新書を廃棄しようと思うのだけど2013年12月08日 16時34分39秒

最近はほとんど小説しか読まないのだけど、新書をよく読んでいた頃もあって、でももう読むことはほとんどないので売りに行こうかと。
数年経った新書って買い取ってくれるのかなあ。

せっかくなのでパラパラとめくってみると、気になったところに線が引いてある。
仮に買い取ってもらって売り場に並んで誰かがまたその本を買った時、線が引いてあったら嫌だろうなと思うので、線が引いてあるのは売りに行かない。
買い取ってくれるかもしれないけどね。

いきなり吹雪2013年12月13日 20時40分56秒

今日は早く帰ろうと職場を出たら雪。
札幌駅に着いたら列車が遅れていて、来た列車は激混み。
江別・岩見沢方面はどうしても吹雪に弱いんだよなあ。

しょうがないので割りとちゃんと走ってそうな千歳方面行きの列車に乗り、新札幌で降りてバスに乗って帰った。
ああ疲れた。

今週はなぜか出張も打合せもない奇跡的な一週間で、じっくり職場で仕事した。
また来週からは出歩いて忙しくなるなあ。
ま、12月後半だし、やむなし。

留萌2013年12月16日 19時08分46秒

留萌方面へ。
留萌で下打ち合わせしたあと、車で北上1時間。
古丹別川にて岩盤調査でした。
調査は面白かったけど寒かった。
みなさんお疲れさまでした。

釧路2013年12月20日 08時39分55秒

釧路湿原の委員会のため昨日より釧路入り。
写真では曇っているように見えるけど、写真以上にいい天気。
釧路はあまり高い建物がなくて見晴らしがいい。

昨日は役所の内部の研究会のサポートで会議に参加。
北海道中の役所技術者が集まって実務の議論をするので、参加させてもらうだけでもとても勉強になる。

業務の関係なのであまり詳しくは書けないのだけど、最近の河道変化の特徴のひとつに、河床材料が変わることというのがあるのではという指摘があった。

これは単にダムができたあとで下流側がアーマー化するとかいう話ではなくて、もとは砂礫の川底が河床低下によって少しずつ砂利が流れて粘土や岩盤などの基盤層が出てくる。
ここまででも河床が砂利から基盤層への転換なのだけど、さらにその基盤層が掘れてめくれたりして、その下から砂利層などの別の層が出てくる。
そして、基板層の下の砂利層はまた吸いだされて掘れていく。
こういう河床自体の変化というのをきっちり河道変化として位置づけるかという話。

会議でどうのというのは別とすると、僕は局所洗掘という範疇の問題と思っていて、局所洗掘に水衝部などで掘れる洗掘と、橋脚や構造物周辺で掘れる洗掘と、そうではなく基盤層が何らかのきっかけでめくれて下がる洗掘とがあるという分け方で考えている。

ま、現象の区分は人によっていろいろでよくて、現象自体をきっちり認識することが重要ということですな。

ただ、局所洗掘は水中深くの出来事なので、現地を見に行っても何も見えなくて面白くない。
面白い面白くないという問題ではないけれど。

感想を言う、新聞不要な人、人望2013年12月21日 09時55分16秒

できるだけ感想を言おうと思っている。
誰かが何かをやったときや、誰かが人前で話をして自分がそれを聴いていたとき、
「お疲れさまでした」のあとに何でもいいからひと言加える。
「良かったですよ」でもいい。
でもできればさらに具体的な何かを加えて、
「あそこの説明がすごくわかりやすかった」とかね。
僕も人前で話したり、説明資料をつくったり、勉強会の仕切り役だったり、さらには飲み会の幹事だったり、自分が前に出て何かをやることがままある。
こういうときに、終わったあと何でもいいのでひと言もらえると嬉しいんだな。
たかが飲み会の幹事でもさ。
今日のお店おいしかったねと言われたら、自分がその料理をつくったわけでもないのに嬉しくなったりして。
日常の打合せでも、今日の説明良かったとか、どこが少し足りなかったねとか、できるだけ気持よく次に踏み出せるようなひと言の感想を言いたいと思っている。


新聞不要論というほど大げさなものではないけれど、配達される新聞はもういらないと思っている人が自分の周りでちらほらいるような感じ。
ネットでいろんな情報があるし、何かのサイトのトップページに話題のニュースの一覧があったりして、世の中の出来事はそれでだいたいわかるし、興味持ったニュースはさらにクリックして読めばわかるし。
確かにそうだよね。
それで必要な情報だけとても効率的に得られて合理的。
配達される新聞に月に3000円とか4000円とか払わなくていいしね。
だけど、それってちょっと危なくないかなとも思う。
必要な情報だけを効率的にというのは、逆に言うと必要なさそうな情報には全く触れなくなるというわけで、自分の視野の範囲でしか情報を入れないということだよね。
新聞をめくると、家庭の医療の話だったり、関心のないスポーツだったり、あと、フツーの人の日々の不満の声があったり、もういろいろ。
そういう本当にいろんなことが世の中では混じりあっていて、それに関心を持っている人がどう思っているのか、どう進んでいるのかが自然と目に入る。
それが毎日自分の中に無意識に蓄積される。
ネットで自分が関心を持っている情報だけ知るというのは、その広いどうでもよさそうなことの蓄積がないということで、10年とか経ったら、頭のなかがすごーく偏った状態になって、さらに自分の関心が狭くなり、自分の関心のないことへの許容がない人になるかもしれない。
大げさかな。
もともと新聞なんて読まないという人は別として、もとは新聞を読んでいたけどネットで合理的にという感覚で新聞を読まなくなった人は、どちらかと言うと職場では仕事ができる人で、切れ味で勝負できるような人で、そんな人が狭い関心の中だけでズバズバと仕事していくようになると、何となくアブナイ。
そんな気がした。


上に立つ人は人望ということをもう少し気にしてもいいんじゃないか。
昔、ある上司が、自分の同期の人のことを、
「あいつは育ちが良くて、仕事もできるんだけど、人望がないんだよ」
と言った。
僕はその「人望がない」人のことを割りと好きだったのだけど、確かに誰からも受けるような人望はあまりないかもと思った。
その時からかな、人を見るときに人望というのもひとつの観点かもなと思った。
人望を得るために何かをやるということではない。
人望が目的になるとまたおかしくなっちゃうのだけど、みんな年をとれば少しずつ立場も上になっていくわけで、そうすると少しは下に人ができるわけで、その時に人望がないと下の人はついて行きにくいんだな。
指示は受けるけど、この人のためになにかやってやろうというような、気持ちが動かない。
人望って口にだすのは恥ずかしいような言葉だけど、意識はしたほうがいいと思うんだな。