規則正しい生活とワークライフバランスとゆとり教育 ― 2014年07月26日 11時53分04秒
昔々のこと。
僕が大学の受験勉強をしてた頃「規則正しい生活が基本」みたいなことを言われて、できるだけ心がけるようにした。
が、2,3ヶ月経って、勉強はしていたつもりだったのに、予備校の同じクラスの友達とくらべて成績が上がっていないことに気がついた。
彼と話をしていたら、どうやら彼は深夜遅くまで、できるところまでとことんやって睡眠時間は数時間という生活をしているようで、規則正しい生活とは無縁でガツガツ勉強しているという感じだった。
その時思った。
規則正しい生活とかきれいごとの建前より、とにかく量をやったほうが身につくんだと。
当たり前だよね。
何かを身につけようと思ったらやるしかない。
やった量だけ実力はつく。
理想論のあるべき姿よりやったもん勝ち。
それに気づいた2,3ヶ月は捨てたつもりで、あとの期間は規則正しい生活とか無視して、とことんやることだけ考えて受験勉強をした。
ワークライフバランスが大事だという。
健康的な生活、うちに帰って家族とのコミュニケーションとか、そりゃ大事。
否定はしないし、僕はいまそういう生活をしている。
ただ、本当にやらないといけないときと自分が感じた時に、ワークライフバランスという言葉がブレーキにならないように気をつけたい。
実力をつけようとしたときや、業務の質をもっと高めようと思った時に、それでも仕事とプライベートの時間のバランスが大事とほどほどのところで手を引くのは、高めるという機会を失うことにつながる。
ここが勝負と思った時には、規則正しい生活とか、ワークライフバランスとかきれいな建前に惑わされず、時間と労力の量を惜しまずそそぎたい。
ゆとり教育が大事だと言っていたのも似たようなことかもしれんよね。
ガツガツ勉強させて、暗記教育ばかり強いるより、ほどほどの勉強でのびのび育てるというきれいごとも正しいと思う反面、結果としてゆとりの中で量をこなさない勉強で育ったあとに、学力不足の大学生や大人が増えたという現実がある。
みんながみんなそうではないと言うかもしれないけど、知り合いの大学の先生が本気で脅威と思っていたのがゆとり教育世代が大学生として入ってくることで、実際にゆとり教育世代が大学に入ってきたときに、こんなことも知らないのかと愕然とする場面が多々あったと言っていた。
それが現実だろう。
ほどほどでいいと思う人にとっては、ワークライフバランスもゆとり教育もいいのかもしれない。
だけど、本当にやらないといけない立場とか状況で、規則正しい生活とかプライベートが大事とか言っていると、求められることに自分の実力が足りない状況に陥って、気づいたら自分が必要とされなくなる結果が待っているかもしれない。
だからと言って誰彼にもこういう発想を強いるつもりはない。
そんな世の中じゃないし。
ただ、僕の大学の恩師が言うに「30代にやったことがそのあと活きてくる」のだそうだ。
30代といういわゆる脂が乗る頃に頑張って身につけたことがその後の仕事に役に立つということで、逆に言うと、その時期にフツーかテキトーにやってるとその後はその程度にしかならないということだろう。
自分のことで言えば、僕はいま30代を過ぎ40代なかば。
そんなトシは過ぎたとかつまんないことは考えず、まだまだやりますぜ。
あ、でも四六時中、土日も深夜も仕事するということじゃないよ。
僕が大学の受験勉強をしてた頃「規則正しい生活が基本」みたいなことを言われて、できるだけ心がけるようにした。
が、2,3ヶ月経って、勉強はしていたつもりだったのに、予備校の同じクラスの友達とくらべて成績が上がっていないことに気がついた。
彼と話をしていたら、どうやら彼は深夜遅くまで、できるところまでとことんやって睡眠時間は数時間という生活をしているようで、規則正しい生活とは無縁でガツガツ勉強しているという感じだった。
その時思った。
規則正しい生活とかきれいごとの建前より、とにかく量をやったほうが身につくんだと。
当たり前だよね。
何かを身につけようと思ったらやるしかない。
やった量だけ実力はつく。
理想論のあるべき姿よりやったもん勝ち。
それに気づいた2,3ヶ月は捨てたつもりで、あとの期間は規則正しい生活とか無視して、とことんやることだけ考えて受験勉強をした。
ワークライフバランスが大事だという。
健康的な生活、うちに帰って家族とのコミュニケーションとか、そりゃ大事。
否定はしないし、僕はいまそういう生活をしている。
ただ、本当にやらないといけないときと自分が感じた時に、ワークライフバランスという言葉がブレーキにならないように気をつけたい。
実力をつけようとしたときや、業務の質をもっと高めようと思った時に、それでも仕事とプライベートの時間のバランスが大事とほどほどのところで手を引くのは、高めるという機会を失うことにつながる。
ここが勝負と思った時には、規則正しい生活とか、ワークライフバランスとかきれいな建前に惑わされず、時間と労力の量を惜しまずそそぎたい。
ゆとり教育が大事だと言っていたのも似たようなことかもしれんよね。
ガツガツ勉強させて、暗記教育ばかり強いるより、ほどほどの勉強でのびのび育てるというきれいごとも正しいと思う反面、結果としてゆとりの中で量をこなさない勉強で育ったあとに、学力不足の大学生や大人が増えたという現実がある。
みんながみんなそうではないと言うかもしれないけど、知り合いの大学の先生が本気で脅威と思っていたのがゆとり教育世代が大学生として入ってくることで、実際にゆとり教育世代が大学に入ってきたときに、こんなことも知らないのかと愕然とする場面が多々あったと言っていた。
それが現実だろう。
ほどほどでいいと思う人にとっては、ワークライフバランスもゆとり教育もいいのかもしれない。
だけど、本当にやらないといけない立場とか状況で、規則正しい生活とかプライベートが大事とか言っていると、求められることに自分の実力が足りない状況に陥って、気づいたら自分が必要とされなくなる結果が待っているかもしれない。
だからと言って誰彼にもこういう発想を強いるつもりはない。
そんな世の中じゃないし。
ただ、僕の大学の恩師が言うに「30代にやったことがそのあと活きてくる」のだそうだ。
30代といういわゆる脂が乗る頃に頑張って身につけたことがその後の仕事に役に立つということで、逆に言うと、その時期にフツーかテキトーにやってるとその後はその程度にしかならないということだろう。
自分のことで言えば、僕はいま30代を過ぎ40代なかば。
そんなトシは過ぎたとかつまんないことは考えず、まだまだやりますぜ。
あ、でも四六時中、土日も深夜も仕事するということじゃないよ。
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