旭川 ― 2015年01月23日 18時27分38秒
個人の強さを意識する ― 2015年01月27日 16時04分57秒
マネジメントばかりやってると頭が空っぽになる。
生み出す頭が。
人を使い中身を仕入れて加工も人に任せて、仕上げるまでひたすら進め方ばかりを考える。
そういう役割も徹底すればそれに長けた人になるのかもしれないけど、それで仕事ができる人になったと思い込み、それで自分が評価されていると自己満足しているうちに、自分でなにも創り出せず、それどころか何をすればいいかというアイデアさえも人に聞かないと言うことができないという人になる。
建築の人って個人の強さがある。
自分の考え方としてのものの見方がはっきりしていて、それを言葉できちんと伝える。
そうやって世の中に出ていく人が建築の人には多い。
建築は個人の名前で仕事をして建った建築物にも誰がつくったものと個人の名前が伝えられるが、土木系の工事の成果はみんなでつくったものだから個人の名前が残らないことが両者の大きな違いだと言われることもある。
それもあると思う。
けどおそらくもっと日常の仕事のレベルが大切で、個人の責任と個人の成功を頭に置いて仕事をするのと、みんなでつくるという平べったい感覚で役割分担的にしか責任を感じず、誰かが上司が相手先がフォローしてくれると他人依存を頭に置いて仕事をするのとで、個人の強さが変わってくるのだと思う。
個人の強さを身につけるためにはどうればいいのか。
そもそも個人の強さを欲しがらなければ問い自体が愚問となるが。
個人に走らないことも美徳だけど、ここという場面で、個人の力が必要とされる場面で、自分が前に出てやるというガツガツ感と責任感があって良い。
そんな場面、自分が前に出られる場面で、空っぽの頭しかなければ空振り必至。
個人の力が問われる。
ガツガツ感とか責任感という精神論と、具体の提案をするための専門知識とか説明能力とか自分の中に着実に蓄積できる実力をつけることが個人の強さにつながる。
マネジメントでみんなの力で創りあげるという発想もそれはそれで大事で、仕事がきちんと進まないと話にならないのだけど、ある程度の立場年齢になるとそこそこのマネジメント能力は当たり前のことで、そこで自分が具体的に何を示せるかを考えたい。
生み出す頭が。
人を使い中身を仕入れて加工も人に任せて、仕上げるまでひたすら進め方ばかりを考える。
そういう役割も徹底すればそれに長けた人になるのかもしれないけど、それで仕事ができる人になったと思い込み、それで自分が評価されていると自己満足しているうちに、自分でなにも創り出せず、それどころか何をすればいいかというアイデアさえも人に聞かないと言うことができないという人になる。
建築の人って個人の強さがある。
自分の考え方としてのものの見方がはっきりしていて、それを言葉できちんと伝える。
そうやって世の中に出ていく人が建築の人には多い。
建築は個人の名前で仕事をして建った建築物にも誰がつくったものと個人の名前が伝えられるが、土木系の工事の成果はみんなでつくったものだから個人の名前が残らないことが両者の大きな違いだと言われることもある。
それもあると思う。
けどおそらくもっと日常の仕事のレベルが大切で、個人の責任と個人の成功を頭に置いて仕事をするのと、みんなでつくるという平べったい感覚で役割分担的にしか責任を感じず、誰かが上司が相手先がフォローしてくれると他人依存を頭に置いて仕事をするのとで、個人の強さが変わってくるのだと思う。
個人の強さを身につけるためにはどうればいいのか。
そもそも個人の強さを欲しがらなければ問い自体が愚問となるが。
個人に走らないことも美徳だけど、ここという場面で、個人の力が必要とされる場面で、自分が前に出てやるというガツガツ感と責任感があって良い。
そんな場面、自分が前に出られる場面で、空っぽの頭しかなければ空振り必至。
個人の力が問われる。
ガツガツ感とか責任感という精神論と、具体の提案をするための専門知識とか説明能力とか自分の中に着実に蓄積できる実力をつけることが個人の強さにつながる。
マネジメントでみんなの力で創りあげるという発想もそれはそれで大事で、仕事がきちんと進まないと話にならないのだけど、ある程度の立場年齢になるとそこそこのマネジメント能力は当たり前のことで、そこで自分が具体的に何を示せるかを考えたい。
釧路 ― 2015年01月27日 16時11分18秒
今日は釧路湿原自然再生の旧川復元小委員会。
現地をきちんと見ておくことがとても大事です。
現地をきちんと見ておくことがとても大事です。
話の広がりと発散、感覚的な指導、資格指導と退職、リードする人の判断の失敗 ― 2015年01月27日 19時59分29秒
話をしているといつもこちらが楽しくなるという知り合いがいる。
彼の話にはいつも広がりがある。
彼にとっては目の前の瑣末なことはどうでもよくて、これからどんなことができるかという視点が常にあり根本的に前向き。
見ているものが違うんだな。
話が広がるというのは受け取り方によっては話が発散すると捉えちゃうんだけど、それは捉え方の問題で、発散するとしか見なければ広がりとは捉えられない。
仕事の指導で具体的すぎるとその具体的なところしか伝わらないことがあり、でも漠然としたことを言ってもそれはそれで伝わらない。
ただ、その感覚的なところがビミョーな分かれ目になることもある。
いい報告の文章なのに最後の一行が余計だったとか、それが間違っているわけではなくても、それが印象をがらっと変えてしまうとか。
「暗黙知を明文化する」とか言うけれど、伝えきれないから暗黙知なのかと自分でも考えをややこしくする。
ああ全く。
ちょっと前の話題だけど、航空会社が自社で養成した操縦士が他社に転職していったのを、教育にかかったカネを返すべきだという。
その通りだと思う。
資格は個人に帰属する。
ただ、養成して資格をとらせないと会社の営業が成り立たなくなるという会社側の事情もあり、個人のものになる資格を会社が費用をかけてとらせないといけないから複雑だ。
察しはつくだろうけど、この業界の技術士もそうなんだな。
仕事をとっていくのに技術士の社員の数が必要で、だから社内講習とか受験費の補助とか取得の奨励金とかいろいろやるけど、とった社員が免状を手に入れたとさっさとやめてほかに移っていく。
この業界に限らず、金融関係で社費で留学してMBAをとって戻ってきたらさっさとやめて独立したとか、ほかの分野でもある話なんだな。
金がからむからやや面倒だけど、最低限の恩はきちんと感じてそれを返したと自分で思った時に辞めたらいい。
雇うほうと雇われるほうのそのへんのバランスがそれなりに一致できるのがいいよね。
あるだいぶ上の人が「もっともらしく判断なんて言うけど結局半分くらい失敗だったりするんだよ」と言う。
失敗にも程度があるから言葉のとおりに受け取ることではないのかもしれないけど。
打ち合わせとかカタチとしては話し合って決めたことでも、実際は中心的な人がリードする考えで決まったことだったということもよくある。
リードする人が間違いの方向に進まないようにするのが周りの役目だとは思うけど、リードする人の押しが強いと周りは「あの人が最後は判断して責任取るんだから」とぶつかるのを避けるようにもなる。
だからどうすべきとかではなく、そうやって失敗の判断、成功の判断をいろいろ含めて、いろんな物事が進んでいってるんだなということで、ひとつひとつにめげたり責めたりとしすぎないほうがいい。
少なくとも言えそうなのは、そうやってリードしようとする人が減ってきているかもしれなくて、リードして失敗したことを、自分ができずに身を預けた人がとやかく言うことではないということ。
彼の話にはいつも広がりがある。
彼にとっては目の前の瑣末なことはどうでもよくて、これからどんなことができるかという視点が常にあり根本的に前向き。
見ているものが違うんだな。
話が広がるというのは受け取り方によっては話が発散すると捉えちゃうんだけど、それは捉え方の問題で、発散するとしか見なければ広がりとは捉えられない。
仕事の指導で具体的すぎるとその具体的なところしか伝わらないことがあり、でも漠然としたことを言ってもそれはそれで伝わらない。
ただ、その感覚的なところがビミョーな分かれ目になることもある。
いい報告の文章なのに最後の一行が余計だったとか、それが間違っているわけではなくても、それが印象をがらっと変えてしまうとか。
「暗黙知を明文化する」とか言うけれど、伝えきれないから暗黙知なのかと自分でも考えをややこしくする。
ああ全く。
ちょっと前の話題だけど、航空会社が自社で養成した操縦士が他社に転職していったのを、教育にかかったカネを返すべきだという。
その通りだと思う。
資格は個人に帰属する。
ただ、養成して資格をとらせないと会社の営業が成り立たなくなるという会社側の事情もあり、個人のものになる資格を会社が費用をかけてとらせないといけないから複雑だ。
察しはつくだろうけど、この業界の技術士もそうなんだな。
仕事をとっていくのに技術士の社員の数が必要で、だから社内講習とか受験費の補助とか取得の奨励金とかいろいろやるけど、とった社員が免状を手に入れたとさっさとやめてほかに移っていく。
この業界に限らず、金融関係で社費で留学してMBAをとって戻ってきたらさっさとやめて独立したとか、ほかの分野でもある話なんだな。
金がからむからやや面倒だけど、最低限の恩はきちんと感じてそれを返したと自分で思った時に辞めたらいい。
雇うほうと雇われるほうのそのへんのバランスがそれなりに一致できるのがいいよね。
あるだいぶ上の人が「もっともらしく判断なんて言うけど結局半分くらい失敗だったりするんだよ」と言う。
失敗にも程度があるから言葉のとおりに受け取ることではないのかもしれないけど。
打ち合わせとかカタチとしては話し合って決めたことでも、実際は中心的な人がリードする考えで決まったことだったということもよくある。
リードする人が間違いの方向に進まないようにするのが周りの役目だとは思うけど、リードする人の押しが強いと周りは「あの人が最後は判断して責任取るんだから」とぶつかるのを避けるようにもなる。
だからどうすべきとかではなく、そうやって失敗の判断、成功の判断をいろいろ含めて、いろんな物事が進んでいってるんだなということで、ひとつひとつにめげたり責めたりとしすぎないほうがいい。
少なくとも言えそうなのは、そうやってリードしようとする人が減ってきているかもしれなくて、リードして失敗したことを、自分ができずに身を預けた人がとやかく言うことではないということ。


最近のコメント