本:リーダーシップからフォロワーシップへ(その2)2009年03月15日 06時30分17秒

仕事のやり方は誰が決めるのか。

やり方を上が決めて引っ張ってくれると、下はとっても楽。
「やるべきことはこれだよ」と上が的確に示してくれて自分はそれに従うだけとなれば、悩む必要はないから仕事はどんどん進む。
未熟さを抱えながら試行錯誤するという必要はないから失敗は少なくなるし、仮に失敗したとしても、失敗の原因を上の判断ミスとして、責任を上に放り返せる。

逆に、上から「やり方は下が自分で考えて自分で決めろ」と言われるとどうだろうか。
下の立場が主体性をもつということは、下はうまくいく仕事のやり方を自分で考えないといけないし、失敗しても誰のせいにもできない。
下としてはとてもしんどいね。
おとなしい人だと、できない仕事をひとりで抱き込んで悩み、誰にも相談できずに時間ばかり過ぎていくということにもなりかねない。

だけど、その時に誰に相談すべきだろうかとか、聞く前にどれくらい自分で勉強して知識つけないといけないかとか、仕事のやり方を自問自答するよね。
で、この自問自答が自らのステップアップにとても効く。

解決しないと仕事が進まないとなれば焦るよね。
焦ったときにどうするか。
子供の頃から先生に聞く習慣がついてる人はすぐ上司に相談するだろうし、人に聞くのが嫌で自分で勉強して答えを探す人はやっぱり自分で勉強して解決策を探す。
効率よく仕事するためにはとか、そもそもの仕事のやり方に悩んだときにはビジネス書を読みあさってみるというのもひとつの方法かな。

悩みすぎて顧客に致命的な迷惑をかけるくらいに仕事が滞ってしまうとまずいので、いいタイミングで手を差し伸べるのがリーダーや同僚の役割だろう。
これがうまくいく関係ができているとチームとしてはすごくいいね。

つまり、まず本人が悩む時間をちょっとつくる。
まわりから手を差し伸べるのを我慢してね。
それで本人が解決口を見つけるといいし、ダメで深く沈み込みそうになったらそこでまわりがフォローする。
これが下に主体性をもたせるチームのやり方の理想だね。

カリスマリーダー型のチームで、強いリーダーに引っ張られるのに慣れすぎると、下は自分で考えて判断する力が身に付きにくい。

それに、実はリーダー型チームに、もうひとつ見えにくい欠点がある。
メンバーに少し実力がついたとき、それぞれが自分なりの考えで仕事したいと思うようになるよね。
そんなときに、自分に与えられる裁量がなさすぎることに不満を感じ始める可能性があるんだよ。
実力がついて仕事のイメージがどんどん広がりはじめたときにそれでも「あなたは決められた通りにやってればいいから」と言われたら、広がった枠をぎゅっと縮められるようでとても窮屈になる。
これがリーダー主体のチームが持つ一番の危険さだね。

そう考えると、下が主体性を持たされて自主性を求められることは、最初はとてもしんどいんだけど、実力がつき始めたらどーんと飛躍できる可能性を秘めていると言えるのだ。

(次回さらに続けます)

本:リーダーシップからフォロワーシップへ(その3)2009年03月16日 21時30分38秒

(前回からの続きです)

早稲田ラグビーというのはその分野の頂点のような世界だ。
だからカリスマリーダーででも勝ち上がると賞賛の渦になるけれども、ふつうの人たちの職場、現実の身の回りレベルの組織・グループで考えると、カリスマリーダーで成り立つ組織は非常に危うい。

ワンマン社長の中小企業を想像するとわかりやすい。
求心力のある社長だったとしても、まわりの幹部がなにも諫言できないような状況になれば、間違った方向に進み出してもブレーキが効かなくなる可能性がある。
これがひとつ目の危険。
そして、実はもうひとつ大きな危険がある。
個々のメンバーの心が何かのきっかけでリーダーから離れたとき、仕事のモチベーションが急激に失われる可能性があることだ。

カリスマ性という精神的にちょっと特殊な状態でつながっているのは、実は崩れ始めると非常にもろい。
その人と一緒に仕事するということ自体に意欲が湧かなくなり、モチベーションが仕事の内容の面白さそのものではカバーできなくなってしまう。

リーダーのカリスマ性が強い状態というのは、それぞれのメンバーはリーダーとバラバラにつながっている状態であって、一本一本のぴーんと張った線で成り立っていて、ちょっとしたきっかけで切れることがある。
例えばリーダーの些細な失言でがっかりしたときとかね。
そうするとリーダーへの憧憬(しょうけい)が一気に冷めちゃったりして。

メンバーの主体性で成り立つ組織であれば、メンバーはリーダーだけを見ているわけではないので、まわりのメンバーともつながっている状態になる。
まわりの何人もとつながりができると、その一本が切れようともダメージは小さい。

そもそもまわりとの線が仕事のモチベーションにはあまり影響しなくなる。
主体的に仕事するためには実力をつけないといけなくて、実力がつくと仕事のモチベーションは人とのつながりに、実務の面白さが加わることになり、カリスマ性のような精神的なよりどころに無意識に支えられている状態と比べるとはるかに安定することになる。

こう書くと、いかにカリスマリーダー型の組織が危険で、メンバー主体型の組織(フォロワーシップ型)がいいかという話に聞こえるけど、そう単純じゃないんだな。

この話、どんどん長くなってきたけど、もう少し続けるよ。
また次回に。

本:リーダーシップからフォロワーシップへ(その4)2009年03月17日 22時34分30秒

前回は、いかにカリスマリーダー型の組織が崩壊の危険をはらんでいるか、メンバー主体型(フォロワーシップ型)の組織が安定するかという話を書いた。
だけど、メンバー主体型が万能かというと、またそうでもないんだよね。

ちょっと僕の昔話だけど、思い出したから書くよ。

僕は中学の時から部活でバレーボールをやっていた。
その中学のバレー部が多少強くてさ、毎年、全国大会を目指していて、冬休みとか春休みとかは全国の強豪中学と全国のどこかに集まって合宿したりして、中学なりにも全国レベルで戦っていた。
僕らの時は大阪大会の準決勝で大逆転負けして結局は全国大会には行けなかったんだけどね。
中学校の部活だから、やはりそれだけ強くなるのは熱心な先生がいたからで、その先生のやる気に導かれて、とにかく練習、練習、練習だった。
これまでの書き方で分けるとカリスマリーダー型と言えるね。

高校はふつうの公立校に行ったのだけど、そこもそれなりにバレーは強くてさ。
強いって言っても公立高校の中ではという範疇で、バレーばかりやってるような私立高校にはとうてい勝てなかったんだけどね。
その公立高校バレー部が「顧問は来んもん」という下手くそなだじゃれそのままのチームで、練習メニュー、練習試合の相手探しも全部自分たちでやっていた。
僕と同じ中学出身の先輩もいて、中学の時にさんざん鍛えられた練習を思い出しながら、メンバーで話し合ってチームづくりをした。

充実してたね。
誰からの命令で練習するわけでなく、自分たちがやるべきことを自分たちで決める。
手を抜くとすぐにチームは弱くなる。
だからと言ってきつすぎる練習は本音ではやりたくない。
キャプテン、副キャプテン(僕)はその葛藤をいつも抱えながら、ちょっときつめの練習計画を立てた。

でもね、それでも実は僕はメンバー話し合い型のチームづくりは限界があるなと感じていたんだ。
スパルタ気味の中学の頃の練習を思い出すと、やっぱりどうしても甘いんだよ。
叱ってくれる人がいない甘さ、誰にも監視されてないために逃げ道をつくれる甘さ。
自分たちで自分たちを厳しくできなければ、結局低いレベルで落ち着いてしまうのだ。

部活としての充実感はすごくあったと思うよ、みんな。
命令じゃなく自分たちでチームをつくってるという実感はあったからね。
だけど、実力としては一流のチームにはなれなかったね。
大阪の公立校に限定しても、一流の一歩手前のチーム。
そこが限界だったね。

だからと言うわけじゃないけど、メンバー主体型の組織にはやっぱり限界があるね。
自分たちの殻を自分たちだけでは破りきれない。

だからそこにリーダーが必要なんだ。
カリスマリーダーでなくてね。
チームの大きな流れを軌道修正してくれる人。
いいタイミングで新しいメニューを提示してくれるのでもいい。

つまり、自分たちだけでは伸びきれないところを、さっと手を差し出して一瞬だけ引っ張ってやる。
それでまた自主性に任せる。
これがうまくいけばとてもいい。

中竹氏の本でも、フォロワーシップを
「どうやって若者が自然と勝手に成長してくれるのかを、突き詰めて考え抜くことである」
と書かれている。

リーダーは強烈な統率力でメンバーを引っ張るのでなく、でも逆にただ単に下に全てを放り投げるのでもなく、下が成長する方法をリーダーが自問自答して練り上げて、そのあとに下に任せる。
これがメンバー主体型の組織でのリーダーのあり方なんだと僕も思う。

このテーマ、あと1回くらい続けます。

僕のリーダーシップ論 『真ん中頑張れ!』2009年03月19日 05時21分07秒

リーダーシップの話は今日が最後。
話が長くなってきたからおさらいするよ。

カリスマリーダー型の組織では、リーダーの引っ張る力がより所になっていて、強いチームが作りやすい反面、メンバーの自主性が育ちにくかったり、リーダーの求心力が弱まったときに崩れやすいという欠点がある。

メンバーの自主性尊重型の組織だと、メンバーが自立して組織ががっしり安定しやすいけれども、よほど注意しないと甘くなって実力がアップしにくいという面も持つ。

これまで書いた僕の考えをまとめるとこんな感じだね。

それで、どっちがいいかというのはやっぱり一概に言えないんだ。
メンバーにもよるし、チーム(組織)が掲げるゴールによってもとるべきプロセスは変わってくるし。
だからリーダーシップがいいのか、フォローワーシップがいいのかは一般論として決められない。

組織としてはさ、
・いい成果をあげること
・メンバーがやりがい感じること
この2つを特に優先に考えていいと思うんだよ。
その時に、メンバーが実力を最大限に発揮できるようなやり方を、その時に応じてとれるのがベスト。

僕自身は30過ぎの頃はばりばり引っ張ってくれるリーダーを無意識に求めていた。
やっぱりそんな時期もあると思うんだよ、みんな。
そんなときに「それぞれの考えで組織の方向を決めるから」と言われても、もっとばしっと引っ張ってくれよと思ってしまう。
同じ人でも明確なリーダーシップを求めるときと、そうでないときがあるんだ。
同じ人でも時期によって求めるリーダーシップの形が違うくらいだから、たくさんのメンバーが集まれば、求めるリーダー像って実はバラバラだよね。

だから、やっぱりその時のそのメンバーにあったリーダーシップ、フォローワーシップのあり方ってのがあるはずってことになる。
個々の力を最大限に引き出すためには、リーダーを求める人には強めのリーダーを、自主性を求める人には自主性を与えるのがホントはいい。

だけど、現実はそんなに都合良くはできないね。
リーダーが自分のスタイルを同じチームの中で使い分けるというのは、そもそもリーダーのスタンスを下が理解できなくなって迷うから。

下が上から引っ張られて、しかも下が主体性を持つ訓練ができるチームづくり。
これは難問だね。

ひとつ、僕の結論を書くよ。

僕は中間がリードするのが組織として一番いいカタチじゃないかなと思ってる。
リーダーと一番下のその中間にいる人ね。

例えば実務レベルでは、管理職と下っ端の間にいる中堅社員。
会社単位に広げてみれば、社長と平社員の間にいる普通の管理職だね、真ん中は。

まだあるよ。
もっと実務レベル、作業レベルでみたら、業務を実質まとめる中堅社員と下っ端社員とその下のバイトとくくれて、ここでは真ん中は下っ端社員となるね。
単位をどうみるかで、中間が誰になるかはころころ変わる。

つまりはどんな単位で見たときも、真ん中にあたる人が明るく楽しくしっかりリードして仕事できれば、その単位での仕事はうまくいくんだ、僕の経験では。
上中下の真ん中ね。
真ん中が鍵を握るんだよ。

だから上としては、真ん中がやる気持って仕事できる環境をいかにつくるかが全て。
上が主体をとらない。
とりたくてもとらない。
上が出しゃばらずに、だけど一番下に自主性を押しつけすぎず、あくまで真ん中がリードできることを優先する。
一番下にいろんなことを求めすぎたら、下は重圧を感じすぎることもあるからね。
一番下はまずはのびやかに仕事できることが優先。
仕事の責任感とか社会の厳しさをまずは知ってとかとかく上は言いがちだけど、そんなことはまじめに仕事やってれば自然と身に付くから。
それで中間。

ちょっと難しいけどね。
中間って、そもそもまだリーダーシップを意識しないほうが多いだろうし、上が強いと無意識にリードは上に任せるだろうし。

でもね、下の頃にのびやかにしっかり仕事していれば必ず実力がつくから、中間になったとき主体性を持って先頭で走れるんだよ。
実力がついた中間なら、仕事が多少増えてもやらされてるというぼやきはなくて、自分でやってるという充実感を感じられるようになる。

リーダーシップとフォローワーシップということで書き続けた話だけど、僕自身の考えはこれなんだ。
真ん中頑張れ。
いや、真ん中頑張ろう!かな。
僕も真ん中だからね。

たぶんそれが、ごく普通の組織(チーム)を強く生き生きしたチームにしていくひとつのいい方法だと思う。

おわり

「投資なんかしなくていい」2009年03月28日 07時11分54秒

おとつい3月26日の朝日新聞の意見欄に、弁護士の方が考えを述べられていた。
この方は500人の弁護士で構成される「先物取引被害全国研究会」の事務局長で、かつ自身は金融商品の被害を専門に扱う事務所でその対応をされてきた方だという。

その方が言う。
「投資なんか、しなくていい」

一生を通じてまさに一生懸命貯めてきた財産が一瞬にして失われるケースをたくさん見てきたようだ。

投資話に乗っかった被害者が悪いという見方もあるけれども、このご時世投資するのが賢い生き方だとか、お金を眠らせておくのはバカなやり方だというような、金融業界の立場がつくりだす巧みな雰囲気のまれてしまうのが被害のもとだと指摘する。(表現は違うけど)

超低金利時代だから貯金してお金自体が減らなくても、物価が上がると貯金額は相対的には下がる?
いやいや、インフレ率も低いから貯金の相対額も下がらない。
それより株価が下がるのなら、貯金は結果的には高利の運用だという。

新聞の意見欄とはいえ、かなり辛辣で直球勝負の書き方をされていてものすごく伝わってくる。

僕もずっと思っていた。
そんなにうまい話は転がっているはずがない。
こつこつ貯金することが愚直すぎる不器用なやり方で、賢く世の中を渡って行くには投資だよというような風潮には、そうだよなと気を許す気にはならなかった。
(かといってせっせと貯金しているかというと浪費ばかりでそうでもないんだけど)

お金がお金を生むという発想には僕はなじめない。

あ、でも競馬はやるよ。
今は年に1回やるかやらないかだけど、その時は金を賭けて金が増えればいいなと目論む。
でもさ、遊びの範疇だよ。
ちょっと儲けて、それで何買えるかなとか考えることが楽しい。
ほどんどかなわないんだけど。

それにさ、金に思考が振り回されるようになると、発想がゆがむよね。
いい発想、いい仕事すれば、それなりに金はついてくる。
金をうまく稼ぐ、金をうまく動かすと思ったときが危険信号だ。