部下の失敗は誰の責任か ― 2009年12月28日 04時20分48秒
数年前のことだけど、ある役所の同年代の知り合いと話をしているとき、彼は「もう主任なんてやってらんない」と言っていた。
仕事は多い、係長は仕事を見ない、あげく失敗あったら管理職でなく主任自身が責任をとらされる。
こんな立場ってどう思いますか?と言われた。
上が仕事を見ないというのはよくある話だけど、組織が全てのような役所で、下が失敗したときにその責任を下がそのまま負わされるというのは想像しなかった。
僕が社会人になり立ての頃、当時の僕の上司も仕事をあまり見なかった。
聞けば何だかんだと答えてくれるけど、積極的に指導するという人ではなかった。
端から見るとそんなやり方もあるかもしれないと思うかもしれないけど、仕事がうまく進んでいるかどうかすら気を配っているようには見えなかった。
放任主義のつもりだったようだけど、僕にはただのほったらかしにしか見えなかった。
ただ、責任は自分がとるという意識はあったようで、打ち合わせの場で僕が相手から何か言われたら、いろんな理屈を並べてくぐり抜けようとしてくれた。
僕は、その上司が僕をかばってくれようとしてくれてることは感じたけれど、うまくいかなくなったときにその場で腹をくくるという責任の取り方をするくらいなら、うまくいくように最初からリードするという責任の示し方をしてほしいと思っていた。
下の失敗の責任を上司としてどう扱うか。
全て上が責任をとればいいというのは浅い結論だ。
腹をくくるのが早すぎる。
例えば部下が会社のお金をこっそりくすねてギャンブルに使ったとして、その責任は上司にあると言われたら、上司はたまったもんじゃない。
(ちょっと例が悪いかな)
教育責任もあるとは思うけど、常識外れの行動まで指導はしきれない。
下の失敗をどう扱うか。
まじめに仕事してても失敗やトラブルは必ず起こる。
その前提で、まじめに仕事しているなかで起こった失敗・トラブルの責任は個人に背負わさないようにする組織の発想が必要だ。
多少のトラブルでも組織なら吸収できるけど、個人って簡単に壊れてしまう。
組織の中で動いて起こった悪い結果を、できるだけ個人に帰着させないという発想を普段からもっておいたほうがいい。
重要な問題になればなるほど、個人の判断の責任とせず、できるだけ組織として判断をする。
それが社員を守るということじゃないかなと思う。
仕事は多い、係長は仕事を見ない、あげく失敗あったら管理職でなく主任自身が責任をとらされる。
こんな立場ってどう思いますか?と言われた。
上が仕事を見ないというのはよくある話だけど、組織が全てのような役所で、下が失敗したときにその責任を下がそのまま負わされるというのは想像しなかった。
僕が社会人になり立ての頃、当時の僕の上司も仕事をあまり見なかった。
聞けば何だかんだと答えてくれるけど、積極的に指導するという人ではなかった。
端から見るとそんなやり方もあるかもしれないと思うかもしれないけど、仕事がうまく進んでいるかどうかすら気を配っているようには見えなかった。
放任主義のつもりだったようだけど、僕にはただのほったらかしにしか見えなかった。
ただ、責任は自分がとるという意識はあったようで、打ち合わせの場で僕が相手から何か言われたら、いろんな理屈を並べてくぐり抜けようとしてくれた。
僕は、その上司が僕をかばってくれようとしてくれてることは感じたけれど、うまくいかなくなったときにその場で腹をくくるという責任の取り方をするくらいなら、うまくいくように最初からリードするという責任の示し方をしてほしいと思っていた。
下の失敗の責任を上司としてどう扱うか。
全て上が責任をとればいいというのは浅い結論だ。
腹をくくるのが早すぎる。
例えば部下が会社のお金をこっそりくすねてギャンブルに使ったとして、その責任は上司にあると言われたら、上司はたまったもんじゃない。
(ちょっと例が悪いかな)
教育責任もあるとは思うけど、常識外れの行動まで指導はしきれない。
下の失敗をどう扱うか。
まじめに仕事してても失敗やトラブルは必ず起こる。
その前提で、まじめに仕事しているなかで起こった失敗・トラブルの責任は個人に背負わさないようにする組織の発想が必要だ。
多少のトラブルでも組織なら吸収できるけど、個人って簡単に壊れてしまう。
組織の中で動いて起こった悪い結果を、できるだけ個人に帰着させないという発想を普段からもっておいたほうがいい。
重要な問題になればなるほど、個人の判断の責任とせず、できるだけ組織として判断をする。
それが社員を守るということじゃないかなと思う。
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