上司より先に動けなかった2009年05月22日 06時18分05秒

失敗と言うほどの失敗じゃないんだけど、記憶に残り続ける苦い思い出。

30歳過ぎの頃、ある仕事で大学の先生らと役所の人達とで、川の現地視察会を行うことになった。
僕はその仕事を受注したコンサルとして裏方役で参加した。

工事が予定されている場所を見る前に、前年度に工事をすませた場所を見ておくことになっていた。
その場所に着いて、みんなバスを降りたって、堤防の上からその現場を眺めた。
工事がすんで間もない場所だから広い草地になっていたんだけど、よくよく見るとなぜか草原が赤っぽい。

明らかに赤いというほどではなく、何となく赤いというくらいだから、みんな何だろうねというくらいの感じだった。
それでも、枯れた草の色にしてはやっぱり赤い。
大学の先生も役所の人も、何で赤いんだろうねと、それでもただのお喋りくらいで話が終わりかけた。

その時、突然、僕の横にいた上司が走り出した。
堤防を一気に駆け下り、その赤い一面の草原に飛び込み、赤い草を何本かつかんで戻ってきた。
息を切らせて差し出したその草は、その川に生える湿地性の貴重種だった。
花が終わり、枯れて種がつくころに赤っぽい色になり、一面に広がったそのひとつひとつで赤い草原になるのだった。

大学の先生も役所の人も、上司が差し出した草を見てなるほどと感心していた。
植物専門の先生ですら、堤防の上からだとわからないねとうなずいていた。

みんなは赤い草の正体がわかってすっきりニコニコだった。
だけど僕は自己嫌悪の深みに陥っていた。
走ったのは上司。
走らなかったのは僕。
どうして僕が走らなかったのか。

僕はほかの人達と一緒にただ「何だろうね」と喋ってるだけだった。
自分が走って確かめに行くことなんか思いつきもしなかった。
そして上司が走った。
僕はそれを眺めるだけで走り出せなかった。

ひとつの些細な出来事にすぎないのかもしれない。
僕以外の人はもう忘れ去ったことかもしれない。
だけど、僕の記憶にはこの場面はずっと残り続けている。

走るべきは僕だった。
それが僕の立場の役割だ。
あらかじめ指図されて決められる役割ではない。
仕事ではその瞬間、瞬間に、立場に応じた役割が発生する。
その瞬間ごとに自分の役割を察知して動けなければ、自分の動きは後手になる。

上司を走らせた時点で僕は負けだった。
実力がなくたいしたことはできなかったとしても、上司より先に走り出すことくらいはできた。
「走る」ということを思いつけなかったことが僕の未熟さだった。

先に走り出せるかどうか、いまでも仕事の場面でいつも考える。