ハゲ山の話、発想が小さくまとまらないために2013年09月02日 22時02分23秒

最近考えていたこともろもろ。

応用生態工学の札幌セミナーに出席して講演を聴いて、目からウロコ。
かつて、明治の頃くらいまで、日本の山はハゲ山だらけだったと。
今のように石油を使うようになる前は、人々が生きるための燃料は山の木であり、膨大な量の木を人が生きるために使うことから、山はハゲだった。
木を燃料に使わなくなってから山が緑で覆われるようになった。
今となってはそれが当然のような景色だけど、ハゲ山の頃と比べたら今は木が多すぎと言っていいくらい繁っている。
それは、つまりは山が緑で保護されているとも言えて、緑で覆われている山からはかつてより土砂が出てこなくなった(かもしれない)。
そういうことか。


たまたま、2つの業務で、それぞれ「いまやってるのが終わったら次何やるか」という検討をしている。
ずっと以前に立てられた計画もあるのだけど、時代が変わると見方も変わる。
アイデアを出せられるか。
ひねり出す能力が問われている。


アイデアという話で言うと、あまり現実的なことばかり目を向けすぎていると、発想が小さくまとまりすぎて、キラっと光るアイデアは出てこない。
現実的で堅実なことは大事なんだけど、突き抜けるようなアイデアがほしい時にはちょっと無理。
それも、そういう場面でそういう発想ができるための発想の訓練が日常からできているかどうかなんだな。
わかりにくいかな。
現実的なことをきっちり考える頭の使い方と、そうじゃないちょっと踏み外してるかもしれないくらいの自由な発想をする頭の使い方を分けて、それぞれを自分で意識してできるようにしておくということ。
そんなこと意識しなくてもいいんじゃない?というのもひとつの考えだけど、僕は意識して切り替えてやるようにしている。