技術士会:旭川高専での講演2010年12月05日 08時18分49秒

おととい12月3日に、技術士会の仕事で旭川高専に行きました。
高専から技術士会への依頼ごとで、技術職員に技術士とはどんな資格かとか、技術士が実際に資格を持ってどんな仕事をしているのかを話してほしいということで、メンバー数人で行ってきました。

まず、僕も所属している技術士会の青年技術士交流委員会の幹事長から、技術士会の仕組みとか資格取得までの流れとか、どんな分野があるとかの、そもそも技術士とはという内容の説明をして、次に、実際に技術士として活躍している2名から講演をしてもらいました。

この講演者の方々ですが、技術士会のいつものメンバーに講演に適した部門の人が見あたらず、メンバーが名簿や過去の講演会への参加者とかのツテで人を探してたどり着いたというもの。

すばらしかったです。
いきなりのお願いにもかかわらず、お二人ともすごく面白くて、技術者としての人となりがわかる講演をして下さいました。
30分くらいの時間があると、講演者の人柄がでますね。
仕事に対して真摯に、そして自分で自分の仕事を充実させようと、自分なりの方法で頑張られていることがすごくわかりました。
講演を聴いていて、僕も負けないように頑張らなきゃと思いました。

あ、僕はそのあとのフリーディスカッションでの進行役をしました。
ファシリテーターですね。
質問を尋ねて、講演者に振る。
そのつなぎ役かな。
聴いていた人達が、講演を聴きながら感じたちょっとした疑問とかもう少し詳しく知りたいって思ったことをうまく引き出せるか、もうひとつ、講演者が講演の中で話しきれなかった、例えばちょっとした裏話とかを話せるきっかけをつくれるかということを考えながら進めようと思いましたが、うまくいったんですかね。
自分としては可もなく不可もなくというところだと思ってはいるんですが。

来週は12月8日に北海学園大学で、技術士会として学生に仕事の話をする講演イベントがあります。
今回は僕は全く表には立たたず裏方としてのサポートですが、とても楽しみです。
どんな展開になるのでしょうか。

北海学園大学での技術士会企画2010年12月09日 21時01分04秒

昨日は、技術士会の一員として、北海学園大学工学部に行って、学生に向けての講演イベントをした。

一昨年からスタートしたので、これで3年目だ。
技術士会のメンバーから技術士という資格についての説明をしたあと、2名の技術士から自分の経歴や技術者としての仕事を講演してもらった。
技術士会北海道支部の青年技術士交流委員会としての企画なんだけど、今回は2名のうち1名を委員会以外の人から選んだ。
彼は北海学園大学の卒業生であり、しかもほかの大学で非常勤講師を務めていることもあって、講演はとても自然でわかりやすかった。
もう1名は委員会の内部から立候補したJR北海道の技術者。
こちらも社内外での講演慣れしていることでとても流ちょうで内容も面白かった。
終わったあとの先生からの講評でも、先生自身がプレゼンの参考になったと言ってくれるくらいだった。

3回目ということもあって、企画そのものはだいぶ軌道に乗ってきたという感じがする。
ただ一方で、人不足という課題が少しずつ現実として見え隠れするようになってきたとも思う。
実際に講演を引き受けようという人、企画そのものを動かす人、つまり仕切る人。
対外的な受けの良さの裏側で、やり手不足という現実がある。

やったあとの充実感に浸っているときはやって良かったと思うのだけど、現実に戻ると、このまま続けていけるのかということが気の重さとしてのしかかるようになってきた。

あまり難しく考えすぎないほうがいいのかな。
みんな協力し合って進められているという現実もあるし。

楊令伝、英語のコンプレックス、反省2010年12月14日 20時18分03秒

北方謙三の「楊令伝」が完結したという記事が新聞にあった。
その新聞記事を読みたいのだけど、物語自体をまだ第5巻までしか読んでいないので、新聞記事に先々のことが書いてあって、物語を読む楽しみが半減してはつまらない。
記事は切り抜きだけしておいて取っておこうか。
でも読み終わるのはいつになるのだろうか。


これまでいろんな勉強をしてきて、勉強した分はそれなりに自分の身になったと思うのだけど、英語だけはその実感が全くない。
全くダメだ。
もともとの苦手意識をずっと引きずり続けている。
ま、今となっては英語を必要とする場面はほとんどないのだけど、それでもコンプレックスのように気持ちで引きずり続けるくらいなら、何とか克服してみたいとも思って、ドクターに通っていた頃に買った英語の専門書を引っ張り出してきて、突然今になって読み始めてみた。
やっぱり理解不能なところも多い。
それでも1年くらい続けてみたらちょっとは理解力が上達するのか。
さらに、そんな専門用語を駆使して、専門のディスカッションを英語でできる日が来るのか。
その前に挫折するのか。
どうなることやら。


業務の関連で、河川の土砂移動の理論を勉強し直している。
一度理解したはずのことも全く忘れていたりして、情けない気分になってきたりする。
ただ、ほかに断片的に知ったことがかみあわさったりして、前に勉強したときより、いろんなことを関連づけて理解できたりする瞬間もある。
これが勉強していて一番嬉しい時だ。
もちろん実務のための勉強なので、理論をどう活用するかをいつも考えながら。


ある業務のまとめとして、来年度にやることの提案をどうするか、社内でディスカッションした。
結果的には提案ごととしていろんなことが挙がったのだけど、話が終わったあと同僚から「このたぐいの話になると、山本さんは否定から入るのでやりにくい」と言われた。
確かに。
実は、ディスカッションの前に、同僚がどんなことを考えてくるか想像していて、その通りだったらどんなことを僕から言うかも想像していた。
で、だいたいそんな感じだった。
反省。
きちんと聞く耳持たなきゃ。
部署では、立場として、僕が高圧的に出たら周りの思考は停止してしまう危険性がある。
わかってはいるつもりなんですが。
ごめんなさい。

仕事のライバルと親しくなること2010年12月15日 22時26分08秒

あるプロ野球の元有名選手の対談記事を読んだ。
その中で、最近のトップ選手達が、チームを超えて親しくなっているということのいい悪いが書かれてあった。
WBCでほかのチームの選手同士が一体となって戦ったことが、どうやらきっかけのひとつのようだ。
トップレベルの選手同士が刺激を与えあって、技術に磨きをかけて、さらにレベルアップしていくというのはすばらしい。

でも一方で、親しくなることで、厳しい勝負がしづらくなっているという指摘もされている。
前の日に一緒に飯を食いに行った仲の相手に、胸元をえぐるような厳しい球を投げられるかというと、やはり躊躇してしまうようになるのが実際だろう。
昔はそんなことはなかったようだ。
ほかのチームとは、つまりは敵。
戦う相手と親しくなることは、あからさまに禁止しているところもあったくらいだそうだ。

僕の話。
そんなトップレベルのプロ野球選手とは同じではないのだけど、かつて自分が20代とか30代の前半の頃は、同業種のほかの会社の人と親しくなることは全く考えもしなかった。
ほかの会社の人って、つまりは敵でしょって。
ライバルになる立場の人と親しくどんな話ができるのだろうって、親しくしている人をむしろ疑問に思っていた。

ところが、今になって、会社以外の人達と親しくする場面がめっきり増えた。
加速していると言ってもいいくらいだ。
技術士会では、ほかの会社の人と言っても、いろんな分野の人がごちゃまぜだから、必ずしも業務上のライバルとはならないほうが多い。
だから無難と言えば無難なんだけど、最近は、同じコンサルで、しかも同じ河川の分野の人達で集まって研究会のようなことをしている。
本当はライバル同士のはずが、事例や勉強の成果を持ち寄って熱くディスカッションを交わしている。
端から見るととてもいいことだろうが、自分自身の変わりようには自分でも驚く。
他社の人とは絶対に話もしないというくらいにとんがっていた頃の自分は、一体どこに行ったのか。

自分も変わるのだ。
当然だ。
会社が変わり、職場のメンバーも変わり、立場も変わっていき、接する人達も変わることで、自分の意識や興味も変わっていく。
その中で、自分を変えないという頑なさを持つほうが不自然で、興味や関心に合わせて自分が変わっていくほうが自然だ。
ライバルとして口きかずに戦うのもいいけど、お互いそれなりのレベルの者同士が刺激しあって高め合うことで、それぞれの仕事の質が高くなることのほうが、仕事の楽しさにつながるという面もある。
とんがっている部分も残しながらだけど。

プロ野球の話にかぶせて考えると、親しくはなりつつ、勝負の冷静さは残しておいたほうがいいのだろう。
それで結果的にみんなそれぞれがいい仕事できて、仕事が楽しくなればいいのだろうと思う。

今年を振り返ろうと思ったのだけど2010年12月24日 19時59分29秒

忘年会がひととおり終わって、会社に行くのももう来週のあと1日で、この時期のプレッシャーの年賀状も書き終わって、何となく気持ちがゆるゆるとゆるんできている感じがするのでありまする。

1年を振り返るということは大げさにはやらないのだけど、簡単に思い出せることだけテキトーに振り返ってみようと思って、1月、2月・・・って記憶を探ろうとしたのだけど、何の脈略もないシーンが断片的に頭に浮かぶだけ。
ま、大きなトラブルがあったらまっさきに頭に浮かぶだろうから、そんな大したトラブルがなかっただけでも、悪くない年と言えるのか。
ただ、仕事に限って言うと、公共事業の縮減がさらに進んだ影響もあって、仕事量がこれまでにないくらいに減って、悪くない年どころか、最悪の年だった。
今年ほど業界のサバイバルを実感した年はなくて、この状態で進めば、来年、再来年は本当に業界の姿が一変しているかもしれないと本気で思う。
そして、そんなときに個人として自分はどう生き残るのか。

悪くはない年だったとは書いたけど、それでもやっぱりいろいろあったわけで、社会とは人との関わりで成り立っているので、いろいろと思い浮かび始めたのはやっぱり人との関わりでの出来事だったりする。
失敗して迷惑をかけたこともあった。
迷惑をかけたことは、思い出したらとたんに申し訳ない気分がその時と同じくらいによみがえってきて、どうしようかとまた考え始めたりするのだけど、もう過ぎ去ったことだから今から考えてももう遅い。

いいこともぽつりぽつりと思い出すのだけど、なぜかつまらないことよりは圧倒的に少ない。
いいことが少なかったというわけじゃないのだけど、いいことより悪いことの方が記憶に残りやすいということか。
それなら何と都合の悪い頭の仕組みなんだろう。

このブログ、そもそもは自分が考えたことの履歴を残そうと思って始めたモノだから、このブログをさかのぼれば、今年自分が考えたり感じたことを振り返られるのだった。
でもわざわざ自分のブログをさかのぼって読むのもなかなか面倒で、やっぱりやらないような気がする。

このまま今年はこんな感じでフェードアウトか。