理系の文章苦手な人はまずは量の苦手意識をなくそう2009年05月12日 05時34分13秒

前回は、文章書くのが苦手な理系の人に、まず人の文章をアレンジすることでまとまった量の文章を書けるようになる練習をするといいよという話を書いたね。

まずはとにかく量を書くことに対する不安をなくすことが第一歩なんだ。

真っ白な原稿用紙に「さあ自由に考え書いて」って言われたらすぐには字が進まないだろうけど、人の文章の引用8割でいいからって言われたら、なんとか取り繕って埋められそうな気がするでしょ。
とにかく量を書けるようになること。

例えば技術士試験で言うとさ、技術士試験は論述だからとにかく文章を書きまくらないといけないんだけど、試験から帰ってきて「書けたか?」って誰かに聞かれて、「なんとか最後まで埋めてきたよ」って答えたりするね。

それはそれでいいんだ。
最後まで粘って答案用紙を埋めてくるってのは採点の土俵に乗るという意味で最低限必要だから。

だけどね、最後まで書ききったというのは、量をクリアしただけで、書いた内容の善し悪しの議論に乗っていないんだよね。
試験に受かるか受からないかは、解答用紙を埋めたか埋めてないかではなくて、内容が合格できるレベルになってるかどうかだよね。

まとまった量の文章を書くことに自信がない人だったら、最後まで文章をなんとか書いたことでまずはほっとするからね。
精一杯やったなぁって。

でも試験だからね。
本当は書いた量より書いた内容が大事。
最後まで文章を埋めることが目標という段階を抜け出せないと、内容の善し悪しの議論にならないね。

だから、文章を量と内容の2段階に分けて考えて、まずは量はとにかく書けるという状態にしておきたいんだ。
そして、早く次のステップの、内容の善し悪しの議論に移れるようにしたい。
逆に言うと、早く内容の議論に移るために、できるだけ早い段階で量に対するコンプレックスをなくしておいたほうがいいってことなんだ。

試験でなく仕事の文章でも、求められるのはいかに相手に伝わる文章を書けるかということだから、量の苦手意識で四苦八苦してたら勝負にならない。

量はとりあえず書けそうだなってちょっとでも感じるようになれば、気持ちに余裕ができるからね。
そうすると自分で内容の吟味ができる余裕につながっていくんだ。

文章が苦手な理系の人には、まとまった量の文章を書くということがとても高いハードルに思えるとだろうけど、これは必ず克服できる。
自己訓練でね。
業務の中で訓練してもいいし、試験勉強で強制的に鍛えてもいい。
小説家になるわけじゃなければ、苦手意識を持ってるひとでも訓練すれば必ず書けるようになる。

ただ、やらないと上達しない。
これは何でも同じだね。