オグシオとバレーボールと谷亮子2008年08月12日 06時55分22秒

昨日はオグシオの試合をテレビで見ました。
完敗だったんだけど、それよりもう中国の応援がすさまじくて気の毒になりました。
中国のショットひとつひとつに応援団の「それっ!」っていう声が被さるんですよね。
ま、実際には中国語だから「それっ!」かどうかはわからなくて、そう言ってるような気がするだけなんですけど。

ちょうどさ、日本でよく開かれるバレーボールの世界大会がこんな感じなんでしょうね。
手をたたく代わりに棒のような鳴り物で音を出して、日本の攻撃が決まったときだけ異様なくらいに会場全体が盛り上がる。
それも、勝手に盛り上がるんならまだしも、ナビゲーターのような人がアナウンスで応援を誘導する。
そんなの明らかにやりすぎ。
ホーム・アウェーを超えたアドバンテージを作為的につくり出すというのは、やっぱり公平ではない。
それを考えたら、昨日の中国のバトミントンは観客が勝手に一体になっているだけだからまだ健全とも言えるかな。
ちょっと恐ろしいくらいだったけど。

ところで僕は実はオグシオの初戦と昨日の準々決勝を見て、どっちがオグでシオかやっとわかった。
それだけでもちょっと得したような気分なのでした。

オリンピックの話でもうひとつ、谷亮子が負けたのは残念だったけど、終わったあとに報道されるいろんな背景なんかを読んでいると、やっぱり大変なんだなと思いますね。
本業と子育てとの両立。
完璧主義の人はやっぱり大変なんだなと思います。
自分としては柔道も子育ても両方を文句つけられない状態にしてこそ誇りを持てると思うんでしょうね。

自分のスタンスに自分がいかに納得できるかだと思うんですよ。
人によっては、今は柔道に専念したいから子育てはしばらくは人任せでいいって割り切れるかもしれないけど、彼女はそうはできなかったんでしょう。
自分の子供って、育てる使命感みたいな感情が当然出てくるから、簡単には気持ちを切り離せないですしね。
結果としてやるべきことに優劣つけるわけにはいかず、柔道と子育ての両方を本業にしたんでしょう。

日常の仕事を考えても、このあたりはとても勉強になります。
捨てる勇気って言うんでしょうか。
捨てるべき時は捨てる。
人からどう見られようと、自分で優先順位をつける。

全て抱えて全てこなそうとするのは、ある意味楽なんですよね。
葛藤がなくなるから。
その分、こなす時間が必要になるから睡眠が減って体力的にきつくなるし、考えることも増えるし、会う人も増えてエネルギーを使うことになる。
完璧主義だと、ひとつひとつの仕事の質を落とせないから、どんどん自分を追い込んでいくことになる。
全て抱えて気持ちを楽にしたかわりに、体力的にはどんどん消耗して、結果として仕事の質が落ちることもあって、そうなると自分に納得いかなくなってしまうというジレンマ。

優しさなんでしょうね。
捨てることで自分以外の人に何らかの迷惑がかかる。
迷惑をかけるくらいなら自分で引き取る。
ま、そんな優しさも含めて本人のオリジナリティでしょうから、結局は本人がそんな自分の性格とつき合っていくしかないんでしょうね。