全勝はない2011年08月15日 12時18分18秒

今になってまたプロ野球にはまり始めて、札幌ドームに見に行くようになった。
子どもの頃、阪急の試合を見に西宮球場に通ってたのを思い出すね。

外野席で多少はまじめに熱を入れて応援するようになって改めて気づいたんだけど、野球って思い通りにいくことが少ないね。
打って喜ぶことも多いけど、打てなくてがっかりすることがさらに多い。

スポーツニュースだと、打って点が入ったときだけを見ることになるけど、実はそれ以外の、チャンスはできたけど1本が出ないでチェンジという場面がなんと多いことか。

実際、いいバッターでも打つのは3割くらいで、チームに置き換えても、チャンスをいかせられるのも3割くらいかも。
ニュースでは出ない「あーあ」って場面のほうが多い。

で、そんなことを考えているうちに、日常の仕事もそんなもんかもって思った。

日常の仕事でうまくいくのが3割ってのは割合として低すぎるかもしれないけど、少なくとも全勝ってのはないよね。
ちょっとしたことでもね。

例えば打ち合わせにしても、うまく説明できるときもあれば、何かダメだったなぁって時もある。
いくら極めているような人でもそうじゃないかと思う。

野球で言うと、自分の調子が良くても、相手のデキがさらに良ければ打てないし勝てない。
僕らの仕事でも、相手がいるからね。
いつも通りにやろうとしても、その日の相手の雰囲気とか考えとか、さらに機嫌とか、そんなのでデキは変わる。
相手の話でなくて自分の作業でも、自分のその日のビミョーなやる気の有る無しとか、冴えてる冴えてないででも成果は変わる。
そんなことではプロじゃないというのも正論だけど、現実はいろいろ。

つまりはスポーツだけでなく僕らの仕事も、全勝はあり得ないって思っておいたほうがいいなってこと。
そう考えると、日常の仕事のちょっとした出来不出来に一喜一憂しなくてよくなるね。

山下達郎を目指すぞ2011年08月15日 18時40分33秒

先週、外出の車でFMを聴いてたら、山下達郎がいろんな番組に出まくっていた。
日曜午後の本人の番組だとひとりで喋るだけだけど、ほかの番組ではゲストになるからDJとのやりとりになる。

山下達郎って、聞かれたことに対してひたすら喋るのね。
音楽のことに関して本人にしかわからないレベルのことを詳しく話す。

昔のアルバムの再現ってできますかね?って聞かれて、
「それはそもそも無理なんです。昔と今とでは機材が違うことが決定的で、これはもう音楽の種類が全く違ってしまうくらいの影響があるんです。昔はレコードのための録音をするのに・・・」
てな感じで懇切丁寧な説明が始まる。

聞いてて思ったんだけど、聞かれたことを瞬発力で答えるというより、もともといろんなことを考えていて、それが頭の中に散りばめられて残っていて、それが聞かれたときに掘り起こされて出てくるって感じか。

で、さらに思ったんだけど、彼の喋り方に似てるのかも。
僕の喋り方って。
おこがましい?
ごめんね。
もちろん山下達郎には到底及ばないんだけど、タイプとしてね。

たまに思うことがあるんだよ、没頭するように喋りすぎたなって。
それに、自分ではとても大事だなって思って喋っても、あとの反応では「あ、ほかの人にはどうでもいいことなんだ」って思うこともある。
また山本が難しいことを言い始めたという雰囲気を感じることもある。

ま、いいや。
でも、似てるのかなって思ったついでに、もう開き直って僕は山下達郎を目指すことにしたのだ。
部下にもそう宣言しちゃったし。

山下達郎を目指しつつ、会話ではなでしこ川澄選手のやりとりを目指す(これは以前に書いた通り)。

冗談でなく、結構本気だよ。

上になれば孤独なのか2011年08月16日 21時45分21秒

ずっと前、ある人が言ってたんだよな。
上になると孤独だよって。

周りを見ていて、わかる気がしてきたんだよ。
孤独というより孤立という感じかなあ。

責任って言葉を意識することで、自分で抱え込んじゃうんだ。
判断って言葉を意識しすぎて、自分で決めることに走ってしまうんだ。
周りを見てたらそんな気がするんだよ。

僕も部署長という立場になって、責任も判断も以前よりずっと意識するようになったけど、自分だけで考えたことってろくな判断になってないね。
きっちり考えたつもりでも、それを部下に話したら簡単に別の見方の話をされて、お、それもいいなって思ったりして、やり方が変わったりすることも多い。

でもそれは実感としては優柔不断てことではなく、考えた判断ごとに人の意見を入れて修正しているって感じ。
その、軌道修正をせず、ひとりよがりの判断を責任という言葉への意識で下してしまうというほうがまずいような気がする。

無理して孤立しないでいいんだよ。
上になっても、いろんな人と話をして、修正しながら判断ごとをしていけばいいんだよ。

僕はそう思う。

後輩からのメッセージ2011年08月18日 08時28分32秒

室蘭方面に営業に行った。
苫小牧→登別→室蘭→洞爺と回って、あとは洞爺湖を眺めながら中山峠を通って札幌に帰った。

役所を回って技術資料を配って歩くということが主目的だったけど、室蘭方面に行ったのは営業以外にひとつ目的があった。
道庁の室蘭の出先に大学の同期がいて、その彼にひとつ聞きたいことがあったのだ。

先日、北大工学部の同窓会名簿が届いたのだけど、道庁に勤務していた2年下の後輩が(故人)となっていた。
彼は僕の隣の研究室で僕がM2のときの4年生で、結構慕ってくれていた。
数年前、彼が転勤で道庁の本庁配属になったとき、何度か一緒に仕事もした。
それがこんな短期間会わない間に亡くなっていたとは知らなかった。
事故?
病気?
それにしてもまだ30代だったはず。
なぜ彼が亡くなったのか、同じ道庁勤務の同期に聞いてみようと思って訪ねた。

肺ガンだったんだって。
彼、たばこ吸ってなかったはずだけどね。
同じ道庁のなかで河川の部署から環境の部署に移ってから病気がわかったそうだ。
なので、病気がわかってから1年か2年かで世を去ったということだった。

結婚していたかとか、子どもがいたかとか、そんなことは知らない。
でも40にもなってないで亡くなってしまうとは、自分自身が無念だっただろうな。
仕事も日常生活も、まだまだやりたいことはたくさんあったはずだし。

彼の分まで生きようとか、そういうありふれたフレーズは思わない。
ひとつ思うとすれば、誰でもいつ病気になっていつ亡くなるかわからないということを改めて認識させてくれたということか。
自分がいつそうなってもいいというくらいに、日々を大切に生きたほうがいいですよというメッセージを残してくれたと僕は解釈しようか。
それでいいよな、な、M君よ。

いまどきでも愛社精神2011年08月20日 20時46分24秒

社員が、この会社好きだとか、自分がいい仕事すれば会社の評価も上がるよねとか、そんなふうに思うのってどんなときかなって思った。

なでしこが優勝したとき、女子サッカーの場合は自分たちが頑張ることで女子サッカーが注目されて女子サッカー全体の待遇改善につながるって選手が言ってたし、野球でも個人タイトルよりチームが勝つことに貢献できることが嬉しいという選手が多い。

スポーツではだいぶ当たり前のように言われるようになったそういうチーム優先の考え方が、普通の会社仕事ではあまり聞かれないし、自分自身もそんなに強くは思っていない。
僕の場合は、自分の部署のことはよく考えるけどね。

そういう愛社精神みたいなことを言うのはもう古いって言われそうな気もするけど、やっぱりね、自分が所属している組織を好きでいられているってことは、そこで仕事するのにとても大切な気がするんだよ。

でもさ、そんなに簡単にはいかないね。
「会社を好きになれ」と言われて好きになるようなもんじゃないから。

ただ、そうなれる要素っていろいろあると思う。
社員が楽しく働けるかというのがその中で一番大事かな。
それも、まずは上が楽しく働いているかどうか。
上が楽しくしてるって言っても、仕事何にもしないでへらへらしてるってのでなく、ばりばり仕事しながら楽しくしてるってこと。
上が楽しそうに仕事している姿を下が見て、それでそんな人を目標に自分らもばりばり仕事して楽しくなっていく。
そうやって、上から下まで充実して仕事している組織って、働いていて好きになっていくと思う。
ちなみに僕もちょっと経験あるよ、そういうの。

何だかんだ言っても、やっぱり姿勢を見せるのは上だと思うんだ。
上が仕事に対して誠実で、部下に対して愛情を持っている。
そんな組織が、そこにいることが好きだって感じる組織なんだと思うね。