仕事は過去に経験した最大のしんどさまでは耐えられる2009年01月07日 23時38分27秒

仕事始めから3日しか過ぎていないのに、頭と体はすでにフル回転の状態です。
それでもまだ余裕はありますけどね。

いまちょっといばらの道を歩んでいるような業務がひとつあります。
慣れない種類の仕事なので、ひとつひとつに時間がかかります。
僕だけでなく、主担当として任せている社員も不得意分野。
そうなると仕事がつらく感じてきます。

僕はこういうときに必ず思い出す言葉があって、かつての上司が言ってたことで、
「これまでに経験した最大のしんどさまでは、必ず耐えられるよ」

言われたときは、そんな過去最大のしんどさなんてもう二度と経験したくないよと思ったんですけどね。
でも、結果として、そうやって耐えることで、乗り越えられるハードルが少しずつ高くなったいう実感もあります。

負荷がかかりすぎてストレスが病的になるとまずいとは思うけど、多少は試練を乗り越える経験を積まないと、ちょっとのことでいつも白旗を揚げることにもなります。
仕事に向き合う強さがいつになっても身に付かない。

仕事に対する強さを身につけるには修羅場経験が一番です。
いまどき好んでつらい経験をすることもないんじゃないのという考え方もあるとは思いますけど、やっぱり土壇場の底力は修羅場経験がものを言う。
つまりは場数。

対峙したときは嫌ですけどね。
逃げ出したくなる。
でも逃げたら、強さを身につけて飛躍できるせっかくの機会をみすみす手放すことになる。
踏ん張りどころなのです。

新年早々、またスパルタ系の精神論を書いてしまった。
今年もこんな感じで仕事することになるのでしょう。
ま、いいんです。
頑張れるところまで頑張って、いい仕事をする。
これでいきましょう。

魚道設計のカタチ決め2009年01月14日 06時29分03秒

ある川で魚道設計の業務をしています。
落差が1.2mくらいの段差に魚道をつくって魚が上れるようにしたいというのが役所の意向です。

ウグイがいます。
ウキゴリのような底生魚もいます。
サケも上がってきます。
いろんな魚が自由に行き来できる魚道を考える。

社内でああでもない、こうでもないと議論しながらカタチを決めているところです。
もちろん最終的に決めるのは発注側の役所ですが、「おっ、これいいね!」とみんなが納得するようなカタチを提案したいですからね。

スケジュールにあまり余裕がないんですが、そんなときほど集中力がでます。
不思議なくらい。
完成後に魚が上っているシーンを想像しながらの設計作業です。

遅れた電車になんとか乗り込もうとする女性2009年01月18日 06時40分41秒

僕が通勤で乗っている札幌近郊のJRは、冬のこの時期は、吹雪いたときには2-3分はよく遅れます。
岩見沢、江別方面からくる電車で、そっち方面は特に吹きっさらしのなかを走ってくるので、それくらいの遅れはそもそもしょうがない。
そんな土地ですから。

先日も5分遅れくらいで電車がやってきました。
遅れた電車はたいがいは混みます。
それぞれの駅に遅れて到着することで、次の電車に乗るつもりで来た人まで乗ってしまうからでしょう。
なので、もう東京の電車並みにドアのところまで人がびっしりで、乗り込める隙間もないような状態でした。
僕はその電車をやりすごして次を待つことにしました。

で、見ていたら、それでもなんとか乗り込もうと頑張っている20代前半くらいの女性がいました。
ドアのところはぎゅうぎゅう詰めの壁のようになっていましたから、その女性は壁あてのボールのように跳ね返されていました。
見ているだけで、すごく気の毒な気分です。

電車が遅れたからと言って、職場に遅れるわけにいかないのかもしれませんね。
学校のように電車の遅延証明書を出せば遅刻を許してくれるような職場ばかりではありませんから。
全てはタイムカードの時間で決まってしまうとか。
または、許されるかどうかではなく、大事なお客さんとの約束を持っていて遅れて迷惑かけるわけにいかないとか。

実はそういう電車のあとの電車はだいたいは空いてるんです。
この日も、がら空きとはいきませんが、いつもよりは隣の人と密着しないでいいくらいに余裕がありました。
その女性も、1本遅らせられる時間の余裕があれば全然違ったんですけどね。

たぶんですけど、その女性はもうその電車に乗らないと遅刻ギリギリという出勤スタイルだったんでしょう。
そうすると、その電車に乗れるか乗れないかがその人にとって死活問題のようになってしまう。
普段から1本前の電車に乗るくらいの余裕を持っていれば、電車が少々遅れようと、何とかせねばとあせることもなくなるんですけどね。
ギリギリの習慣は、とっさの事態には弱い。

仕事もそう。
職場にもいろんな人がいて、前日までにだいたい終わらせて、打ち合わせ当日はもう別の仕事をしているくらいの余裕しゃくしゃくの人。
出発時間ギリギリまで机にかじりついて資料づくりをしている人。
また、打ち合わせ場所まで1時間かかるという時に、きっちり1時間前に出る予定を立てる人と、1時間に15分くらいの余裕を加える人。
もう、いろいろですね。

僕自身はと言うと、余裕もち派かな。
ギリギリで落ち着かないという状態になったらドキドキして嫌だから。
一緒にいる人にもイライラさせてしまいますよね。
それでもギリギリになるときはありますけどね、もちろん。

ただ、この時期の北海道で、特に車での移動の時は、移動時間をギリギリで見込んだら、あせって事故につながりやすくなります。
なので、それだけは最優先で余裕を持とうと思います。

みんなホントは思うより寛容ですよ2009年01月19日 22時47分04秒

前のこのブログで、ギリギリで行動する習慣はとっさの事態に弱いという話を書きました。
電車が遅れたり、天気が悪くてちょっと歩きにくかっただけですぐ遅刻してしまうかもしれません。
そんなことを繰り返しているうちに、あの人は時間にルーズな人だというレッテルをはられたりします。

時間にルーズって、無意識なところで信用されにくくなるんですよね。
普段はいいんですよ、普通の仕事をしているときには。
でも、ちょっと大事で、失敗したくないような仕事がきたときに、その人に任せようという気になれないんです。
無意識に。
いくら普段いい仕事をしていても、どこか全幅の信頼をおけない。
だから時間の自己管理って仕事の信頼関係のなかではとても大事。

でも、だからと言って、絶対に遅刻はいかんというわけでもないですよね。
事情があるときは誰にでもあります。
忘れ物して途中でうちに引き返して電車3本遅れたとか、家族の体調が悪くて家の用事をこなしてから出てきたとか、日常ではいろんなことが起こります。
何となく行く気がしないというときだってあるかもしれませんね。

そういうときはいいんですよ、時間を守れなくて。
適当に遅れてきたらいい。

それが許せるためには普段をきっちりしていることが必要です。
普段きっちりしていると、まわりも「たまには遅れることもあるよな」とか「今日は何かあったのかな」と優しい目を持つことになります。
普段からいつも遅れていたら、本人は非常事態のつもりでいても、まわりは「いつものことでしょ」くらいにしか見ませんね。

まわりって、自分が思っている以上に寛容だと思うんですよ。
失敗も、何か事情がありそうなときはいたわってあげたいし、責めたりなんかしたくない。

そのためには、寛容になってもらうための普段の自分のふるまいが大事だということになります。
失敗も、多少の怠けもいいんです。
それが無意識にまわりから許されるように、普段をまわりから認めてもらえるような習慣づけが大事だと思っています。

旭川出張と社内作業と最後は雪かき2009年01月20日 23時01分43秒

今日は朝から旭川で打ち合わせ。
今年度やってきた魚類調査の結果のまとめの報告と、来年度以降の調査項目の提案でした。
継続してきた調査は別として、新たに調査項目を追加すべきかどうかが議論になりました。

それをやって何がわかるのか。
もちろんわかることはいろいろあるけれど、わかることにどれほどの意味があるか。
必要性とか、それを金かけてまでやるべきかとか。
判断ごとなんですけどね。
でもやると判断するなら、判断できるだけの理由付けが必要。

会社に戻ってからは、河畔林調査のまとめ作業。
ある河川事務所での河畔林伐開工事とそれに対する事前調査とミチゲーションをまとめた手引き書のようなものをつくっています。
いつまでも手探りで調査と工事をしなくてもいいように。

ところで、今日は札幌では昼間もずっと雪。
なので、うちに着いたらうちの前も雪だらけ。
疲れていたけど、ひと息つく前にうちの前の雪かきだ。
ま、これが唯一の運動不足解消策だから。
でも雪かきが唯一の運動と言ってるようじゃ全然ダメだよね。