さくら2011年04月01日 04時52分20秒

4月になったので、背景を変えてみました。
なんかイメージにあわない気もするけど。
また変えるかもしれません。

もうやめようぜ「させてもらう、させて頂く」2011年04月07日 20時06分16秒

新聞とかですでにいろんな人が指摘して議論され尽くされてる話だと思うけど、丁寧な対応しようとして「○○させてもらいました」「○○させて頂きました」と安易に使う人が多いよね。

気になり始めるとうんざりするんだ。

資格試験に受かった人が「試験に合格させて頂いたのですが・・・」
大会で勝ったスポーツ選手が「優勝させてもらったのですが・・・」

資格のほうはあるサイトのコメントで、優勝のほうはバレー雑誌立ち読みしたら全日本の主力選手が高校の頃を振り返ったコメントで言っていた。

何か違うよね。

「試験に合格した」
「大会に優勝した」

でいいじゃない。

ひとりで成し遂げたわけじゃないというニュアンスを含めようとしているのかもしれないけど、そんなの何事でもあてはまるからきりがないよ。

そんなに人の力を借りっぱなしだったの?
そうならいいけど、自分の努力に添えるように力を借りたのであれば、言葉のイメージと違いすぎるよ。

自分がやったのなら「した」とはっきり言おう。

そうしないとせっかくの自分の成就が他力依存と受け取られちゃうよ。
そんなに自分の成果と言う自信がないのかい?

先日、震災のチャリティーイベントで、スマップの人達が話してたのをテレビで見たんだけど、すごく聞きやすかったのね。
それで、注意して聞いてたら、彼ら「させて頂いた」という言い方を使わなかったんだよね。

日頃から自分らの言葉ひとつひとつに細心の注意を払ってるんだろう。
いろんな人から指摘もされるだろうし。
感心しながらそのインタビューを聞いていた。

僕らの仕事は、立場から「○○させて頂く」という言い方をする場面多いんだけど、必要以上にへりくだろうとせず、やったことは「しました」と言うようにしようと思ってるよ。

堂々とね。

最近読んだ本から:勝利のチームメイク、社長でなくても、間宮林蔵2011年04月10日 21時08分11秒

勝利のチームメイク 岡田武史、平尾誠二、古田敦也 日本経済新聞社

本棚を整理していたら7-8年前に読んだ本が出てきた。
この3人のそれぞれの対談が載せられている。
ちなみにまだ岡田さんは1回目の日本代表監督を終えたあとの頃。
これだけの格の人達は、お互いに何を言っても共感するんだな。
ギリギリの勝負をしている人達は、考えるところがどこかつながるのだと思う。
古田と岡田さんの対談で古田は、勝負で開き直りは大事だけど、中途半端に投げやりの感覚でえいっとやるのではなくて、自分で最後の状況まで追い込んだあとに思い切ってやるというのが勝負の開き直りだと言っている。
岡田さんも、どうせ考えても結論が出ないと思って感覚的にえいっとやる人、考えて考えてでもえいっってできない人、どっちも大成しないと言っている。
これは僕も日常の仕事で感じるね。
自分なりの結論を出せるまで粘れるか、粘ったあとでえいっって決められるか。
性格とか、経験とか、年齢とかの問題じゃなくて、そういう意識を持ってるかどうかの違いかなって思ってるよ。


社長でなくても変革は起こせる! 青田卓也 日経プレミアシリーズ(新書)

変革なんてたいそうなことをいつも考えているわけじゃないけれど、それでも何とかしたほうがいいなということが社内にはごろごろ転がっている。
しかも管理職になり、現実として上に近い位置になると、自分の声が届くかなということも考えるようになる。
自分の考えを提案ごととして口に出せるようになるかがひとつのハードルだ。
でもそれは、自分がハードルを越えただけで、提案がカタチに結びつくかはまた別の問題だ。
つまり「言う」ということと「聞いてくれる」ということは別物だということなのだ。
相手は相手で考えがあるからね。
しかも上の立場としての態度ってのもちらつくだろうし。
そういういろいろに対する著者の身のこなし方が書いてある。
提案とか説得とか、自分がどれだけ考えたかという本質がきちんとあるかどうかがほとんどで、それをどう出すかというテクニックがあればさらに良しと僕は思う。
ま、本質はしっかりしてるのに、出し方、見せ方が悪いから通らないということもあるから、テクニックもきちんと身につけた方がいいんだけどね。
それに、もうひとつ。
瞬間で変わることもあるけど、たいがいは時間がかかると最初から思っておいた方がいいということかな。


林蔵の貌(かお) 北方謙三 集英社文庫

水戸、島津の人達とシーボルト、松平定信、間宮林蔵らが入り乱れる。
もう歴史の勉強からから遠ざかっているけれど、昔の知識でなんとか記憶に引っかかっている名前の人達。
でも、それぞれがどんなことをしていたのかなんて、説明せよと言われてもひと言も出てこない。
主人公の間宮林蔵にしてみても、この人が伊能忠敬を先生として蝦夷地の測量をした人とは全く知らなかった。
歴史の教科書では習っていたのかね。
極寒過酷な地でひたむきに測量して畏怖の念さえ抱かれた間宮。
その間宮を頼りに蝦夷地に入るも薩摩に殺される友人信平。
その恨みを持ち続けて薩摩への復讐を企てる間宮。
相手の一途さに心が動かされて相手を友達と認識するというようなことって、自分の日常であるだろうかと考えた。
なかなか今の仕事、生活の中で、人のまっすぐさに心が打たれるという場面はなかなかないし、自分の中にそう言う面が残っているのだろうかと考えた。

急がないと言われたらのんびりやるの?2011年04月12日 23時44分21秒

かつての業務の役所担当者から相談があり、
「その業務の近くの場所の状況を知りたいのだけど、当時の報告書のデータでわかるのだろうか」
と聞いてきた。

「わからないですよ」と答えつつ、
「それくらいなら現地に行って測ってきますよ」と言うと、
「すみませんがお願いします、急がないので」
と頼まれ、引き受けた。

サービスみたいなものだけど、大した作業でもないし、それくらいの作業なら新人の訓練にはちょうどいい。
と、引き受けて、それを部下に説明して任せた。

しかし数日たっても部下は動かない。


今日、週初めのミーティングで、部下にいつやるつもりなのかと聞いたら、
「急ぐことになったのですか?」
と彼は聞き返す。

「相手は、どうして『急がないので』と言ったと思う?」
「・・・」
「相手の立場を想像したらさ、
 サービスの作業だから遠慮して催促できなかったのかもしれないよね。
 急がないと言っても、それを次の日にやってくれるのと、
 2週間かかるのとで、印象違うと思わない?」


ダメではないんだ。
すぐほしいのならそう言ってくれというのも正論だ。
だけど、そこでちょっと気を回せるかどうかが大きな違いになるかもしれないよ。

テレビ・新聞・雑誌から3つ2011年04月22日 18時12分21秒

上山博康(脳神経外科医) NHKプロフェッショナル2011.3.28放送より
「批評家になるな、いつも批判される側にいろ」
危険と隣り合わせの最先端の手術に向かっていくかどうか、自分でやらずに人のチャレンジを眺めて、失敗したらクールに見下す人より、そういう人に批判されてでも新しいことに向き合って切り開いていくという人になれという、この人の師匠からの教えを守っているとのこと。
僕のある場面にて。
「できますよ」と言うのは簡単なんだけど「やりますよ」とはなかなか言わない。
「やってくれるの?」と聞いても「できます」。
できるのはわかったから「やるの?」と聞いたら「・・・」。
この知人は典型的な批評家。
僕は「できます」型でなく「やります」型でいたいと思う。


「職人崩壊」日経コンストラクション2011.3.28号より
型枠大工などの職人が、仕事量が減ったのと単価が下がったのとで少なくなり、いざ工事ができても職人を確保できずに、現場が進まないという状況が発生しているとのこと。
公共事業は談合とかで世間の目の敵にされて、予算もどんどん削減されている。
少なくなった仕事を業者が安い入札額で奪い合い、その結果、元請け、下請け、孫請けのみんなの人件費を削ってつじつまを合わせることになる。
我々コンサルも同じ状況になっている。
現実として最低制限価格でしか仕事ができない。
疲弊していく。


石田純一、朝日新聞Be(2011.2.19)より
どんなに忙しくても毎朝のランニングは欠かさない。
朝、生放送の出演があるときは4時前に起きて走る。
いつもカバンの中に本が入れてあり、政治、経済、社会、環境問題、精神世界まであらゆるジャンルの本を並行しながら3日に1冊は読了するとのこと。
イメージとは違う、陰の努力あり。
長く認められることには何らかの根拠あり。