企画を引っ張る人が伝えるべきこと(その3)2008年04月26日 06時33分59秒

企画を立ち上げたり、テーマを考えたりするとき、まず「面白そうか」を考えます。
当たり前ですね。
面白そうに見えないと誰も来ません。

例えば広告業界の人なんかは、いかに人を楽しませるか、人の興味を引きつけるかという見方が頭にたたき込まれていて、常に受け手側の視点でものを見る習慣が染みついているのだと思いますが、それと比べると僕らみたいな技術者はその点は所詮素人。
人を楽しませるという点では慣れていないという人が多いと思います。

特に講演の企画では、「面白い」ことも大事ですが「ためになる」というのも大事で、それが両立した「面白くてためになる」となるのがベストです。
だけど「面白い」よりどうしても「ためになる」という発想が優先しやすい。
そうすると、企画そのものは良く見えたのに、ふたを開けてみれば参加者があまりいないということにもなります。

「ためになる」という色が強すぎると、押しつけがましく感じられたりするんでしょうね。
みんなそのことについて知っておいたほうがいいというような企画者の使命感だけではダメで、企画として立ち上がる以上、やっぱり「面白い」というのは大事な要素だと思います。

ではそれが誰にとって「面白い」のか。

当然、参加者にとって面白いというのが基本なんですが、このような入り口の議論をしていく中で必ず、やってる自分達が面白いことが大事だという話が出てきます。
自分達が面白くないことが参加者にとって面白いわけはないとか、自分達が面白くないとその面白さが伝わらないとか。

一理あります。
企画者が面白くなければ、来る人が面白いって思うはずはありません。
だけどそれが先行するのはあまり良くない。
この発想が進むと
「自分達が面白いと思うものが、みんなにとって面白くないはずはない」
というエゴっぽい考え方になったり、あるいは、
「自分達が面白かったらまずはいいのだ」
という自己満足で完結してしまったりします。

相手あっての企画なので、相手がきちんと見えておかないといけないんでしょうね。
どこかで客観的なものの見方が必要になります。

これはプロとアマとの違いで考えるとわかりやすいです。
プロ野球なんかそうですが、プロは観客やテレビの視聴者が楽しまないと成り立ちません。
選手がいくら楽しんでいても、見ている人が面白いと思わなければ職業として、商売として成り立たないわけで、だから楽しませないとプロではない。

そんなプロに対して、アマは商売として成り立つ必要はなくて、本来は自分達の楽しみの延長だったり、自己の追求のためにやっていればいいものです。
どう見られるかは本当は優先順位として非常に低くて、だから例えばオリンピック選手が「見ている人に感動を与えられるように・・・」と言うのはとても違和感があって、自分のためにプレーすればいいはずなんです。

ちょっと話がそれましたが、企画を考えるときに、自分達の楽しみが優先するのはつまりはアマ的考え方で、やっぱり人を楽しませるプロ的な考え方でやったほうが、参加者が満足して、結果的には企画者も満足するようなものになると思います。

やる以上はあまり自分達をアマとして軽く見ずに、プロになりきっていかに周りを満足させるかを優先した方がいいんだろうなと思います。