毒舌キャラの危なさ(その2:プラマイゼロの法則)2009年07月03日 06時51分21秒

前回の続きです。
毒舌キャラは、まわりに敵をつくることになって危険だって話ね。

ちょっと自分の話をするよ。
自分が毒舌振りまいたほうじゃなく、されて嫌な気分になったほうのことだけど。
仕事の話でね。

ある時、僕が担当してつくった報告書を別の部署の人が持って行ったんだ。
彼がその続きの業務をやることになったらしく、僕が書いた報告書を参考にしたかったみたい。

それで、彼がその報告書を持って僕のところに戻ってきたとき、さんざん報告書のデキの悪さをののしったんだ。
こんな報告書じゃあ全然だよねって。

彼とは僕はあまり喋ったことがなかったので、僕は彼のことをどんな人かほとんど知らなかったんだけど、どうやらいつも人に対して厳しいことばかり言う人という評判だったみたい。

そもそも彼がその報告書を持って行くとき、借りるよの一言もなかった。
だから僕は報告書を彼が持って行ったことすら知らなくて、なので、彼はその報告書に隠れているいきさつや背景を僕から聞いて批判したわけじゃなかった。
確かに結果として報告書のデキが悪かったとしても、彼はなぜそういう内容になったかを理解していろいろ言ったわけではなかった。

でもやっぱりショックでね。
その報告書のことは自分なりには言い分があったんだけど、頭ごなしにそう批判されたら、実際につらいんだよ。
自分が書いた報告書って、できあがった瞬間からある意味自分の作品のような感覚があるからね。
だから、作品のできに善し悪しがあったとしても、やっぱりそれでも作品なんだよ。
その作品をただ単に批判されたら、自分が否定されたような気になってつらいんだ。

でね、彼の批判を聞きながら彼のほうを見たら、何となく彼はほほ笑んでたんだ。
その表情を見て思ったんだ、彼は批判で僕をたたくことで僕に対して優越感を持ったんだなって。

攻撃して相手をたたき落とすことで、自分が相手より上の立場に立つ。
その実感があって、あのほほ笑みだったんだなってね。
そりゃあ気分いいよね。
相手の弱みを見つけて、そこを攻撃して勝つ気分に浸るんだから。

でもね、思ったんだよ。
敗者の側としてね。
敗者は敗者で終わらないんだ。
恨みを持つんだ。

「いい指摘もらって勉強になりました、ありがとう」って、それは頭の片隅の理性で思おうとするだけで、本音の大半は「何だよこの野郎」なんだ。
本音はさ。

つまりね、相手をたたいて優位に立った人をプラス側、たたかれてしょげた人をマイナス側だとしたら、プラスの人はいい気分になってたたいたことすら忘れてしまったりするんだけど、マイナスの人はマイナスでは終われないってことなんだ。

マイナス側に落とされた人は、自分をたたいてプラスに昇った人を、せめてゼロまで引きずり降ろして、自分もゼロまで戻って、少なくとも対等に戻そうという気になるんだ。
それが恨みというエネルギーなんだ。

恨みのエネルギーって馬鹿にならないからね。
深いところに根ざした恨みのエネルギーって、10年とか20年とか保ち続けてしまうこともあるみたいだから。
僕が親してもらっている50代とか60代の人も、しかもすごく人徳者のような人でも、いろいろ話していくうちに、ぽろっぽろっと恨みの話が出てきたりするからね。
すっかり根っこが張ってるんだね、その人の頭の中に。

これね、僕が勝手に呼んでいる「プラマイゼロの法則」なんだ。

マイナスに落とされた人は、必ずプラスを引きずり降ろしてプラマイゼロにしないと納得しない。
復讐。
リベンジなんて格好いい言い方とはちょっとニュアンスが違うよね。

また長くなったので、続きは次回に。

毒舌キャラの危なさ(その3:恨みをもたれない毒舌)2009年07月05日 13時20分22秒

また続きです。
毒舌は、批判されたほうが恨みをもつ。
そのエネルギーは半端じゃないよって話までしたね。

それでも、じゃあ相手のことを何も言っちゃいかんかというとそうじゃないんだ。
当たり障りのない仲良しクラブのようなことばかりやっていても、仕事にしても何にしてもお互いに向上しないからね。
相手に厳しいことを言わないといけない場面もでてくる。

だから、敢えて厳しいことを言ったり、言いたくない指摘をしたりと、憎まれ役を買わないといけなくなるときもある。
それでも恨みまではもたれたくないよね。

でもね、必ずしも厳しい批判をされたからと言って、いつも恨みを持つとは限らないと思うんだ。
僕自身の経験ではそうだね。
叱られたことも、批判されたこともこれまでいろいろあったけど、感謝していることも多いからね。
逆に恨みとして記憶から消えないこともあるけどね。

そう考えるとね、何が違うかというと、復讐心を持つようなたたき方をしちゃあいけないってことなんだ。
恨みに残るような毒舌はダメ。

じゃあ相手が復讐心を持つかどうかはどこで違ってくるのか。
どこだと思う?

僕が考えた結果を言うとね、自分が優位に立つことだけ考えて言うとダメなんだ。
そんなときに相手は恨みとか復讐心を持つんだ。
つまり前回のプラマイゼロの法則で言うと、自分がプラスになることばかり考えていて、相手がマイナスになろうとどうなろうと関係ない、って言うかそんな相手が置かれる立場を想像していないときね。
これは恨み、復讐心が芽生えやすい。

そうでなく、自分が優位になろうとかはどうでもよくて、むしろ自分が何かを言うことでお互いに向上するとか、相手を引っ張り上げてやろうとか、相手のことを想像しきって言うときには、相手はそんなに悪い感情は持たないんじゃないかなぁ。
相手のことを思いやって言ってるかどうかだね。
愛情の問題って言うとちょっと格好良すぎるかな。

ちょっと似たような話を思い出したんだけど、もう10年以上前かな、テレビでプロ野球のナイターを見ていたとき、巨人とどこかのゲームでね、長嶋監督の時だったかな。

巨人の無名ピッチャーが中継ぎで出てきて、彼がばかすか打たれ始めたんだよ。
もう何投げても相手に打たれて、どんどん点が入る。
8点くらい取られたんじゃないかな、彼だけで。
でもね、ベンチはそのピッチャーを交代させようとしないんだよ。
もう見せしめに近いね。

たぶん監督はもうそのゲームは捨てたんだと思うんだ。
だから何点入れられようとどうでもいい。
監督とすれば、そのピッチャーがまいた種としてそのイニングを自分の責任で終わらせよって無言の司令だったんだと思う。

でも、その時、解説者が言ったんだ。
「こんなことやっても、彼にとっては何の勉強にもならないんですけどね」
って。
つまり、彼の傷口の浅いうちに早く替えてやれと。
そうしないと彼はつぶれてしまうだけだと。

僕は妙にそのシーンが記憶に残っててね。
上の立場ってとかく「本人にとっての勉強だ」って言いがちだけど、受け売りの都合のいいフレーズとして使ってるだけで、本当に下がそれで勉強になるか想像して言ってるかあやしいんだな。
思いやりあるような美しい言葉を使ってるだけで、思いやりのかけらは頭の中には実は全くなかったりしてね。

そのピッチャーが監督に恨みを持ったかどうかはわからないんだけど、たぶん打ちひしがれて立ち直れなかったんじゃないかな。
その後一線では見かけなかったような気がするから。

優位な立場にいる人や、きっかけあって優位に立った人は、まわりや相手の心境を想像できるかどうかがカギなんだな。
そして、相手がマイナスにならないように、さらに、自分と関わることで相手にもプラスになるようにという気遣いができるかどうかなんだな。

毒舌キャラでも普通の人でも、たぶんそこが一番大事な境界線になるんだろうなってのが、僕が行き着いた考え方。

だから、一番最初に戻るけど北野誠の降板問題は、北野誠が相手を批判的に言うだけで、批判した相手に対する思いやりの発想は彼の中になかったことが一番まずかったことじゃないかな。
だから相手を復讐心を起こさせるまで怒らせてしまった。
レギュラー全て降板ってのは復讐としてはできすぎの結果だね。
復讐心を起こさせるのではなく、批判した相手自身も思わずくすっと笑ってしまうような毒舌の笑いというのがベストだと思うんだけど、それはちょっと高度すぎるかな。

ま、そうは言いつつ、僕自身も日常では失敗ばかりなんだけどね。
相手に厳しいことを言うときは特に、相手に対する愛情がきちんとあるかどうかを自分で気にしていないとダメなんだね。
「相手のためになるから」というフレーズを、自分の都合のいいときに使うようにはならないようにしようと思うよ。

高校生が電子辞書を使う反対論と擁護論2009年07月11日 06時27分21秒

いま朝日新聞の読者投稿で中高生が電子辞書を使うことの議論が静かに続いている。

中学生や高校生が英語を勉強するときに、電子辞書で簡単に単語がひけることがいいのか悪いのか、便利になっていいじゃないかという賛成論と、分厚い辞書を開いてひとつひとつ単語を調べることが勉強なのだという反対論に大きく分かれている。

僕が電子辞書賛成論と反対論をおおざっぱに分けたとしたら、賛成論は面倒で時間のかかることはできるだけスマートに無駄なくという合理的な発想の人が言っていて、反対論は苦労するという過程を経ることがひとつの大きな勉強だという精神論に近いのかなぁと思う。
まぁ、苦労する経験が大事というのもわからないわけじゃない。

僕自身は英語の電子辞書を使っている。
持ち歩く電子辞書のほかに、パソコンにも辞書をインストールして使っている。

実は僕は辞書を引くのがとてもとても苦手だった。
超をつけてもいいくらいの苦手。
なぜかすごく時間がかかった。
アルファベット順に追っていけば簡単のはずが、なぜか前後を行ったり来たりしてなかなかたどり着かない。
高校の頃に英語が嫌いだったのが単語引きのせい、とは言わないけど、単語ひとつ調べるのに時間がかかって勉強自体が遅々として進まない英語はイライラして本当に嫌いだった。

数年前にまた英語の勉強を始めたとき、パソコンにインストールした辞書を使ってみて大げさでなく感激した。
単語の頭2から3個のアルファベットを入力するだけで単語が出てくる。
もう一瞬。
しかも、読もうとする英文自体もパソコン上なら、コピーペーストで簡単に変換。
あのべらべら辞書を行ったり来たりした苦痛は一体何だったんだろうという、衝撃と言っていいくらい感動した。

さらに言うと、調べた単語をエクセルに整理したらこれがまたまた便利。
英語の文献を読んでるうちに何度も同じ単語を引くことになったのでいわゆる単語帳代わりにつくってみたのだけど、コピーペーストで表に貼り付けるだけで、並べ替えは「ソート」で一瞬。
「検索」ですぐたどり着けるし、用例や出てきた文献なんかも一緒に整理しておけば、ほかの文献で書いてあったことなどが瞬間的に思い出せる。
今の時代、勉強がこれだけ便利に合理的にできるんだなぁと実感した。

たぶん、電子辞書を使う勉強方法を快く思ってない人は、自分はもう勉強してなくて昔の自分の苦労を思い出してるだけの人が多いんじゃないのかなぁ。
自分自身もいま真剣に勉強していて、単語を引く必要に迫られていて、電子辞書のこの便利さを実感したら、昔を回顧して「苦労が勉強だ」とは言わないような気がするから。

僕は猫背2009年07月17日 22時36分07秒

僕は猫背なんだと。
自分では気づかなかったんだけど。

脳神経外科の先生に言われてわかったんだ。
昨年末に足の違和感でMRIの検査を受けたときに、先生がレントゲン写真の背骨の上のほうを指しながら「異常はないですね、ちょっと猫背気味ですが」ってさらっと言ったのだ。

軽いひと言だったけど、ちょっとショックだったんだ、僕は。
姿勢はいいと思ってたからね。
昔から歩くときはぴしっと背筋を伸ばしてしゃきしゃき歩くように心がけているつもりだったから。

先生のひと言がずっと引っかかって、その後は外を歩いているときにふと「俺は猫背なのか」って気になったりして、で、改めて気にして歩いてみたら、やっぱり少し猫背気味なんだ。
いつ確かめてもそうなんだ。
あんなに背筋をぴしっと伸ばすことを意識していたはずなのに、いつの間に僕は猫背になったんだろうって、静かに小さく悩み始めていたんだ。

でさ、今日、突然ふと気づいたんだ。
原因がわかったんだ。

犯人はリュックだ。

僕は7年前に札幌に戻ってきたときに、通勤カバンを今までの肩掛けバッグからリュックに替えたんだ。
肩掛けバッグって、僕は癖で左にしか掛けられないので、ずっと肩掛けバッグを使い続けるとどんどん身体がゆがんでいきそうな気がして、それで左右の肩への負担が均等になるリュックのほうが身体にいいなと思ってね。
それにリュックだったら多少荷物が増えて重たくなっても、肩掛けバッグより重さを感じないしね。

でもね、これまでは左右のバランスの良さでリュックがベストと思い続けていたけど、考えてみればリュックを背負うと身体の後ろ側が重たくなるわけで、身体がバランスをとるためには身体は自然と前かがみになるんだな。
これを毎日ずっと続けることになるから、姿勢は少しずつ前かがみの癖がつく。

たぶんそういうことなんだ。
7年間気づかなかったよ、こんな単純なことに。

ついでに言うと、リュックって重さを感じにくいこともあって、入れておく物がどんどん増えるんだよね、僕は。
財布と弁当くらいでいいはずなのに、手帳、文庫本、ノート、クリアファイル、ケータイ、デジカメ、デジタルオーディオプレーヤー、折りたたみ傘。
まだあるよ。
シャープペン、3色ボールペン、蛍光ペン、予備の小銭、コンビニカード、割り箸・・・
あるわあるわ。
最後の割り箸なんてホントはどうでもいいはずなのに。

こんな感じでいつも重いリュックを前かがみで背負っているうちに猫背になったのだろう。

カバンを替えよう。
でもなぁ、リュックに代わるバッグってあまり考えたことなかったからなぁ。
丈夫なトートバッグがいいかな。
でも気に入るものを探さないとなぁ。
どうしようか。
また考えることがひとつ増えた。

デジカメ、シミュレーション、投稿締め切りなど2009年07月23日 00時59分01秒

最近はまた慌ただしくて文章書く余裕があまりないです。
なので近況を簡単に。

7年間くらい使っていたデジカメを水没でダメにした。
その代わりとしてフジの防水コンパクトデジカメを買った。
早速、川の調査で使ってみたのだけど、撮った写真を見たら青みが強くて、すこぶる不満。
そのままでは使えない。
何とかしたいと思って考えているうちに、ふとアイデアがひらめいた。
釣りの人が使う偏光サングラスの薄いのを買ってきて、カメラのレンズの大きさに切って、まわりをヤスリで削って仕上げて、レンズの前に貼った。
これで簡易偏光フィルターの完成。
使ってみると、UVカットの効果が出て青みが消え、偏光の効果で水面の反射も減った。
上出来。
工作は楽し。


久々に業務で流れのシミュレーションの作業をすることになった。
シミュレーションは、結果のアニメーションを見ると華やかでいいんだけど、そこまで至る過程は、データづくりとか、プログラムの改良とか、とても地味。
ただ、こういう作業にはまっているときは、それはそれで楽しい。
立場として人に仕事を任せることが多くなってきたんだけど、自分でちまちまと手を動かして作業をすることも実は好きなのだ。


数値計算の勉強会を、今年また復活させることになった。
去年は休みにしてしまったのだ。
幹事役は僕なので先生への依頼の文書や社内の承認書類づくりをしていたのだが、そのうちに、昨年までずっと一緒にやってきた会社の方から連絡が来て、今年からは参加できなくなったと。
残念。
一緒に悩みながらやってきたのになぁ。
ま、会社事情はそれぞれ。
しょうがない。


部署で面談をした。
面談と言っても、僕が部署の社員それぞれと話すだけでなく、クロス面談にした。
クロス面談とは僕が勝手に名前を付けたんだけど、つまりはみんなが総当たりで1対1で話をするということ。
もちろんいろんな効果を期待して。
今は少人数だからいいけど、人数がちょっとでも増えたらクロスってやってられるんだろうか。
でもこれは増えたときに悩むことか。


7月末締め切りの技術士会への投稿文がひとつ。
軽く勢いだけで引き受けたものの、まだ全然できてない。
見通しもない。
これを思い出すと暗くなるけど、もう忘れている場合じゃない時期だ。
ブログに近況文なんか書いてる場合じゃない、と今思った。