応用生態工学会セミナーでの雑感(その2)2008年08月28日 05時13分10秒

もうひとつ、応用生態工学会の講演を聴いて感じたことを。

ある講師が、これまでの多自然型川づくりで、いかに現場の技術者が考えないで変な川づくりをしてきたかと力説していた。
その講師の1時間の講演は、何だか説教を聴いているようで気分が良くなかった。

ま、いいんですよ、説教も。
説教する人がいないと世の中は変わらないですから。
だけどそんなに強く批判できる立場ですかと聞きたい。

確かにしっかり考えていない現場も多い。
それを取り上げて批評したくなるのもわかる。
そういう役どころを引き受けた人でもあるのだろう。
だけどその人も同じ時代を生きいたのだ。
同じとき、その人がその現場を見て本当に同じ批判ができましたか、と。
あとになって人の仕事を批判するのは、時間を経た経験を蓄積すれば誰にでもできる。

これは各地河川の環境に関する批判を見聞きするたびに感じていたことでもあって、例えばこの数十年で日本の川が水路化して環境は悪くなったという人がいるけれども、その人はその数十年前に同じように指摘しましたかと問いたい。
その人もどこかで同じ時代を生きていたはずで、その数十年前には環境問題を指摘できなかったか、そもそも関心がなかったかの人が、数十年前なりの時代の要請・当時なりの試行錯誤で仕事してきた人とその成果を簡単に批判するのはどうなんだろうか。
つまりはその数十年前に自分が指摘できなかった負けをまず認めよと。
その上で、現時点では事業者と批評者が同じように過去をフィードバックして、これからのことを考えていけばいい。