キバを抜かれていく人たち2013年03月16日 06時32分37秒

少し前の朝日新聞の書評欄にあった佐々木俊尚氏の今どきのお笑い芸人に対する見方に、僕が何となくテレビを見ていて感じていた違和感が晴れるような感じがしてスッキリした。

昔の芸人さんたちとの比較はよくわからないけど、売ろうと頑張ってるころは漫才とかコントとかがむしゃらにみえるくらいやっていて、売れて軌道に乗り始めると、スーツ着て司会のようなことやったり、ゲストを迎えてそのゲストの良さを引き出すような、つまりはテレビの中でいい人の役割に収まってしまう。
やりたいことがつくり上げるお笑いというより、テレビの中で求められる立場に合わせて売れるということになってるのかもね。

それがロックバンドとかシンガーソングライターだと、もちろん売れないことには始まらないのだけど、売れても周りに合わせるというより、やっぱりどこかで自分の音楽はこれだというのを持っていて、自分の音楽を大切にしたりするよね。
Yuiが活動休止するときに、自分がつくった楽曲をテレビ用にアレンジを変える要求が来てそれに納得がいかなかったというようなことを話していて、これも売れればいい受ければいいというのではなく、あくまで自分の音楽というものが最優先ということだよね。
音楽の人たちのほうはキバを抜かれない人が多いということか。
一般化して言えることかどうかはわからないけど、何となくそんな感じがするね。

で、無理やり自分の分野に置き換えることでもないのだけど、先日、ある河川の委員会にでて、ちょっと感じたことがあった。
議論している内容に対して、ある大御所のような先生からだいぶきつい指摘があったのだけど、超カンタンに言うと「自分たちの役割をもっとちゃんと考えてこれからの方向性を決めろ」ということだった。
研究者には研究者としての役割があり、行政としては実務としての役割があり、それを見失っているのではないかということだ。

明確な意志を持つ。
ほとんどの場合、ひとりで仕事しているわけではないので、打ち合わせとか会議とかでいろんなやり取りが起こる。
当然、意見が違うこともよくある。
技術論であっても、単純な数学のように正解はひとつというということはほとんどなくて、いろんな技術論がでてくる。
すると、技術論であっても、どれを採用するかが技術的な判断より、判断する立場の人の考えで決まったりもする。
これはよくある。

誰かが判断して前に進むのでやむを得ないのだけど、人の判断にゆだねるということに気を許しすぎると、人が変わったら判断も変わるわけで、当然やってることがふらふらになる。
つまり判断する人の顔色を見ながら仕事をすることは、目の前の仕事を動かすにはいいのだけど、長い目でみたら仕事が変な方向に向いたり、自分の首を絞めるということになったりもする。
だから、自分の分野の仕事で言うと、コンサルタントのような立場は、目の前の相手の一言一言にも対応しつつ、大きなところで明確な意志を持っておくことが、仕事自体を崩さずに進めていけることにつながるのだろう。

求められるコメントをいい人ぶって放つお笑い芸人になるのではなく、やるべきことは漫才だコントだと立ち位置を意識して仕事できるような技術者でいることが大切なのだ。

玉砕はこたえる2013年03月18日 22時22分44秒

帰りに最寄り駅を降りたら霧だった。


今日は仕事があまりうまくいかない日だった。
大詰めの打ち合わせで玉砕だ。
言われることはわかったのだけど、それを理解するのが遅かった。
自分の仕事の下手さにがっかり。
その続きで、関連するメールを関係者に出したら、柔らかくクレームのような指摘が入った。
僕が悪いの?と言いたくなる気持ちを抑えて・・・。
まあそんな日もあるよね。
反省するところは反省して前向きに。
ところで上司に「打ち合わせで玉砕しました」と言ったら「玉砕された、だね」と訂正してくれた。
やはり全然ダメな日だった。


WBCの最後で「ダブルスチールをしてもいいというサインがあった」という監督のコメントは本当だろうか。
大事な場面で中途半端だよね。
でも「ダブルスチールのサインだった」と言えば、サインの見落としで選手に矛先が向けられる。
あいまいなコメントにしておけば「そんな中途半端なサインを出してたのか」と監督自身に非難が向けられる。
意図的に選手をかばうコメントにしたのか、本当だったのか、おそらく真相は明らかにならないだろうね。
謎は謎のままで、まいいか。

瀬尾まいこ、近藤史恵、越谷オサム、大崎梢、島本理生2013年03月23日 05時33分07秒

テスト勉強してるときほど本を読みたくなるとは大学の頃によく言ってた。
では忙しい時ほど本が読みたくなる?
それは、言葉にするとそう思えるだけで、忙しい時は仕事をこなすことで精一杯で、疲れたら寝るだけ。
本を読みたくなるという精神的な余裕は実感としては正直ない。
本を読みたくなるのはむしろ余裕がある時な気がする。

ただ、忙しいときで、出張が多いという条件がひとつ加わると本を読みたくなるというのは本当な気もする。
それは、出張の移動中にも仕事をやろうと思っていたのが、つい仕事から逃げたくなって本を読み始めて、どこかで切り上げようと思うのだけど、仕事に戻りたくないからずっと本を読み続けてしまう。
これは大学の頃のテスト勉強で本に逃げたのに似ているかもしれない。
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ふたつ目の月 近藤史恵
契約社員から正社員になったとたんにクビになった主人公の話。
話が進むにつれて真相が明らかになっていくのだけど、最後までその真相が明らかになったと思えないのは僕の理解が足りないせいか。
物語としては△、読後感は◯。

ボーナストラック 越谷オサム
ひき逃げで死んじゃう主人公がおばけで出てくるお話。
この手のファンタジーは最初は拒絶感があるのだけど、割りきって読めば面白かった。
好みかどうかは別として◯、読後感も◯。

強運の持ち主 瀬尾まいこ
元OLがスーパーの一角で占い師を始める。
そういうお店あるよなあと想像しながら、でもこんなにお客さん来るのかなとも思ったり。
読みながらうなずくところあり◯、読後感も◯。

配達あかずきん 大崎梢
書店の謎解き。
こういうストーリーはちょっと流行りなのか?と言ったら作者に失礼かな。
出てくる女の子達が可愛い感じで◯、読後感も◯。

風待ちのひと 伊吹有喜
メンタルで休職中の主人公が女性と出会う。
こういう展開だと女性は若い女の子というのが多い気がするのだけど、この女性は40近く。
気持ちが入り込めて◯、読後感◎。

ナラタージュ 島本理生
「クローバー」を読んで島本理生の小説をもう少し読みたいと思って買ってみた。
先生に恋する女子高生の話。
途中ですこし中だるみのような感じを持ったけど面白かった。
だけど性犯罪が出てくるのはちょっとね。
嫌いにはならない感じで◯、読後感は△。

リトル・バイ・リトル 島本理生
これは・・・ほかの小説と比べるものではないのかも。
内容△、読後感も△。

真綿荘の住人たち 島本理生
主人公の男の子が大学で下宿に入るシーンで、自分が大阪から札幌に一人暮らしでやってきてぼろアパートに入った時のことを思い出してだいぶ感傷的になった。
物語はとてもおもしろいのだけど、やっぱり性犯罪がからむ。
迷うけど◯、読後感も迷うけど◯。
また読み返している。

「残念な人」とかやめようぜ2013年03月24日 07時33分28秒

早朝ウォーキングにて。
昨日は出勤したけど今日は休み。
この時期、年度末の報告書とりまとめと来年度の提案と頭のなかがごちゃごちゃで、休日もふと仕事のことが頭に浮かんだりしてなかなか落ち着かないけど、1時間くらい歩いているといろんなことが整理されてくる。
貴重な自分の時間ですな。


言葉の話。
「残念な人」とかいう言い方はなくなってほしいと思う。
残念な人のなんとかという本が出てから静かに広まってる感じがして、僕の周りでもたまに使ってる人がいたりして、確かに言葉がぴったりくるような場面もある気がするんだけど、普段の会話に出てきたらとても不愉快になる。
これこそ上から目線そのものだよね。
人のことをイマイチだなと思った時に使いたくなるみたいだけど、いい気になって使うのはやめてほしい。
気分が悪くなる。

一時期「予定調和」という言葉もじわじわ広がりかけたけど、思ったほど定着しなかった気がする。
言葉が堅すぎたのかな。

「リスペクト」というのは10年くらい前から広まった感じだね。
尊敬するって日本語で言うより堅苦しくなくていいよね。
でも僕は何となくむずがゆくて未だに使えない。

「エクスキューズ」は最初聞いた時、どんな意味なんだと思ったけど人に聞けずわかったふりして合わせて、あとで調べて言い訳だとわかった。
英語苦手(笑)
リスペクトほど広まらないのは何でだろう。
「言い訳」という方がしっくりくるからかな。
どちらかと言うとネガティブな言葉だからか。

ところで最後に(笑)と書くのも、自分で使えるようになったのはとても最近(笑)
なぜかずっと抵抗があった。
でも使ってみたらとても便利。
僕はたぶん言葉の使い方に対してとても臆病で、でもあまりこだわりすぎず、柔軟に受け入れていくこともいいんだろうね。
でも「残念な人」という言い方は絶対に使わない。

組織の問題と個人の問題2013年03月25日 22時32分02秒

札幌駅近くの合同庁舎16階より。
打ち合わせが終わり(正確に言うと納品の検査)、いつものエレベーターでなく階段使おうと普段行かないところに行ったらこんな景色が見れる窓があった。
写ってるのは札幌市の北九条小学校。
大学の頃、ここの体育館の学校開放を借りてバレーサークルの練習やったよ。
だけど、よく見たらグランドに建物が建ってるよ。
どゆことだろう???


その納品の検査でトラブルがあった。
こちらのミスなんだけど、正直、あぜんとした。
でも本当は僕のミスなのかもしれない。
人によっては僕のミスだと断言することかもしれない。
ただ、他人ごとではないけれど、複数の人でやってる仕事で、お互いに思い込みがあって、それがすっかり噛み合わなかったときにこういうことが起こるんだなって思った。

組織としての問題とみれば、お互いに確認しあってやるべきだったとか、誰かがひとり責任者としてきちんと最終確認をやるべきだったとか、正論は言える。

それもあるとして、だけど個人の問題として「丁寧に仕事する」ということを心がけているかどうかだよなとも思う。
組織で仕事してるのだけど、個人の問題もあるよね。