雑感3つ2012年08月15日 07時00分36秒

まだ盆休み中。
さらに雑感いろいろ。

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「そんなことまで考えなかった?」

オリンピックのバドミントンでの無気力試合の問題で、韓国では選手の資格を剥奪するという。
そして監督とコーチは除名処分だってさ。
なでしこジャパンの1次リーグの引き分け狙いとか、陸上短距離走で先頭選手が流して走ることとかと一体何が違うのか、いや本質的には一緒だとかいろんな見方があるみたい。
理屈を並べるだけで、そんなに大きくは違わない気がするけどね。

ただ、バドミントンの場合は、前回までのトーナメント方式から予選リーグ方式に変えたことが問題だろうね。
リーグ戦に変えたこと自体が問題じゃなく、予選をリーグ戦にするときにこんなことが起きるかもと想定できなかった、仕組みを作る側の人たちの甘さだよね。
ほかの種目では、そういうことを想定して決勝トーナメントの対戦を抽選にするとか工夫してたりするみたいだし。
ちょっとくらい参考にすれば良かったのにね。

仕組みを考える側の人にしてみたら、選手がわざと負けようとするなんてことまでは考えなかったと言いたいところだろうなあ。
けど、やっぱり考えないといけないんだよ。
結果論じゃないよ。

これって日常の仕事でもよくあることで、相手から何かを指摘されて「そこまでは考えてませんでした」って答えたりするでしょ。
指摘が突拍子もないことだったりすることもあるけど、でもちょっと見方を変えればすぐに想像できたり、相手の立場だったらそりゃそう思うよなってことだったりすることも多くて、つまりは作る側の人が思いつきの段階だけで仕事をすまして、それ以上の想像を働かせなかった結果なのさ。

だから「そんなことまで考えなかった」と言いたくなるときは、作る側の想像力の足りなさをひけらかしているだけと反省したほうがいい。
バドミントンの場合は、それを選手や監督・コーチという、その仕組みで動かされる人たちに責任を負わせたという、僕から見れば責任転嫁の最悪の判断というように見えちゃうね。


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「どうしてほしいんですかとは聞かない」

仕事でさ、何かをつくって持って行ったら、イマイチ反応が良くないってことあるよね。
そういう時「どんなふうにしたらいいですか」ってすぐ聞いちゃう?

せっかく時間かけてつくった資料が受け入れられなくて、じゃあどうしてほしいのか具体的に言ってよと言いたくなる気持ちはわからないわけじゃない。
具体の指示をもらって作業したほうがはるかに効率いいし、成果も「あなたがこうしてほしいと言ったからこう作ったんだ」と相手の責任にできるしね。

でも、まだ我慢なのだ。
「どうしてほしいのですか」と聞くのは最後の本当にどうしようもない状態になるまでとっておきたい。

相手も、何となくイメージがあるだけで、具体のお願いを出せないときってあるよね。
服を買いに行って「どんなのをお探しですか?」と聞かれても、何となく流行りのものがほしいだけで、見てみなきゃわからないというのと同じ。
こんなときに「無地かストライプか水玉かまず決めて」と言われても困るよね。

だから僕らの日常の仕事でも「どうしてほしいのですか」とはできる限り聞かないんだよ。
どんなものを提示すれば喜んでくれそうか想像力を働かせてひねり出す。
で、相手の想像を超えるような、あっと言わせるようなものをどーんと出す。
いつもいつもうまくいくとは限らないけどね。


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まずは感謝なのか。

またオリンピックで感じた話に戻るけど、最近のインタビューを聞いててで気になるんだね。
多くの人にお世話になってここまで来たとか、監督・コーチほか支えてくれたスタッフの皆さんに感謝したいとか、インタビューの礼儀のようになってる感じがするよね。

わかるんだけどさ。
今の雰囲気だと、逆に、感謝を言わなかったら礼儀知らずのように見られるかもしれないしね。

だけどさ、努力したのは圧倒的にその本人なんだよ。
だから、インタビューではその努力の成果の実感を自分の言葉で話してほしいなって思うんだよね。

例えば、プロ野球のピッチャーで、最近活躍できるようになってきたY選手。
ちょっと前は、勝ったあとのインタビューで「キャッチャーのTさんのリードのおかげです」としか言わなかった。
でも最近は「必死に投げました」とか「今日はうまく投げられました」とか自分主体で話すようになった。
聞いてるほうとしてはこのほうが全然面白い。

感謝はね、最後にそっと言えばいいんだよ。
サポートしてる側ってさ、日の目を見ないで当たり前で、内面に感謝の気持を持っててくれてさえすればいいと思ってると思うよ。
まずは感謝の言葉ありきだろと思ったとすれば、それはサポート側の傲慢よ。

スポーツに限らないよ。
日常の仕事でも、努力してやった人は堂々としてればいい。
自分の努力を隠すようにして、サポート側への感謝を見せるというのは、違うと思うんだよ。
本心が感謝だらけなのであればいいけどね。

たまに逆のこともあって、本人の努力とかアイデアがあまりなくて、まわりのサポートだらけの成果なのに、あたかも自分の能力でできましたという見せ方されて幻滅したりすることもあるけど、これはまた違う話だね。

自分の努力と周りのサポートを冷静に自覚することが大切だということかな。

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