雑感もろもろ2015年12月29日 07時15分27秒

最近、と言ってもこの数ヶ月考えてたことをばらばらと脈略もなく。
自分への戒めがほとんどなのだが。
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ある知人、人付き合いをとても大事にしていて僕も見習わなきゃと思ってたんだけど、人を大事にしているとはあまり感じないことにふと気づいた。
これ、とても大きな違い。
人付き合いってどちらかと言うと自分のため、人を大事にというのは相手に対しての思いやり。
気づかなきゃ良かった。


業務を進めていくなかでちょっと面倒なことがでてきた時、やりたくない理由探しをして、やらない正当性に走れるのは、その業務をやれることになった会社の特権なのか。
プロポーザルでとるときには、ぜひこの仕事をやりたいという顔をして前向きさをアピールしていたはずなのに。
もっと仕事をやりたいという会社はほかにたくさんある。
発注者からしてみたら、そんなにやりたくない顔をするなら、ぜひとも仕事やりたいと思う別の会社にやらせたいと思うだろう。
やる気ある人、やる気ある会社と仕事したいと思うのは普通の考え。
プロポーザルでとったあとの甘えに気づくべき。
こちら受注者、そういう感覚をみんなもってるか。


指示されることだけ黙ってやる仕事のやり方は、つまりは、まかれたえさを食ってるだけ。
自分が鯉とか鳩だと気づくべし。
口を開けて待ってるならまだまし。
まかれたえさすら、うまいうまくないとぶつくさ言う。
上等な食い物は自分でつかみとるもの。
上等なえさをを与えられるまで自分で自分を高める。


あいつ浅いなと思われるほど屈辱的なことはない。
同じく、あいつ小せえなと思われるのも屈辱。
自分はどうか。


秀逸、号泣、絶賛・・・ネットではとかく大げさな言葉を使って目を引きたがる。
そういう言葉にだまされないようにという発想が全てではなく、言葉を使うときに流れず安易な言葉選びにならないようにという発想が大事。
すっと最初に頭に浮かんだ言葉ではなく、自分の感情を最も適切に表すことができる言葉は何だろうと、一旦置いて考えてみると、案外別な言葉が頭に浮かぶことがある。


仕事を動かすことと、手を動かすことは全く違うこと。


自分が良いと思うことに絶対的な自信をもつのは悪いことではないけれど、疑って修正することも大事。
自分に自信を持ちすぎると傲慢さの気配が漂い始める。
でも、自分に自信を持たずに、自分を出さずに他の人が言うことに乗っかるだけの人が多すぎるほど多いなかでは、多少自信を持って自分の考えを通そうとする人が貴重だし、そういう人を尊重したいというのもある。


いろんな検討委員会、本気で若返りしたほうがいい。
一般論として。
経験あるからとても役に立つというのは当然で、でも経験がそこまでない人よりいいからというのは違うと思う。
経験の機会をつくらないと経験を積めない。
当たり前のこと。
AKB的に実力で奪い取るべきという理屈もちょっと違うんだな。


仕事、おいしい仕事かおいしくない仕事かでしか見られなくなったら成長はない。


クレーマーのような電話をしてしまった。
とても後味悪い。
だけど、家のメンテナンスのハウスメーカーの女性リーダー、全然電話がなってない。
こちらのイライラに合わせてそっちが怒ってどうすんだ。


スケールが大きいなあと実感できる人とか、圧倒されるようなパワーを感じる人とか、強烈強引なリーダーシップをとるような人と仕事したいとよく思う。
しばらくそういう人と接してないからか。
そんなこと人に求めるよりそろそろ自分がそうなれという年代でもあるが。


仕事、自分が苦労しないでいいような環境にいられることに慣れたとき、ちょっと苦労が見える状況になっただけで、すぐにそれを避ける手立てはないかと考えるようになる。
避けるか向き合うか。
結果よりも姿勢をまわりは見ている。