東京出張:論文編集会議、河川講習会、飛行機での出来事 ― 2009年12月06日 18時51分09秒
先週の木金で東京出張してきた。
木曜日は水文・水資源学会の論文集の編集会議。
来号の主担当で会議の進行役だった。
学会の論文集の編集委員なんて初めてで、会議自体どんなことをやっているのかも知らなかった。
なので、主担当号の2回前の会議にまず出席して雰囲気を知り、1回前の会議で議事録役をして、自分の回に進行役をやるというシステムにとても感心した。
実際に、過去2回出席することでだいぶ気持ちが慣れて良かった。
学会なのでそもそも大学の先生達が主メンバーで、研究者の方達にしたら論文集って自分たちの生命線で、そんなところに自分のような実務者が入ることで迷惑掛けないかと心配で緊張しっぱなしだった。
でも優しく明るい編集委員の先生達でずいぶん気が楽にできた。
僕にとってはいい経験だった。
おっとまだ編集は終わってないわ。
金曜は虎ノ門であった河川講習会に出席した。
温暖化に対しての河川の取り組みについての講演だった。
京大の中北先生、あとは国交省河川局の方2名のお話。
レーダーでの降雨観測と予測の話が多かった。
中北先生の話で、50年後、100年後の河川の流量の予測があって、それがリアルで面白かった。
いろんな前提に基づいているにしても、よくそんなことが予測値として出せるものだなぁと多少無邪気に感心した。
必ずしも50年後、100年後の予測がいい精度で当たるとは思わないけれど、10年とか30年とかのスケールででも、いまのレベルできちんと予測して、後手に回らないように対策をとっていくことが少なくとも大切だなと思った。
計画ごとって、どうしても過去をベースにするからね。
多少は大胆に考えないと、たまに来る巨大災害に太刀打ちできないよね。
帰りの飛行機で、もうすぐ着くという頃に、通路を隔てた女性がビリビリと機内誌を破り始めた。
どうやら気になる商品かお店の情報が載っている部分だけを持ち帰りたかったみたい。
でも僕は「切り取ったあとの冊子は、もとの位置に戻すなよ」と気が気でなくなった。
だけど女性は僕の心配をよそに冊子を前のシートの後ろのネットに戻した。
あーあ。
次にその冊子を読むことになる人の不快感が頭によぎり、何とも言えない気分になった。
がっかり。
ひと言声をかければ良かったのかもしれないけど、なかなかね。
着陸したとき、着地の衝撃でちょっと前のシートの上の収納扉ががしゃっと開いた。
そして、じわーっと開いた収納からするするとカバンが滑り落ちた。
人の上に落ちなかったことが幸いで、落ちたところは通路だった。
こういうこともあることかと思った。
だけど、これは後で客室乗務員が責められるのだろうか。
正論としては客室乗務員が確認を怠ったってことになるのかもしれないけど、それくらいは本当は客自身がやることだよね。
しっかり閉めとけってね。
この東京出張で大学の頃の友人と会った。
じっくり話したのは卒業以来か。
もうお互い40代。
年齢なりの悩み多し。
いろいろあるよね。
木曜日は水文・水資源学会の論文集の編集会議。
来号の主担当で会議の進行役だった。
学会の論文集の編集委員なんて初めてで、会議自体どんなことをやっているのかも知らなかった。
なので、主担当号の2回前の会議にまず出席して雰囲気を知り、1回前の会議で議事録役をして、自分の回に進行役をやるというシステムにとても感心した。
実際に、過去2回出席することでだいぶ気持ちが慣れて良かった。
学会なのでそもそも大学の先生達が主メンバーで、研究者の方達にしたら論文集って自分たちの生命線で、そんなところに自分のような実務者が入ることで迷惑掛けないかと心配で緊張しっぱなしだった。
でも優しく明るい編集委員の先生達でずいぶん気が楽にできた。
僕にとってはいい経験だった。
おっとまだ編集は終わってないわ。
金曜は虎ノ門であった河川講習会に出席した。
温暖化に対しての河川の取り組みについての講演だった。
京大の中北先生、あとは国交省河川局の方2名のお話。
レーダーでの降雨観測と予測の話が多かった。
中北先生の話で、50年後、100年後の河川の流量の予測があって、それがリアルで面白かった。
いろんな前提に基づいているにしても、よくそんなことが予測値として出せるものだなぁと多少無邪気に感心した。
必ずしも50年後、100年後の予測がいい精度で当たるとは思わないけれど、10年とか30年とかのスケールででも、いまのレベルできちんと予測して、後手に回らないように対策をとっていくことが少なくとも大切だなと思った。
計画ごとって、どうしても過去をベースにするからね。
多少は大胆に考えないと、たまに来る巨大災害に太刀打ちできないよね。
帰りの飛行機で、もうすぐ着くという頃に、通路を隔てた女性がビリビリと機内誌を破り始めた。
どうやら気になる商品かお店の情報が載っている部分だけを持ち帰りたかったみたい。
でも僕は「切り取ったあとの冊子は、もとの位置に戻すなよ」と気が気でなくなった。
だけど女性は僕の心配をよそに冊子を前のシートの後ろのネットに戻した。
あーあ。
次にその冊子を読むことになる人の不快感が頭によぎり、何とも言えない気分になった。
がっかり。
ひと言声をかければ良かったのかもしれないけど、なかなかね。
着陸したとき、着地の衝撃でちょっと前のシートの上の収納扉ががしゃっと開いた。
そして、じわーっと開いた収納からするするとカバンが滑り落ちた。
人の上に落ちなかったことが幸いで、落ちたところは通路だった。
こういうこともあることかと思った。
だけど、これは後で客室乗務員が責められるのだろうか。
正論としては客室乗務員が確認を怠ったってことになるのかもしれないけど、それくらいは本当は客自身がやることだよね。
しっかり閉めとけってね。
この東京出張で大学の頃の友人と会った。
じっくり話したのは卒業以来か。
もうお互い40代。
年齢なりの悩み多し。
いろいろあるよね。
タイプ分けコーチングの基礎 ― 2009年12月09日 12時51分40秒
また技術士会主催のコーチングの研修会に行ってきました。
7月にもコーチング研修を受けたのですが、今回はその続きで「タイプ分けコーチング」。
コーチングするにしても、誰にでも同じ接し方がいいわけでなく、相手の性格やその時の状況にあわせた接し方をした方が相手が伸びるというわけで、そのためにタイプ分けが役に立つということでした。
そのタイプ分けが結構面白かったので、研修でとった自分のメモから書きます。
4タイプあります。
-----
○タイプ1:ガバナー型(支配・管理型)
先頭に立って物事を進めるタイプで、社長さんに多い。
決断力があり仕事はできる。
ただ、このタイプの人をほめるのは難しく「仕事できますよね」「リーダーシップありますよね」ではダメ。
仕事できるのは当たり前と思っているから。
それより「部下が生き生きと働いてますよね」のように、自分が影響している人・モノがほめられることのほうが本人は喜ぶ。
自分の判断のためになるから、相手からの反論も受け入れる。
○タイプ2:プロモーター型(増進・助長型)
明るく、感覚的な発想でどんどん動く。
自分が注目されることに快感を覚え、人に影響を与えたいと思っている。
ほめられることが好き。
このタイプには細かなことよりまず大きな夢を語る。
指図も細かすぎずに、大きく伝える。
何でもいいからとにかくほめる。
そうするとどんどん仕事する。
気持ちを乗せることが最大のポイント。
○タイプ3:サポーター型(支持・援助型)
人の役に立ちたいという気持ちが強い。
自分より人。
仕事より人間関係が優先になる。
対立を避けようとするから、相手にとても気を遣う。
気を遣うから、言いたいことがあっても前置きが長くなって、本音が出てくるまでが長い。
ほめると喜ぶが「あなた(You)の仕事良かったよ」より「あなたの仕事のおかげで僕(I)は助かったよ」というような、こちらが嬉しかったという伝え方が喜ぶ(Iメッセージという)。
仕事の見返りは感謝。
高圧的な態度は厳禁で、お願い口調がいい。
「うまくいってる?」と聞いても、また気を遣って「大丈夫です」と言ってしまうので、具体的に聞く。
○タイプ4:アナライザー型(分析・戦略型)
考えることが緻密で、何事も根拠が必要。
自分で分析して裏付けをつくる。
正確さが一番大事で「最近どう?」と聞かれても、最近の何を聞きたいのだろうと深く考えて「最近の何?」と聞いてしまうようなタイプ。
夢だけでは動けず、現実と夢とをつなぐプロセスが見えないと動けない。
ほめる時には、漠然としたほめ方では喜ばない。
「あの仕事良かったよ」ではなく「あの仕事のあの部分のあの結論のまとめ方が良かった」など、成果の具体的なところをほめる。
そうするととても喜ぶ。
仕事はアウトプットを示すだけで手段・やり方はその人に任せる。
専門意識が強いからやり方まで指示されるとふてくされる。
ちょっとつき合いにくい。
-----
実はこの4タイプを分ける診断シートがあって、たくさんの質問に対する答えを点数化して、その人がどのタイプかに分けられます。
(その診断シートはおそらくその研修の会社の専売特許のようなものだからここでは書きません)
タイプ部分けはあくまで例なので絶対ではないです。
ただ、診断シートを使って参加者をタイプ分けしてグループ別に座ったら、ホントにそうだよなぁというような分かれ方になっていました。
勉強になったね。
指導の仕方はその人それぞれに合わせてとは言うけれど、大まかなとらえ方ができるとすごくいい。
もちろん4タイプに無理矢理当てはめて、原則通りに指導したらいいやって考えたらおかしくなるけど、この人はどんなタイプなんだろうかということを全て手探りで考えるより、大体の目安を持っておいて、そこから先を自分の応用として人を見られると、職場の人間関係で大きな間違いも少なくなるような気がします。
7月にもコーチング研修を受けたのですが、今回はその続きで「タイプ分けコーチング」。
コーチングするにしても、誰にでも同じ接し方がいいわけでなく、相手の性格やその時の状況にあわせた接し方をした方が相手が伸びるというわけで、そのためにタイプ分けが役に立つということでした。
そのタイプ分けが結構面白かったので、研修でとった自分のメモから書きます。
4タイプあります。
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○タイプ1:ガバナー型(支配・管理型)
先頭に立って物事を進めるタイプで、社長さんに多い。
決断力があり仕事はできる。
ただ、このタイプの人をほめるのは難しく「仕事できますよね」「リーダーシップありますよね」ではダメ。
仕事できるのは当たり前と思っているから。
それより「部下が生き生きと働いてますよね」のように、自分が影響している人・モノがほめられることのほうが本人は喜ぶ。
自分の判断のためになるから、相手からの反論も受け入れる。
○タイプ2:プロモーター型(増進・助長型)
明るく、感覚的な発想でどんどん動く。
自分が注目されることに快感を覚え、人に影響を与えたいと思っている。
ほめられることが好き。
このタイプには細かなことよりまず大きな夢を語る。
指図も細かすぎずに、大きく伝える。
何でもいいからとにかくほめる。
そうするとどんどん仕事する。
気持ちを乗せることが最大のポイント。
○タイプ3:サポーター型(支持・援助型)
人の役に立ちたいという気持ちが強い。
自分より人。
仕事より人間関係が優先になる。
対立を避けようとするから、相手にとても気を遣う。
気を遣うから、言いたいことがあっても前置きが長くなって、本音が出てくるまでが長い。
ほめると喜ぶが「あなた(You)の仕事良かったよ」より「あなたの仕事のおかげで僕(I)は助かったよ」というような、こちらが嬉しかったという伝え方が喜ぶ(Iメッセージという)。
仕事の見返りは感謝。
高圧的な態度は厳禁で、お願い口調がいい。
「うまくいってる?」と聞いても、また気を遣って「大丈夫です」と言ってしまうので、具体的に聞く。
○タイプ4:アナライザー型(分析・戦略型)
考えることが緻密で、何事も根拠が必要。
自分で分析して裏付けをつくる。
正確さが一番大事で「最近どう?」と聞かれても、最近の何を聞きたいのだろうと深く考えて「最近の何?」と聞いてしまうようなタイプ。
夢だけでは動けず、現実と夢とをつなぐプロセスが見えないと動けない。
ほめる時には、漠然としたほめ方では喜ばない。
「あの仕事良かったよ」ではなく「あの仕事のあの部分のあの結論のまとめ方が良かった」など、成果の具体的なところをほめる。
そうするととても喜ぶ。
仕事はアウトプットを示すだけで手段・やり方はその人に任せる。
専門意識が強いからやり方まで指示されるとふてくされる。
ちょっとつき合いにくい。
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実はこの4タイプを分ける診断シートがあって、たくさんの質問に対する答えを点数化して、その人がどのタイプかに分けられます。
(その診断シートはおそらくその研修の会社の専売特許のようなものだからここでは書きません)
タイプ部分けはあくまで例なので絶対ではないです。
ただ、診断シートを使って参加者をタイプ分けしてグループ別に座ったら、ホントにそうだよなぁというような分かれ方になっていました。
勉強になったね。
指導の仕方はその人それぞれに合わせてとは言うけれど、大まかなとらえ方ができるとすごくいい。
もちろん4タイプに無理矢理当てはめて、原則通りに指導したらいいやって考えたらおかしくなるけど、この人はどんなタイプなんだろうかということを全て手探りで考えるより、大体の目安を持っておいて、そこから先を自分の応用として人を見られると、職場の人間関係で大きな間違いも少なくなるような気がします。
川の仕事 ― 2009年12月13日 08時32分23秒
自然に対する仕事なのである。
数字を追いかけ、判断に追われ、相手への説明に気をとられすぎると、その結果が川の自然に跳ね返るということを忘れがちになる。
何を大事にして仕事をするか。
計画を忠実に実行することなのか。
議論に時間を費やすより、効率よく仕事を動かすことが優先なのか。
自分の視線の先に誰がいるのか。
ひとつの判断が自然に跳ね返る。
判断に必要なのは、誰かが考えた受け売りの陳腐な正論ではない。
想像力が試されるのである。
数字を追いかけ、判断に追われ、相手への説明に気をとられすぎると、その結果が川の自然に跳ね返るということを忘れがちになる。
何を大事にして仕事をするか。
計画を忠実に実行することなのか。
議論に時間を費やすより、効率よく仕事を動かすことが優先なのか。
自分の視線の先に誰がいるのか。
ひとつの判断が自然に跳ね返る。
判断に必要なのは、誰かが考えた受け売りの陳腐な正論ではない。
想像力が試されるのである。
雪の堤防で車はまる、不等流計算、ブログ更新しないわけ ― 2009年12月26日 21時56分03秒
先日、河畔林伐採工事の現地確認に行った。
待ち合わせ場所で施工会社、役所の方と合流し、施工会社の車が先導、役所の車と僕らの車が続いた。
あいにく数日雪が降り続いたために、現地も一面の雪、雪、雪。
どうするのかと思ったら、先頭の施工会社の車は、何の躊躇もなく雪が降り積もった堤防の上に入っていった。
よくこんなとこ走るなぁと思いながらついていってたら、一瞬、ハンドルをとられた。
僕のとっさのハンドル操作が悪かったか、車が雪にはまって動かなくなった。
役所の車に積んであったワイヤーで脱出を試みるも失敗。
しかも、ワイヤーを車につないだシャックル(金具)がゆがんで外せなくなって二重苦に。
最後は後ろにまわった施工会社の車に引っ張りあげてもらってようやく脱出。
そんなことに時間がかかりすぎて、現地確認は中止。
迷惑をかけたのは僕らの車で、申し訳ない気持ちでいっぱいだけど、でもそもそもあの積雪の中で堤防の上を走ろうというのが無謀だったんじゃないのと本当は言いたかった。
いまどき不等流計算なんて、汎用ソフトで簡単にできる。
もったいぶってやるものでもないし、手間もそんなにかからない。
だけど、面倒なのは、他社の計算結果があって、その川の計画を引き継ぐとき。
断面座標や粗度係数などを合わせられるだけ合わせても、計算結果がいつまでも一致しないことがある。
と言うより、よくある。
どうして違うのかと言われたら、計算ソフトの誤差だとかいろいろ言うのだけど、汎用ソフトを使っている限り、プログラム上でどんな計算をしているのかわからない。
不等流計算って、計算のプロセスの中で収束計算が必要だから、収束条件をどう設定しているかで微妙に計算はずれる。
それより、エネルギー勾配をどう計算しているかで結果はだいぶ変わる。
それが汎用ソフトではブラックボックスだ。
たかが不等流。
だけど、その程度の認識だから余計にやっかいなのだ。
昨日、中標津に日帰り出張した。
朝イチの飛行機に乗ろうと丘珠空港に行ったら、使用する飛行機が前日の雪で丘珠空港に降りられず千歳空港にあると言う。
それで、いま千歳空港から丘珠空港に向かっているところで、30分ほど遅れるとアナウンスがかかった。
30分遅れたら打ち合わせ時間に間に合うか微妙だなと思いながら、でもカラの飛行機がただの移動として千歳から丘珠に向かって飛んでいる状態を想像したらなんとなく滑稽だなって思った。
ところで、朝に中標津まで行って、昼過ぎの飛行機に乗って戻り、14時頃にはもう札幌にいた。
なんと楽ちんだったことか。
飛行機に慣れたらもうJRとか車の移動が苦痛でしょうがなくなるだろうな。
最近ブログ更新してないねと言われた。
忙しいのもあるのだけど、忙しいときでも更新するときは更新していた。
実は読書にはまっている。
北方謙三の「水滸伝」。
全19巻なので、手をつけたらほかの本を読めなくなるかもと思って遠ざけていたのだけど、読み始めたらもう寝る間も惜しむくらいに面白い。
没頭している。
通勤電車も降りる駅を乗り過ごしたいくらいなのだ。
いいタイミングで正月休み。
休み中に読破できるかも。
昨日で年内の仕事はおしまい。
ゆっくり休もうと思うのだけど、休みながら仕事のことをいろいろ考えると思う。
仕事を離れながら仕事を考えることで結構考えが整理できるので。
待ち合わせ場所で施工会社、役所の方と合流し、施工会社の車が先導、役所の車と僕らの車が続いた。
あいにく数日雪が降り続いたために、現地も一面の雪、雪、雪。
どうするのかと思ったら、先頭の施工会社の車は、何の躊躇もなく雪が降り積もった堤防の上に入っていった。
よくこんなとこ走るなぁと思いながらついていってたら、一瞬、ハンドルをとられた。
僕のとっさのハンドル操作が悪かったか、車が雪にはまって動かなくなった。
役所の車に積んであったワイヤーで脱出を試みるも失敗。
しかも、ワイヤーを車につないだシャックル(金具)がゆがんで外せなくなって二重苦に。
最後は後ろにまわった施工会社の車に引っ張りあげてもらってようやく脱出。
そんなことに時間がかかりすぎて、現地確認は中止。
迷惑をかけたのは僕らの車で、申し訳ない気持ちでいっぱいだけど、でもそもそもあの積雪の中で堤防の上を走ろうというのが無謀だったんじゃないのと本当は言いたかった。
いまどき不等流計算なんて、汎用ソフトで簡単にできる。
もったいぶってやるものでもないし、手間もそんなにかからない。
だけど、面倒なのは、他社の計算結果があって、その川の計画を引き継ぐとき。
断面座標や粗度係数などを合わせられるだけ合わせても、計算結果がいつまでも一致しないことがある。
と言うより、よくある。
どうして違うのかと言われたら、計算ソフトの誤差だとかいろいろ言うのだけど、汎用ソフトを使っている限り、プログラム上でどんな計算をしているのかわからない。
不等流計算って、計算のプロセスの中で収束計算が必要だから、収束条件をどう設定しているかで微妙に計算はずれる。
それより、エネルギー勾配をどう計算しているかで結果はだいぶ変わる。
それが汎用ソフトではブラックボックスだ。
たかが不等流。
だけど、その程度の認識だから余計にやっかいなのだ。
昨日、中標津に日帰り出張した。
朝イチの飛行機に乗ろうと丘珠空港に行ったら、使用する飛行機が前日の雪で丘珠空港に降りられず千歳空港にあると言う。
それで、いま千歳空港から丘珠空港に向かっているところで、30分ほど遅れるとアナウンスがかかった。
30分遅れたら打ち合わせ時間に間に合うか微妙だなと思いながら、でもカラの飛行機がただの移動として千歳から丘珠に向かって飛んでいる状態を想像したらなんとなく滑稽だなって思った。
ところで、朝に中標津まで行って、昼過ぎの飛行機に乗って戻り、14時頃にはもう札幌にいた。
なんと楽ちんだったことか。
飛行機に慣れたらもうJRとか車の移動が苦痛でしょうがなくなるだろうな。
最近ブログ更新してないねと言われた。
忙しいのもあるのだけど、忙しいときでも更新するときは更新していた。
実は読書にはまっている。
北方謙三の「水滸伝」。
全19巻なので、手をつけたらほかの本を読めなくなるかもと思って遠ざけていたのだけど、読み始めたらもう寝る間も惜しむくらいに面白い。
没頭している。
通勤電車も降りる駅を乗り過ごしたいくらいなのだ。
いいタイミングで正月休み。
休み中に読破できるかも。
昨日で年内の仕事はおしまい。
ゆっくり休もうと思うのだけど、休みながら仕事のことをいろいろ考えると思う。
仕事を離れながら仕事を考えることで結構考えが整理できるので。
部下の失敗は誰の責任か ― 2009年12月28日 04時20分48秒
数年前のことだけど、ある役所の同年代の知り合いと話をしているとき、彼は「もう主任なんてやってらんない」と言っていた。
仕事は多い、係長は仕事を見ない、あげく失敗あったら管理職でなく主任自身が責任をとらされる。
こんな立場ってどう思いますか?と言われた。
上が仕事を見ないというのはよくある話だけど、組織が全てのような役所で、下が失敗したときにその責任を下がそのまま負わされるというのは想像しなかった。
僕が社会人になり立ての頃、当時の僕の上司も仕事をあまり見なかった。
聞けば何だかんだと答えてくれるけど、積極的に指導するという人ではなかった。
端から見るとそんなやり方もあるかもしれないと思うかもしれないけど、仕事がうまく進んでいるかどうかすら気を配っているようには見えなかった。
放任主義のつもりだったようだけど、僕にはただのほったらかしにしか見えなかった。
ただ、責任は自分がとるという意識はあったようで、打ち合わせの場で僕が相手から何か言われたら、いろんな理屈を並べてくぐり抜けようとしてくれた。
僕は、その上司が僕をかばってくれようとしてくれてることは感じたけれど、うまくいかなくなったときにその場で腹をくくるという責任の取り方をするくらいなら、うまくいくように最初からリードするという責任の示し方をしてほしいと思っていた。
下の失敗の責任を上司としてどう扱うか。
全て上が責任をとればいいというのは浅い結論だ。
腹をくくるのが早すぎる。
例えば部下が会社のお金をこっそりくすねてギャンブルに使ったとして、その責任は上司にあると言われたら、上司はたまったもんじゃない。
(ちょっと例が悪いかな)
教育責任もあるとは思うけど、常識外れの行動まで指導はしきれない。
下の失敗をどう扱うか。
まじめに仕事してても失敗やトラブルは必ず起こる。
その前提で、まじめに仕事しているなかで起こった失敗・トラブルの責任は個人に背負わさないようにする組織の発想が必要だ。
多少のトラブルでも組織なら吸収できるけど、個人って簡単に壊れてしまう。
組織の中で動いて起こった悪い結果を、できるだけ個人に帰着させないという発想を普段からもっておいたほうがいい。
重要な問題になればなるほど、個人の判断の責任とせず、できるだけ組織として判断をする。
それが社員を守るということじゃないかなと思う。
仕事は多い、係長は仕事を見ない、あげく失敗あったら管理職でなく主任自身が責任をとらされる。
こんな立場ってどう思いますか?と言われた。
上が仕事を見ないというのはよくある話だけど、組織が全てのような役所で、下が失敗したときにその責任を下がそのまま負わされるというのは想像しなかった。
僕が社会人になり立ての頃、当時の僕の上司も仕事をあまり見なかった。
聞けば何だかんだと答えてくれるけど、積極的に指導するという人ではなかった。
端から見るとそんなやり方もあるかもしれないと思うかもしれないけど、仕事がうまく進んでいるかどうかすら気を配っているようには見えなかった。
放任主義のつもりだったようだけど、僕にはただのほったらかしにしか見えなかった。
ただ、責任は自分がとるという意識はあったようで、打ち合わせの場で僕が相手から何か言われたら、いろんな理屈を並べてくぐり抜けようとしてくれた。
僕は、その上司が僕をかばってくれようとしてくれてることは感じたけれど、うまくいかなくなったときにその場で腹をくくるという責任の取り方をするくらいなら、うまくいくように最初からリードするという責任の示し方をしてほしいと思っていた。
下の失敗の責任を上司としてどう扱うか。
全て上が責任をとればいいというのは浅い結論だ。
腹をくくるのが早すぎる。
例えば部下が会社のお金をこっそりくすねてギャンブルに使ったとして、その責任は上司にあると言われたら、上司はたまったもんじゃない。
(ちょっと例が悪いかな)
教育責任もあるとは思うけど、常識外れの行動まで指導はしきれない。
下の失敗をどう扱うか。
まじめに仕事してても失敗やトラブルは必ず起こる。
その前提で、まじめに仕事しているなかで起こった失敗・トラブルの責任は個人に背負わさないようにする組織の発想が必要だ。
多少のトラブルでも組織なら吸収できるけど、個人って簡単に壊れてしまう。
組織の中で動いて起こった悪い結果を、できるだけ個人に帰着させないという発想を普段からもっておいたほうがいい。
重要な問題になればなるほど、個人の判断の責任とせず、できるだけ組織として判断をする。
それが社員を守るということじゃないかなと思う。
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