合意形成とファシリテーション技術2008年04月18日 12時38分39秒

昨日、技術士会のワークショップに参加しました。

テーマは「公共事業におけるファシリテーション」。
住民説明会やワークショップの進行役を自分が担ったときに、どんなふうに進めていくかの学習です。

ファシリテーターとして進行役を担ったときに、まず重要なのは「聴く」ことだそうです。
ただ相手の話を聞くと言うのではなく、相手が心底で何を伝えたいと思っているのかを「聴く」。
言葉の上っ面で相手が言いたいことを判断するのでは何の理解にもならないので。
相手に成りきるような感覚が必要なんでしょう。

あとはファシリテーターとしての具体的な技術。
「どうせ事業は決まっているんだから話し合ってもムダなんだろ」
というようなことを言われたときに、どのように切り返して、相手の感情を和らげつつ、議論を前に進めるか。
その具体例を示してもらい、実際に演習をしました。
これは面白かったなぁ。
難しかったけど。

ところで公共事業の合意形成というと、昔は説明すらしなかったのが、住民説明会なんかで「事業説明」がなされるようになり、それでも一方的な説明では住民は納得しないということから、ワークショップのように一緒に考えるというスタイルができ、その進行を事業者がやるとまた不信感が生まれるから、中立的なファシリテーターのような人を立てるようになりと、どんどん進歩してきました。
昔と比べるとたいそう良くなったと思います。
私も実際の川の改修でワークショップをしたことがあります。

だけど何かが足りないという思いもあります。

実は僕は大学を出て最初に携わったのはダム計画。
しかも反対運動で対立しているところのダム。
コンサルタントとしての社会人生活がそんなふうに始まったので、合意形成って言葉を聞くとすぐ反応します。
特に対立しているところのことは気になってしょうがない。
なぜ対立するのか。
折り合う可能性はあるのか。
折り合わないとすれば、何が足りないのか。

合意形成で足りていないところ。
たぶんですが「最終決定は誰が下すべきなのか」という根本的なことの議論が不足しているんじゃないかと思います。

そんなの役所が最終判断することに決まってるじゃないかと言われるかもしれません。
だけど、例えばワークショップで役所と住民と市民団体が一緒になって同じ土俵で議論しても、最終決定が同じ土俵に乗ってたはずの役所でしたというのは、納得いかないという人もいるんじゃないかと思います。

ダム計画があって、事業を立ち上げた役所と、疑問を持った市民団体があったとして、ワークショップでお互い熱心に議論したけれども、結局平行線でお互い歩み寄れる妥協点にたどり着けなかったという場合があったとします。
そんなとき、現状では役所が最後出てきて「ダムやります」って決定しますね。
でもたぶん市民団体としては、ダムをやりたい役所が自分たちで判断してしまうのではなくて、もっと違う、客観的に判断できる人が出てきて判断してくれたら納得いくのにって思うかもしれません。

そのために委員会があるのだと言われるかもしれませんが、これも現状では委員会は提言組織で決定機関にはなっていないですね。


と、偉そうに書いたのですが、だからどうしたらいいかっていうのは僕もはっきりとはわかりません。
だけど、その「最終決定者は誰なのか」という議論が欠けているのは確かだと思います。

繰り返しですが、説明も何もなかった昔と比べると合意形成のプロセスは格段に進歩しています。
そのプロセスの先の「決定」が今のままでいいのかどうか、最終的には今のままがいいのかもしれないし、違うカタチがいいのかもしれない。
だけど議論は欠けている。
それが合意形成の課題としてこれから議論されるべきことだと思います。

技術士が自治体の役に立てる時が来る2007年10月04日 12時44分38秒

そうなのだ、市町村の技術的なサポート役を技術士がやればいいのだ。

市町村にとってはお節介な話か?
そうかもしれない。
世話焼かれなくても自分たちで解決するからと、はねつけてもいい。

だけどこれからの時代、市町村に求められる役割や仕事はさらに増えるだろう。

例えば公共事業のプロポーザル。
いまはプロポーザル形式での発注は、国が先行して都道府県が追随するようになっただけで、
市町村でやっているところはごく一部だろう。
だけど、何かと批判の多い公共事業。
金額だけで決めるために談合の温床となりやすい入札制度から、
技術提案を発注の根拠にできるプロポーザル形式へと、
市町村の発注形態も移っていくと想像できる。

その時、受注側の会社は技術力、提案力が求められるのは当然だけど、
逆の役所側も各社から提出されたプロポーザルの技術内容を理解してランク付けできるだけの能力が求められることになる。
それまでマニュアルに乗っ取って定型的にこなせた仕事に慣れた技術職員は、
プロポーザル形式になれば、もしかしたら業者選定の前にまず条件を設定するところから戸惑うかもしれない。

そこで技術士が役に立てる。
前回書いたような、河川の治水か観光資源かというような公共事業全般の問題に直面したときにも、
すでに高度な技術力を持っているとされる技術士の知恵を借りられれば、
判断の目安、解決の糸口を見つけることくらいはできるかもしれない。

そのためにはまず技術士が役に立つということを示さなければダメだ。
技術士という集団は役に立つ人達だと市町村の職員の方達が思っていてくれないと
技術的アドバイスを求められるような場面は生まれない。
当たり前だ。
いまは認知度が低すぎて、困ったときにも技術士という存在が誰の頭にも浮かばない。

アピールを兼ねてセミナーを開く。
話し手はもちろん現役技術士。
自分たちが日常の業務で行った技術的な問題解決の具体事例を話す。
具体の問題解決を日々こなしていることを伝えるのだ。

そうして技術士の認知度を上げていく。
認知度が上がることで社会的な活動が広がる。

僕の思う、技術士の認知度向上の必要性はここ。
技術士の認知度が上がれば、こういう活動がスムーズになる。

こんなことをずっと考えている。
だいぶ自分の考えが整理できてきたので、
まずは北海道の技術士会に少しずつ投げかけていこうと思う。

青年技術士交流委員会に入っているので、メンバーに話をして、
議論でたたいて練り上げて行ければいいなと思う。
動きだそう。どう発展するか、発展しないかわからないけど。

河畔林伐採のトラブルから考えた地域と技術士の役割2007年10月03日 12時23分51秒

昨年、北海道のある川で河畔林の伐採が問題になった。
伐採が地域から反対されたのだ。

反対というのは主にラフティング業者からで、
水際の河畔林を切られるとお客さんが景色を楽しめなくなると。
業者としてはそれで客が減ることが心配なんだろう。

河畔林の伐採は治水のためだ。
水際に木が多いと増水時に水が流れにくくなり、
氾濫の危険性が高くなる。
だから木を切りたいというのが役所の主張だ。

伐採の計画を立てて、いざ実施という段階で現地にテープを張り巡らせたら、
これはいったい何事なんだとラフティング業者の目にとまり
猛烈な反対にあったというのがことの成り行きのようだ。

結局、伐採は中止となった。
いまは役所と地域とで話し合いが進められている。


ところで地域に理解される治水対策とはどんなものなんだろうか。

治水事業、つまり河川改修やダム事業はとにかく批判の的になりやすい。
反対する側の「自然を壊している」とか言う声は大きく響くけど、
それで得られる安全とか水不足がなくなっているとかいうところは、
あまり実感として理解されているようには僕には感じられない。
治水と環境のどちらが大事かという議論をしたいのではない。
いろんな観点をもって理解する必要がある問題だと思う。
そして地域の人達が地域の問題として理解できることはありえるのか。
役所任せにせずに。

僕はずっと川の仕事をやってきた。
大学卒業してすぐに受け持った仕事がダムの治水計画で、
しかもそのダム計画は住民の反対を受ける逆風の真っただ中だった。
右も左もわからないような状態で、見よう見まねでせっせとダムの妥当性を示す資料をつくった。
反対する住民を意識しながら議論に打ち勝つ理屈づけに知恵を絞る毎日だった。
どちら寄りという問題ではない。
当時は仕事のやり方を覚えることで精一杯。
だけど対立の構図を眺めながら、平行線の議論の渦中にいて、
自分の立つ位置がどこなのか、考えあぐねる毎日だった。
そんな経験からか特に川のことで住民とトラブルになっている話には自分の仕事でなくても敏感になった。

河畔林のトラブルが起こった川の話に戻そう。

役所は治水、つまり地域を水害から守るために木を切りたいと考える。
ラフティング業者はお客さんを楽しませるためには木を切ってほしくないと主張する。

業者にはお客さんのためという名目があり、それは自分たちの利益にもつながるという目論見(もくろみ)がある。
そしてラフティング業者が繁盛してお客さんがたくさん訪れるようになると、その地域がにぎやかになる。
それは地域の目玉になる。
つまり地域の観光が活性化する。

こんなことを考えているうちに、はたと気づいた。
どちらも地域のためになることなのだ。
治水も観光も。
業者がからんでいるのでその共通点が見えにくいけれども。

その時の新聞記事にコメントがあった。地域の町長だったと思うが、
「見守りたい」
と。

そうだ、これが違うのだ。
地域のリーダーが見守っている場合ではないのだ。

地域のための治水と地域のためになる観光資源との対立を、
傍観者のように様子を伺って眺めているだけではいけないのだ。

観光を推し進めていくほうを優先にするために治水の工事を据え置くとか、方法を変える要望を出すとか、
逆に、住民の安全が優先だから伐採すべきと明言するとか、
地域の問題として主体的に関わっていく立場なのではないか、地域のリーダーは。

でも実際には難しい。
河川を管理する役所と、地域の自治体との関係もある。
都道府県や国なんかの上の役所には気を遣って言いたいことがあっても言いにくいだろう。

もうひとつ、仮に自治体に判断をゆだねられても、
河川の専門的な内容を首長もしくは自治体の技術職員がすぐに理解するのはちょっと大変だ。
市町村では地域の仕事しかないから、大きい事業の計画書をいきなり見せられても、すぐに理解するのは難しいだろうし、
ましてやいいかどうかの判断はもっと難しい。

なのでいきなり地域の市町村に問題をあずけても実際には意見は出てこない。
出てきたとしても、
「洪水対策は大切なので、ぜひ進めてもらいたい」
というありきたりな意見を述べて終わりだろう。

ここまで考えたけど、じゃあどうしたらいいんだろうというところで行き詰まった。
打つ手なしなのか。

しばらく考え続けた。
そして2、3カ月後、ふと思いついた。
そうだ、技術士って人達がいるではないか。
そこで技術士が登場すればいいのだ。

また長くなった。続きは後日。