危険な特殊作業と言って断る勇気をもてるか2008年09月01日 23時00分53秒

昨年、ある川の調査で崖に植物を移植する作業をした。
工事予定地に生えている貴重種の植物を工事に関係のない場所に移すのだけれど、対象の植物が崖地に生える植生だったので、移植先も近くの崖面を選ぶことになった。

調査だけなら崖下から植物を見られるし、高いところでも双眼鏡を使えば確認できる。
しかし移植となるとそうはいかない。
登らないといけないのだ。
植物が生えている場所まで登っていって植物を採取して、その崖を降りてこないといけない。
しかも現地は崩れやすい崖面だったので、登ったり降りたりというわずかな震動で崖が崩れる可能性だってあった。
ヘルメットや命綱のような安全装備をしたとしても、崖自体が崩れたら命が危うい。

結果として事故はなかったのだけど、そもそもそのような危険作業をただのコンサルが委託調査業務のなかで簡単に引き受けていいのだろうかという、根本的なことを考えさせられた。
特殊作業ならば特別な安全対策が必要だ。
危険な特殊作業なのかどうかの厳密な線引きは難しいかもしれないけれども、明らかに通常の調査作業を超えていると感じたときには、素直に発注者に相談したほうがいいと思った。
コンサルとして現地調査はプロではあるけれども、だからと言って特殊作業は必ずしもみんながプロでなく、全ての会社が何でもできるとは限らない。
不得意、もしくは安全管理上で自信がなければ、勇気を持って「できない」と伝えて身を守ることも必要だと思った。


いま、実はほかの調査で同じような局面に遭遇している。
うちではできないとはっきり言うべきか。

やる前からできないって言うな?2008年09月04日 22時50分33秒

またある調査での話。

ある川で魚を目視で確認するという作業の打ち合わせをしていたとき、上流は浅く澄んでいるからいいけど、ある支川が入ってからは水が濁り、流量も増えて水深が深くなるから、それより下流では調査はできないですねと言うと、ちょっと偉い立場の方から「やる前からできないってどうして言えるんだ」と言われた。

前年もその川で調査をしていて現地をずっと見ているので、その作業ができるかどうかはわかります、というようなことを言ったのだけどその方には全然通じない。
その方にとっては、やる前から諦める態度をとられるのが気にくわなかったのだろう。
やってみてからこういう理由でできませんでしたと報告せよということだろう。
こちらがどう説明しようともその方の考えは変わりそうになかったので、その時はそのまま引き下がった。

当たり前だけど、現地に行けば行くほど、現地の雰囲気や状況は詳しくなる。
ましてや調査者はいつも調査の視点で現地を見ているので、現地の知識は増える。
その視点で、できそうにないことは「できません」となる。

やる前からできませんと言うなというのはごもっともなご意見で、やりたくないときのできない理由探しならとがめてもいいだろう。
しかしできないことがほとんど確実なことでも、できないと言うのはやってみたあとだと言うのはちょっと強引すぎる。

仮に、明らかにできないことをやってみて、そのあとに「やってみたけどできませんでした」と言ったらどう言うだろうか。
「できないことくらいやる前から見極めるのがプロじゃないの」とでも言うかもしれない。

最初から「できない」とはっきり言いすぎたんだろうな。
僕だって、ほかの人に何かを頼もうとして簡単に「できません」って言われたら、ちょっとはやり方考えてからできないって言えよって思うかもしれない。
つまりは伝え方の問題もあるってことで、「できない」って伝える場面も、単刀直入に言ったほうがいいときや、少し難しいくらいの言い回しに抑えておいて、相手もできそうにないかなって徐々に思い始めるくらいにしておいたほうがいいような場面もあるのかもしれない。

判断を早くというのが仕事の鉄則のような気が無意識にしているのだけど、いつも早い決着を求めるのでなく、時間をかけて納得してもらうというパターンも持っておければいろんな場面に対応できるんだろうな。

打ち合わせで決めたことと違うことを求められたら2008年09月05日 22時22分22秒

昨日とはまた別の調査での話。

ある生物調査の調査計画を立てている段階のとき、おおざっぱに広く調査するか、狭い範囲で細かく調査すべきかを業務の担当者が頭を悩ませ始めた。
どちらもやれればいいのだけど、それでは調査が倍になるのでどちらかに絞りたい。
最後の判断は発注者に委ねるにしても、コンサルとしての考えも必要。

その川での初めての調査なのでまずはおおざっぱな特性をつかんだほうがいいと考えて、広く調査するほうを発注者に提案して、じゃあそれでいこうということになった。

調査は順調に進んで結果が出はじめた。
そうしたら発注者の担当の方が言った。

「もっと細かい情報が知りたいんですけど」

それに業務の担当者がかみついた。
「必ずこうなるんです。
 片方のことを知ったらもう片方のことを知りたくなる。
 それで、何でやってないの? って必ず聞いてくる。
 だから最初に念を押して、こちらの方法でいいですかと聞いたんですよ」
と。

発注者の方は謝りつつ、
「でも今の結果を人に説明しようとしたら、細かいほうの調査はやってないのって必ず聞かれると思うんですよ」
と言う。


似たようなことは、例えば設計なんかの業務でもたびたび起こりうる。
打ち合わせで決めた方針で仕事を進めたのに、あとで違うことを言われてやり直しになることは実はよくある。

そんなとき、当事者としては、決まったことがあとで覆るんだったら打ち合わせした意味が無いじゃないかと言いたくなる。
気持ちはわかる。

だけど仕事を頼んでいる側の立場で考えると、成果がカタチになって現れたときにはじめて、それを見ていろんな発想が湧くのも事実だ。
当初想像していただけのときは、所詮想像なので指示にも限界がある。
カタチになって見えたときに、やっぱり捨てた方の案のほうがいいかなって思う場合だってある。

じゃあ頼まれる側としてどうすればいいか。
最初の打ち合わせで決めたことだからそのまま進めさせて頂きますって突っぱねるのか。

方針がかわりそうかなと思ったときに早めに依頼者に相談することだ。
当初の決めごとにはこだわりすぎず、そのまま進めていいか、路線変更するかを躊躇せず聞いてみることだ。

もちろん細かすぎることをいちいち聞くのはどうかと思うけど、相手にとっても方針を変えるかどうか確認しておいたほうがいいはずの場面だったら、そのまま突っ走らず聞いてみた方が親切だ。
必要なのは、聞くべきことか、聞かず走るべきことかを峻別できる仕事のセンスだ。

そんなのわかってるって人も多いと思う。
でも後手に回ることも実は多い。
聞いて、せっかく進んだ成果がもとにもどることもあるし、聞いたばっかりにやることが増えるということもある。
そんな経験をもってたりすると、聞いたばっかりにやること増えるくらいだったら、聞かないで当初の打ち合わせで決めたとおりに進めて「文句ありますか」という態度でいたいと思ったりする。

最初に挙げた業務の例では、ある程度調査が進んだ段階で、僕は担当者に「そろそろ一度発注者に相談すべきじゃないか」というアドバイスをすべきだった。
そこが僕の失敗だった。
そのタイミングを感じ取れるセンスが欠けていた。
僕にとってもひとつ教訓が増えた。

自治会設立で考えたいい加減ときっちりのバランス2008年09月10日 23時07分49秒

我が家のあるブロックで自治会が立ち上がった。
このブロックは、もともとは何かの寮だったところが、3年前くらいに宅地化されて20件近くの家が建ったところで、自治会はなかった。

自治会がないだけでなく、道路には街灯もなく、夜は真っ暗。
冬は除雪は来るけれども、たまった雪を持って行ってくれる排雪はなし。
街灯も排雪も市にお願いしようとすれば、自治会を通さないといけないということで、そのために自治会を設立しようということになった。

だけど自治会や町内会って、役員が行事や会議に追われるというイメージがあって、みんなほとんどが30代とか40代の仕事がいちばん忙しい年代だから、そんなことにいちいちつき合ってられないというのが本音で、だから街灯と排雪という必要最小限のための自治会にしようということでまとまった。
ちなみに僕はある時から集会の進行役をするようになった成り行きで、最初の会長を引き受けることになった。
必要最小限の自治会ということで、役職者の仕事もあまりきっちりしすぎずに、できるだけ負荷のかからないやり方にすることにした。

ただ、ここでちょっと考え方が揺らいだ。
会計もできるだけ簡単にと考えていたのだけど、そんな話をある同僚にしたら、会計だけはきっちりやったほうがいいですよと言われた。
何でも、その同僚の子供が通う学童保育で数年前に100万単位の使い込みがあったとのこと。
その学童保育ではスタッフの給料なんかもあって月単位で数十万の金が動いているそで、会計を3年くらい続けた人がやっちゃったそうだ。

うちの自治会とは組織の大きさが違うので、単純に同じことが当てはまるとは限らないけれども、動く額は小さいとは言え10万くらいの金額になるときもあるので、会計担当が変な目を向けられない自衛策も含めて考えた方がいいかなと思った。
やはり金のことはきっちりしないといけない。

メリハリというのか、力を入れすぎずに適度に進めることがいいことと、きっちりすべきこととを峻別することで、バランスのいい組織ができていくのだと思う。
これからご近所の人達とお喋りで話を聞きながら、少しずつカタチをつくっていけたらと思う。

お金を払ってるんだからという理屈2008年09月11日 08時22分06秒

先日、自治会の集会のときに、うちの区域の家を建てたハウスメーカーの方と話をした。
儲かってますかと聞くと、いやいやダメですねぇと。
最近は、お客さんの考える時間が少しずつ長くなってきているとのこと。
例えば以前なら3ヶ月くらいで結論が出たような話でも、4ヶ月とか5ヶ月とか時間をかけて決められると。
まぁ注文建築でじっくりプランを考えるのはいいことではあるけれども、時間をかけて他の会社のプランと比較して、数社から2社を絞って、またそれからいろんな注文を出して検討させて、最後に「他社にお願いすることにしました」とお茶菓子1個でさようならという場合もあるんですよとのことだった。

注文建築の雑誌なんかを見ると家のうまい建て方なんかが載っていて、土地を手に入れたら数社にプランと見積もりを出させて比較して、気に入った家を安く上手に建てましょうというような書き方がされている。
だから客の側もそんなやり方をテクニックとして活用しようとして、家づくりを上手に進めることに意識が向いていく。
そして契約がほしいメーカーの下手(したて)の態度をいいことに、お客側の態度は遠慮がなくなり、「やりたくないならやめてもいいですよ」という脅し文句を小脇に抱えてメーカーとの交渉を優位に進めようとする。
もちろん契約に至るまでのメーカーのプランづくり作業や見積もり作成は無償作業だ。

お客様は神様ですとはよく言うけれど、お客が自分で神様気分になり過ぎていないだろうか。

お客様を神様くらいに思って接するのが売る側に求められる姿勢だというのは理解できるけれども、これはあくまで売る側の教訓としての言葉であって、客が逆手にとって使う言葉ではない。

家に限らず、特に最近、いろんな場面でお客優位の理屈がまかり通っていると思う。
「お金払ってるんだから」という言葉を都合よく使いすぎだ。
お金を払うからと言って、何でも要求していいいうものではない。
売る側を見下して偉そうな態度をとっていいわけはない。

買い物でも仕事でもそうだ。
買う側も売る側も、どちらが優位に立つというのではなく、気持ちを伝えて、いいもの、いい関係をつくっていけたらと思う。