朝日記事「標津川蛇行化に難題」で考える2007年11月22日 17時37分29秒

11月20日の朝日新聞に「標津川蛇行化に難題」という記事があった。

記事では、北海道開発局が道東の標津川で、過去に直線化された川の一部を再び蛇行させようとしているが、直線化された今の川でもすでに多くの貴重な生物が生息していて、その扱いに頭を悩ませていると書かれている。

記事の中には、蛇行復元に対する鳥類研究家(29)の
「復元場所付近で営巣したタンチョウの巣は春の増水時に流される恐れがある。いまだに生物の保全策は示されておらず、何を自然の豊かさと考えているのか疑問に思う」
というコメントがある。

これに対して北海道開発局からの
「かつての自然と今とのバランスをうまくとりたい。工事の影響の把握に努め、専門家から指導、助言を得ながら対策を検討する」
というコメントもある。

論説ではないので、記者の見解にあたるような文章はない。
あくまでニュースなんだろう。

だけどやっぱり誘導の雰囲気があるよなぁ。
普通に読んだら
「やっぱり役所は環境のことをあまり考えずに公共事業を進めるんだな」
と受け取るような気がする。

役所:悪
環境保全を訴える人:善

という何となくできあがっている構図に乗っかって、さらに煽るような意図があるように僕には感じられる。
そうではなく、あくまで客観的な問題提起だと言われたら、それはそれで反論しようがない。
僕も大した根拠がなく、ただ「感じた」だけだから。


なかなか難しいと思う。
国は川を直線化して水路化させたとこれまで散々悪者呼ばわりされて、その川の蛇行を戻そうとしたらまた叩かれる。

僕はコンサルタントで河川の調査や計画に携わっている。
たまたま標津川の仕事は関わっていないのでこの記事の当事者ではないけど、いつ自分の仕事がこういう問題として持ち上がるかわからない。

実際、コンサルタントをやってると、計画なり事業がよく練られないまま決まっていくような場面にでくわすことはたまにある。
本来どうあるべきかとういう思想をもっと練ってから進めないといけないのに、短絡的な思いつきの対策で計画なり設計が進んでいる時もある。
いつもではないし、程度の問題もあるけれど。

だけど、標津川なんかは、考えるところはしっかりやっているのではないかなと思う。
生態系や河川工学の知見が問題解決のレベルまでは追いついていないから、公には少しもどかしい説明しかできなくなる。


わかる範囲ででも将来のことをしっかり考えて進めようとしていることには、前向きな指摘やアドバイスをしたほうがいい。
ちらっと見えた問題を表に引っ張り出して、事業全体がいかがなものかというトーンで責めるのはどうなのかなと思う。

まぁ責める人がいなくなったら、進める方も甘くなるかもしれないからやっぱり責める人がいないとだめなんでしょうけど。

こういう問題で「わかり合う」ということがあり得るのだろうか。
そもそもどうなったら「わかり合う」と言えるのだろうか。