと藤川を応援していた。

だけど最後はフォークだろう・・・。

「フォークを投げて打たれたら悔いが残る」が本当だったとしても、ストレートを投げて打たれたら悔いは残らないだろうか。
これは「打たれたら」という前提での選択肢で、打たれないために可能性として高い方を選んだ方が悔いが残らないのではないだろうか。
「ストレートを投げて打たれても悔いなし」というのは、理由付けに過ぎないような気がする。
打たれない方がいいに決まっている。

昔を思い出した。

僕はずっとバレーボールをしていた。
ポジションはセッター。
セッターの理屈のひとつに、
「最後はエース」
というのがある。
つまり、勝負どころはたとえブロックに止められてもいいからエースで勝負だと。
エースに上げて決められなかったとしても、それはしょうがないという理屈だ。
セオリーのひとつでもある。

だけど僕はこの理屈が大嫌いだった。
例え信頼しているエースでも、決めてくれなくてそれで負けたら嫌だ。
だから、ここというところでもエースでないところによくトスを上げた。
エースってプライドのかたまりだから、そんな場面で自分にトスが上がらなかったら不機嫌になる人が多かった。
あまりエースに不機嫌になってもらっても困るし、エースとセッターの関係が見た目にも悪くなるとチームの雰囲気にも影響するから、あからさまにはエース外しはしなかったけど。
「エースに上げなくて決められないより、エースに上げて決められないほうを選ぶ」という理屈にはやっぱり納得はしなかった。
それよりは
「エースでない人にあげて決めてもらう」
ほうがいい。

何となくそんなことを思い出した。
エースと心中という理屈が嫌いだったことが、藤川のストレートと心中という見方に似ているなぁと思ったから。
もっとも、藤川自身がそう考えたかどうかはわからない。
まだコメントが出ていないから。
まわりが勝手に想像しているだけだからね。

もうひとつ想像としては、先日引退した清原がわずかにも影響したかな、と。
清原が引退する前後に、しきりと藤川との関係が振り返って報道されていた。
清原が通算500号ホームランにリーチがかかっていたとき、藤川がフォークで逃げたと。
藤川自身はその対戦でストレート勝負ができるピッチャーになろうと心に決めたという話。
何度も報道されたので、藤川自身も「清原に教わったストレート勝負」に、自分自身が暗示にかかったような状態になっていたかもしれない。
これもただの想像に過ぎないけど。

勝負としては面白かったね。
また来年、藤川頑張れ、だね。