最近読んだ本から:勝利のチームメイク、社長でなくても、間宮林蔵 ― 2011年04月10日 21時08分11秒
勝利のチームメイク 岡田武史、平尾誠二、古田敦也 日本経済新聞社
本棚を整理していたら7-8年前に読んだ本が出てきた。
この3人のそれぞれの対談が載せられている。
ちなみにまだ岡田さんは1回目の日本代表監督を終えたあとの頃。
これだけの格の人達は、お互いに何を言っても共感するんだな。
ギリギリの勝負をしている人達は、考えるところがどこかつながるのだと思う。
古田と岡田さんの対談で古田は、勝負で開き直りは大事だけど、中途半端に投げやりの感覚でえいっとやるのではなくて、自分で最後の状況まで追い込んだあとに思い切ってやるというのが勝負の開き直りだと言っている。
岡田さんも、どうせ考えても結論が出ないと思って感覚的にえいっとやる人、考えて考えてでもえいっってできない人、どっちも大成しないと言っている。
これは僕も日常の仕事で感じるね。
自分なりの結論を出せるまで粘れるか、粘ったあとでえいっって決められるか。
性格とか、経験とか、年齢とかの問題じゃなくて、そういう意識を持ってるかどうかの違いかなって思ってるよ。
社長でなくても変革は起こせる! 青田卓也 日経プレミアシリーズ(新書)
変革なんてたいそうなことをいつも考えているわけじゃないけれど、それでも何とかしたほうがいいなということが社内にはごろごろ転がっている。
しかも管理職になり、現実として上に近い位置になると、自分の声が届くかなということも考えるようになる。
自分の考えを提案ごととして口に出せるようになるかがひとつのハードルだ。
でもそれは、自分がハードルを越えただけで、提案がカタチに結びつくかはまた別の問題だ。
つまり「言う」ということと「聞いてくれる」ということは別物だということなのだ。
相手は相手で考えがあるからね。
しかも上の立場としての態度ってのもちらつくだろうし。
そういういろいろに対する著者の身のこなし方が書いてある。
提案とか説得とか、自分がどれだけ考えたかという本質がきちんとあるかどうかがほとんどで、それをどう出すかというテクニックがあればさらに良しと僕は思う。
ま、本質はしっかりしてるのに、出し方、見せ方が悪いから通らないということもあるから、テクニックもきちんと身につけた方がいいんだけどね。
それに、もうひとつ。
瞬間で変わることもあるけど、たいがいは時間がかかると最初から思っておいた方がいいということかな。
林蔵の貌(かお) 北方謙三 集英社文庫
水戸、島津の人達とシーボルト、松平定信、間宮林蔵らが入り乱れる。
もう歴史の勉強からから遠ざかっているけれど、昔の知識でなんとか記憶に引っかかっている名前の人達。
でも、それぞれがどんなことをしていたのかなんて、説明せよと言われてもひと言も出てこない。
主人公の間宮林蔵にしてみても、この人が伊能忠敬を先生として蝦夷地の測量をした人とは全く知らなかった。
歴史の教科書では習っていたのかね。
極寒過酷な地でひたむきに測量して畏怖の念さえ抱かれた間宮。
その間宮を頼りに蝦夷地に入るも薩摩に殺される友人信平。
その恨みを持ち続けて薩摩への復讐を企てる間宮。
相手の一途さに心が動かされて相手を友達と認識するというようなことって、自分の日常であるだろうかと考えた。
なかなか今の仕事、生活の中で、人のまっすぐさに心が打たれるという場面はなかなかないし、自分の中にそう言う面が残っているのだろうかと考えた。
本棚を整理していたら7-8年前に読んだ本が出てきた。
この3人のそれぞれの対談が載せられている。
ちなみにまだ岡田さんは1回目の日本代表監督を終えたあとの頃。
これだけの格の人達は、お互いに何を言っても共感するんだな。
ギリギリの勝負をしている人達は、考えるところがどこかつながるのだと思う。
古田と岡田さんの対談で古田は、勝負で開き直りは大事だけど、中途半端に投げやりの感覚でえいっとやるのではなくて、自分で最後の状況まで追い込んだあとに思い切ってやるというのが勝負の開き直りだと言っている。
岡田さんも、どうせ考えても結論が出ないと思って感覚的にえいっとやる人、考えて考えてでもえいっってできない人、どっちも大成しないと言っている。
これは僕も日常の仕事で感じるね。
自分なりの結論を出せるまで粘れるか、粘ったあとでえいっって決められるか。
性格とか、経験とか、年齢とかの問題じゃなくて、そういう意識を持ってるかどうかの違いかなって思ってるよ。
社長でなくても変革は起こせる! 青田卓也 日経プレミアシリーズ(新書)
変革なんてたいそうなことをいつも考えているわけじゃないけれど、それでも何とかしたほうがいいなということが社内にはごろごろ転がっている。
しかも管理職になり、現実として上に近い位置になると、自分の声が届くかなということも考えるようになる。
自分の考えを提案ごととして口に出せるようになるかがひとつのハードルだ。
でもそれは、自分がハードルを越えただけで、提案がカタチに結びつくかはまた別の問題だ。
つまり「言う」ということと「聞いてくれる」ということは別物だということなのだ。
相手は相手で考えがあるからね。
しかも上の立場としての態度ってのもちらつくだろうし。
そういういろいろに対する著者の身のこなし方が書いてある。
提案とか説得とか、自分がどれだけ考えたかという本質がきちんとあるかどうかがほとんどで、それをどう出すかというテクニックがあればさらに良しと僕は思う。
ま、本質はしっかりしてるのに、出し方、見せ方が悪いから通らないということもあるから、テクニックもきちんと身につけた方がいいんだけどね。
それに、もうひとつ。
瞬間で変わることもあるけど、たいがいは時間がかかると最初から思っておいた方がいいということかな。
林蔵の貌(かお) 北方謙三 集英社文庫
水戸、島津の人達とシーボルト、松平定信、間宮林蔵らが入り乱れる。
もう歴史の勉強からから遠ざかっているけれど、昔の知識でなんとか記憶に引っかかっている名前の人達。
でも、それぞれがどんなことをしていたのかなんて、説明せよと言われてもひと言も出てこない。
主人公の間宮林蔵にしてみても、この人が伊能忠敬を先生として蝦夷地の測量をした人とは全く知らなかった。
歴史の教科書では習っていたのかね。
極寒過酷な地でひたむきに測量して畏怖の念さえ抱かれた間宮。
その間宮を頼りに蝦夷地に入るも薩摩に殺される友人信平。
その恨みを持ち続けて薩摩への復讐を企てる間宮。
相手の一途さに心が動かされて相手を友達と認識するというようなことって、自分の日常であるだろうかと考えた。
なかなか今の仕事、生活の中で、人のまっすぐさに心が打たれるという場面はなかなかないし、自分の中にそう言う面が残っているのだろうかと考えた。
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