とある大学院生の退学を聞いて思う ― 2007年09月07日 12時39分18秒
僕の知っている大学院生が退学したと昨日聞いた。
ちょっと考えさせられた。
退学したことではなく、退学のしかたにだ。
彼は博士後期課程の1年生。
つまり大学院の修士課程2年間を修了して、
さらに上のドクターコースに進んだものの、
半年でやめたというのだ。
「就職が決まった」
が理由らしい。
僕も昨年の春まで同じ研究室の博士課程に通っていたから
彼のことは知っている、
でも彼とはあまり話はしなかったから、
顔と名前が一致する程度で、
性格とか考え方はほとんど知らない。
その程度という前提で、と前置きして書く。
「あなた、ちょっと自分本位すぎやしませんか?」
この4月に大学に行ったとき、
卒業したはずの彼がまだ研究室にいたので、
あれっと思ってほかの人に聞いたら
彼はドクターコースに進んだのだと教えてくれた。
あまり研究者向きではなさそうだけどなと思いつつ、
修士論文をまとめる過程で研究に目覚めるということもあるしな
と思ってあまり気にとめなかった。
それが半年もたたないうちにさっさと退学した。
たぶん博士課程への進学は、研究欲からではなく、
就職できなかったための単なる居残りだったのでしょう。
僕の勝手な想像なので違うかもしれませんが、
周りからはそう見られてもしょうがない行動です。
僕でなくてもそう見ます。
大学院に進学するには試験があります。
なので当然、試験をパスして博士課程に進んだはずです。
だからと言って、
大学にいるかいないかは自分の判断だけの問題なのか。
自分の実力で、自分の都合で入ったと思うかもしれませんが、
そこには必ず相手がいます。
少なくとも研究室の先生は自分を引き受けてくれたのでしょう?
面倒を見ると決めた学生が半年もたたずにさっさと出て行くって
どう思うか考えたことはないのかい?
たとえ就職のための一時的な進学だったとしても、
そそくさと退学せず、
せめて1年間は研究室にいて
とってくれた先生のために1本くらいは論文書いて、
成果を残してから出て行くという選択肢は
頭に浮かばなかったのかい?
先生だけでなく、
研究室には自分の下に修士、学部の学生達がたくさんいますよ。
彼らは先輩の背中をじっと見てますよ。
あなたがとったそんな態度を見て
修士課程、博士課程ってそんなもんなのかって思いますよ。
そこには美学のかけらもない。
自分のやることに後ろめたさを感じないのだろうか。
感じないのなら自己中心的すぎる。
感じるのならその葛藤に負けたのか。
もっと葛藤と戦うべきだったのではないか。
それとも余力がなかったのか、
葛藤との戦い方を身につけていなかったのか。
僕は、大学院を出て社会人になって10年あまりが過ぎた。
仕事は葛藤の連続だ。
技術的な仕事をしていてもだ。
数字や正論だけでは割り切れないことが次々と現れる。
選択した方法に理屈づけするやり方はいくらでもある。
さらに、経験を積めば良くも悪くもいろんな引き出しができる。
自分の本意でない方向にすすみつつあっても、
相手の評価を気にして、待ったをかけず、
その方向で理屈づけして問題が通り過ぎるのを待つのか。
自分の意思は飲み込んで消化し、
立場の強い人の意向に流されるほうが楽だ。
そこで踏みとどまれるかどうかは、
その人の美学の持ち方だと思う。
美学は自分で鍛えるしかない。
まわりの人から、読んだ本から、新聞からテレビから
いろんなところから影響を受ける。
そこからいい影響を受けるためには、
言葉や場面に共感できるような感性を磨かないといけない。
感性を磨くのもやはり自分だ。
偉そうに言ってて、自分はどうなんだ?
そう、自分に言い聞かせて書いているのだ。
美学を鍛えるために感性を磨く。
ちょっと考えさせられた。
退学したことではなく、退学のしかたにだ。
彼は博士後期課程の1年生。
つまり大学院の修士課程2年間を修了して、
さらに上のドクターコースに進んだものの、
半年でやめたというのだ。
「就職が決まった」
が理由らしい。
僕も昨年の春まで同じ研究室の博士課程に通っていたから
彼のことは知っている、
でも彼とはあまり話はしなかったから、
顔と名前が一致する程度で、
性格とか考え方はほとんど知らない。
その程度という前提で、と前置きして書く。
「あなた、ちょっと自分本位すぎやしませんか?」
この4月に大学に行ったとき、
卒業したはずの彼がまだ研究室にいたので、
あれっと思ってほかの人に聞いたら
彼はドクターコースに進んだのだと教えてくれた。
あまり研究者向きではなさそうだけどなと思いつつ、
修士論文をまとめる過程で研究に目覚めるということもあるしな
と思ってあまり気にとめなかった。
それが半年もたたないうちにさっさと退学した。
たぶん博士課程への進学は、研究欲からではなく、
就職できなかったための単なる居残りだったのでしょう。
僕の勝手な想像なので違うかもしれませんが、
周りからはそう見られてもしょうがない行動です。
僕でなくてもそう見ます。
大学院に進学するには試験があります。
なので当然、試験をパスして博士課程に進んだはずです。
だからと言って、
大学にいるかいないかは自分の判断だけの問題なのか。
自分の実力で、自分の都合で入ったと思うかもしれませんが、
そこには必ず相手がいます。
少なくとも研究室の先生は自分を引き受けてくれたのでしょう?
面倒を見ると決めた学生が半年もたたずにさっさと出て行くって
どう思うか考えたことはないのかい?
たとえ就職のための一時的な進学だったとしても、
そそくさと退学せず、
せめて1年間は研究室にいて
とってくれた先生のために1本くらいは論文書いて、
成果を残してから出て行くという選択肢は
頭に浮かばなかったのかい?
先生だけでなく、
研究室には自分の下に修士、学部の学生達がたくさんいますよ。
彼らは先輩の背中をじっと見てますよ。
あなたがとったそんな態度を見て
修士課程、博士課程ってそんなもんなのかって思いますよ。
そこには美学のかけらもない。
自分のやることに後ろめたさを感じないのだろうか。
感じないのなら自己中心的すぎる。
感じるのならその葛藤に負けたのか。
もっと葛藤と戦うべきだったのではないか。
それとも余力がなかったのか、
葛藤との戦い方を身につけていなかったのか。
僕は、大学院を出て社会人になって10年あまりが過ぎた。
仕事は葛藤の連続だ。
技術的な仕事をしていてもだ。
数字や正論だけでは割り切れないことが次々と現れる。
選択した方法に理屈づけするやり方はいくらでもある。
さらに、経験を積めば良くも悪くもいろんな引き出しができる。
自分の本意でない方向にすすみつつあっても、
相手の評価を気にして、待ったをかけず、
その方向で理屈づけして問題が通り過ぎるのを待つのか。
自分の意思は飲み込んで消化し、
立場の強い人の意向に流されるほうが楽だ。
そこで踏みとどまれるかどうかは、
その人の美学の持ち方だと思う。
美学は自分で鍛えるしかない。
まわりの人から、読んだ本から、新聞からテレビから
いろんなところから影響を受ける。
そこからいい影響を受けるためには、
言葉や場面に共感できるような感性を磨かないといけない。
感性を磨くのもやはり自分だ。
偉そうに言ってて、自分はどうなんだ?
そう、自分に言い聞かせて書いているのだ。
美学を鍛えるために感性を磨く。
最近のコメント